想像力の果てにあるもの
かくして私はY君の言葉に翻弄されていた。
日本が誇る高分子ポリマーの技術力の高さをまるで熱に浮かされたように滔々と語り続ける彼に途中で口を挟むことも出来ず、精々私は「へぇ」「そうなんだね」「高分子ポリマー凄いね」等と相槌を打つのが精一杯であった。
普段よりフランクな付き合い方が出来るように心掛けて彼とは接して来たつもりではあるが、よもやここまでフランクな付き合い方をされてしまうとはどうにも人付き合いとはままならない物であるなぁ、と改めて気付かされる結果となった。フランクという言葉がこの場合正しいのかはさておいて。
思い返せばまだ高校を卒業したばかりの私に、社会人としての生き方を教えてくれたM先輩の背中を追い続けている身としてはどこで道を間違ってしまったのだろうと、反省するばかりである。あのM先輩の素敵な対人スキルが欲しいと切実に思う。
ちなみに私はその会社で十二指腸潰瘍が原因で大量の下血と吐血をして就職から3年後に辞めた。今考えると入社一年目から休日出勤を含めると月の残業時間が250時間を超える恐ろしいほどのブラック企業であった。M先輩、まだ元気でやってるかな。
まぁ話を戻すと、性的な嗜好に踏み込みかけている話題を熱っぽく語るY君が一寸特殊な存在であることは先ず間違えようもない。正直なところ、私の心のパーソナルスペースにグイグイと踏み込んできている。割と犯されてはならない領域に、こう、グイグイと四足歩行の獣のように踏み込まれている。
だが、私はまだこの時は知らなかった。Y君が更にもう一歩、いや二歩も三歩も距離を詰めた
「よる(仮名)さん。この紙オムツを穿いていればこうして話している最中にでもおしっこすることが出来るんですよ」
何でこれからも顔を合わせて仕事をしていく予定の私にそんなことを言っちゃうんだろうこの人。あ、もしかして嫌われてるのかな?
その時に私がどんな顔をしていたかは正直なところわからない。すぐ傍には割と大きな鏡があったのだが、それを確認する勇気や平常心を私は持ち合わせてはいなかった。多分何とも言えないだろう表情をしていたことだけは断言できるのだけれども。
「完全犯罪の成立ですよ」
いや、その犯行計画を私に漏らしている時点で完全犯罪はもう既に成り立たないんじゃないかなぁと、もやもやした気持ちを私が持っていた事だけは覚えている。そのときの私は相変わらず「なるほどねぇ」とか「まぁ、正直パンツの中確認しないもんねぇ」等と相槌を打っていたと思う。
相槌を打てるだけ、私もあのころと比べると成長をしたということだろうか。こうしてオムツとおしっこの話で自身の成長を感じることになるとは思いもしなかったが。出来ればもっと素敵な話の中で自身の成長を感じたかったが、現実はかくも非常だった。
適当に相槌を打っていたその時唐突に、私の中でむくりと何かが鎌首をもたげた。
完全に主導権を奪われっぱなしのこの会話に切り返すことの出来る、一筋の巧妙を見出したのである。今、思い起こせばこのまま会話を切り上げて昼食を摂りに行けば、私の心に一寸したもやもやを残しただけで誰も傷つかずに済んだのだろうが今となっては後の祭りだ。いや、別にそんなに煽るほどの話ではないのだけれども。現実の話なんて、落ちがない物ばかりだし、この話も勿論そうだ。どこに着地をしていいのか戸惑いながらキーボードを打っている最中です。
「Y君。君が気付いたその事実を既に私が知っていたとしたら、どうだろう」
我慢しきれずについ口走ってしまった私の言葉にY君はまるで雷に打たれたかの様に硬直した。
「こうして私がY君の話に相槌を打ちながら、その実は紙オムツの中に放尿をしていたとしたら……?」
「まさか……」
「完全犯罪成立だよ」
「そんなまさか!」
「昨日の会議の最中、S所長が僕たちのことを眺めながら静かに紙オムツに放尿をしていたとしたら」
「もう止めて下さい!」
「いや、まだだ。そして君は意識的にその事実から目を逸らしているのかもしれないが、女性職員もまた……!!」
「それ以上は言っちゃダメだ!それ以上は考えちゃダメだ!!」
Y君が予想以上に大きな声を出して私の言葉を遮ったので、隣の部屋に聞こえてないかなーってビビッてました。
「よる(仮名)さん……。何て恐ろしいことを……。俺、もう皆のこと普通の目で見れないかもしれません」
私はもう君のことを普通の目で見れないけどね。
「これ以上皆を傷つけるのは止めましょう」
私はその中に入っていないんだろうなぁ、って思った。
ちなみに次の日出勤した時、こっそりとY君は僕に耳打ちをしてきた。
信号待ちをしている時にすれ違う人たちが僕のことを笑いながら放尿しているんじゃないかと思えて、一寸人間不信になりました、と。
あ、Y君は演劇をやっていて、その場に合わせて即興で乗りツッコミが出来る素敵な人材です。うんこもらしたのは本当ですけども。
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