千晴と紗々良と大事なもの(5)

 目からは普通に状況が見える。意識もある。だが、身体の自由が利かず声も出せない。

 俺の身体は九尾の狐に乗っ取られていた。

「貴様、狙いが私なら千晴は関係ないだろう? 今すぐ離れろ!」

「そうはいかないんだよねえ。離れたら私も危ないからね」

 九尾の狐は俺の身体で送り狼を指差していた。

「こうなったら無理にでも引き離して……」

「出来る? その狼をこの身体に噛み付かせてみる?」

 紗々良さんに焦りの色が滲む。中身がどうであれ俺の身体を傷付ける行為は出来ないみたいだ。

 このままでは紗々良さんが攻撃出来ない。何か良い方法はないだろうか────。

「形勢逆転だね」

 勝利を確信したのか笑みを浮かべながら俺に取り憑いた九尾の狐は紗々良さんにじりじりと近づいて行く。成すすべのない紗々良さんは距離を取りながら後退していった。

 何も手段が無いなら、いっそ俺ごと攻撃して九尾の狐を退治してくれないか。

 そう思った時だった。


「ウオオオオオオオオオオオオオォォォン!」


 別の獣の霊が現れた。それは、金森が逃がした、あの犬神だった。

「グルルルルルルルルルルル……」

 犬神は俺を見て唸り声をあげていた。中身が誰かわかっているんだろう。

「この子も出て来るなんてタイミング悪いなあ……命令なのか仇討ちなのか知らないけど本当に律儀だね」

 二対一となり九尾の狐も分が悪そうだ。これでまた、こちらが有利になればいいが。

「千晴の身体に入っているままでは素早く動くことも出来ないだろう。素直に出て来たらどうだ」

 紗々良さんが俺の中にいる九尾の狐に指差して言った。しかし、不利とは感じていても九尾の狐に焦りは無かった。

「そうだね、犬神の攻撃をかわすことは出来ないけれど、時間稼ぎぐらいは出来そうだからね……」

 九尾の狐が俺の胸をトントンと叩いた。

「な? まさか貴様、千晴を盾にする気か?」

 驚愕する紗々良さんを気にする様子もなく、犬神が俺に襲いかかろうと低い姿勢で構えた。

「ま……待て、犬神やめろ!」

 紗々良さんの制止も聞かず、犬神は俺に襲いかかって来た。噛み付かれる、そう思った時、犬神の動きが止まり苦しげな表情に変わった。

「すまない犬神。お前にもやるべきことがあるのだろうが、私にも守りたい者があるんだ……」

 犬神には雷をまとった送り狼が噛み付き、近くで申し訳なさそうな表情で紗々良さんが呟いていた。

 だが、それが一瞬の隙となった。気が付けば俺の視界は紗々良さんの背中に回っていた。

「背中、がら空きだよ!」

 振り上げた俺の手には、あの九尾の狐のあやかしを包み込む球体が浮かんでいた。

 紗々良さんは振り向くも間に合わず、その球体に取り込まれてしまった。

 中から抵抗するも、びくともせず壊すことも出来ない。

「いつもならどうかわからないけど、消耗してる今なら出られないでしょ?」

 してやったりとドヤ顔の九尾の狐。中で悔しそうに、それでも球体の破壊を試みる紗々良さん。

「無理だって。これ以上暴れて消耗されても、せっかくの力がもったいないから、もう私のものになってもらうね」

 九尾の狐がそう言うと球体はどんどん小さくなる。それにつれて中にいる紗々良さんが苦悶の表情を浮かべた。

 このままでは本当に紗々良さんは九尾の狐に取り込まれてしまう。

 ────やめろおおおおぉぉぉぉ!

 俺は叫んだ、しかし、それが声になって届くことはなかった。

「アハハ、杉原君が何か言ってるよ。本当に仲良しなんだね」

 九尾の狐が面白そうに笑った。完全に勝利を確信したように。

「でも、二人とも安心して。せめてもの情けだよ。杉原君の命だけは助けてあげるから」

 本気か冗談かわからないその言葉が、球体の中の紗々良さんに届いているのかわからない。だけど、それを確かめる暇も無く、野球のボールほど小さくなった球体は更に小さくなり、そして紗々良さんと共に消滅した。

 …………あ。

 紗々良さんが負けた。消えてしまった。

 そのショックで身体の力が抜けてしまったのだと思った。俺はその場で俯せに倒れてしまった。その時にポケットから落ちてしまったのか、貰った御守りだけが目の前に残っていた。

 そして、更に前には俺から抜け出た九尾の狐の後ろ姿が見えていた。

「約束通り、命は助けてあげるね。ただ、精気はもらっちゃったけどね」

 身体も動かせずギリギリ保っている意識を集中させると、九尾の狐はイタズラっぽい笑顔で俺を一瞥し、そのまま俺に構うこと無く去って行こうとする。

 九尾の狐が行ってしまう。紗々良さんを取り込んで。

 紗々良さんも行ってしまう────。

 そうは思っても俺には助ける能力ちからなど無い。身体すら思うように動かない。俺には何も出来ない。そう、諦めかけていた時だった。

 目の前にある御守りが目に入った。


『もし何か大変な状況になったら迷わず大声で私を呼ぶのだぞ! いいな! すぐに駆けつけるからな』


 もしも……もしも、紗々良さんがまだ無事ならば、あの言葉を信じるならば……。

 俺は動かない身体に無理やり力を入れ手を伸ばす。もう少しのところで御守りまで届かない。それに一瞬でも気を緩めると気を失ってしまいそうだ。

 でも、ここで倒れるわけにはいかない、少しでも可能性というものがあるならば。

 俺は全身に力を入れ強引に這いずって手を伸ばした。

 御守りに手が届いた。俺はその御守りを目の前まで持ってきて朦朧とする意識の中、いつも俺の側にいてくれた神使の名を呼んだ。

「紗々良さん、無事なら……出て来て、紗々良さん……さ…………」

 もう声も出ない、それほど体力は消耗していた。もうダメか、そう思った時だった。

 パアアアアアアアアッ

 御守りが光り出した。

 届いた。そう確信した瞬間、その光の中から傷付いた紗々良さんが飛び出し、瞬時に九尾の狐に接近し背後を取った。

 それは一瞬の出来事。九尾の狐が気付いて振り向いた時には既に手遅れだった。

「神鳴りっ!」

 紗々良さんの手元から刃物のように鋭い稲光の牙が九尾の狐を切り裂いた。

 九尾の狐の表情が驚愕から苦痛に変わる。流石にこの展開は予想していなかったみたいだ。

「こんな……仕掛けまで、あった……なんて……ずるいよ…………」

「どっちがだ……」

 完全に警戒心を解いていたのだろう。九尾の狐は紗々良さんの一撃で致命傷を負っていた。

 そして、九尾の狐の身体は霧散するとオーブとなり空の彼方へと消えていった。同時に複数のオーブも見える。恐らく、襲われた人の精気やあやかし関係のものなのだろう。

 リイも、あの中にいるのだろうか……。

 紗々良さんと無数のオーブが舞う光景を前に俺の意識は薄れていき、そのまま気を失ってしまった。

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