地球に戻ったら、あの子に告白するんだ。

湖城マコト

フラグ……ではありません。

「想像以上だな……」

「地道にやるしかありませんよ」


 ヘルメット越しに苦笑いを浮かべる同僚のぼやきに、18歳の青年――了史りょうじは淡々と答える。

 彼らが立っている場所は、大量のバジルに囲まれている。


 どこを見てもバジル、バジル、バジル、バジル、ルジバ、バルジ、バジル――


 辺り一面が、まるで緑色の絨毯じゅうたんだ。

 ここだけではない。今や月面全体が、大量のバジルに覆いつくされている。

 地球から見上げる月も、もちろん緑色。

 地球が青い星ならば、月は緑色の衛星。 

 そんな表現が、すっかり定着化してしまった。


 事の発端は、人類を月へ移住させる計画の一環として、月面に植物を植えるという試みだった。

 繁殖力の強いバジルを試験的に月面に植え付けたまでは良かったが、月の地表に積もっていたちりに含まれる未知の物質の影響で、当初の予想を超える圧倒的な速度でバジルが繁殖。月面を僅か一カ月で覆いつくしてしまった。

 当初の計画では、月面の一区画で試験的にバジルを繁殖させる予定だったのだが、結果は月全体という破格のスケール。


 計画は、大きな軌道修正を図ることとなる。


 あまりにも劇的な変化は、月の環境を大きく変えてしまう。そのためまずは、月そのものを、可能な限り元の状態に戻す必要があった。

 方法は実にシンプル。地表に影響を与えずに、バジルだけを枯らす特殊な薬剤で繁殖を抑えつつ、専用の器具を使って地道に刈り取っていくというものだ。

 この計画のために、人海戦術として多くの労働者が導入された。

 高額な報酬目当ての者。月面での作業という物珍しさに惹かれた者。自らの持つ技術を役立てたいと考える者。参加理由は様々であった。


「この計画に参加した理由ですか?」

「ああ。了史からは、まだ聞いたことがなかったと思ってな」


 休憩時間中に、同僚のドイルが了史に尋ねてきた。

 ドイルはイギリス出身の28歳。

 月面到着以来、了史とはずっと同じ区画を担当しており、最も親しいメンバーの一人だ。

 ドイルはロマンを求めて計画に参加した人間であり、宇宙開発に携わることは、一度は諦めかけた、彼の幼少期からの夢だったという。


「好きな女の子のためにですかね」

「その子のために、大金を稼ぎたいってことか?」

「お金は二の次で、一番の目的は、計画そのものの遂行です」

「というと?」

「この計画を成功させたうえで、あの子に告白したいんです」


 想い人のことを語る了史の顔は、とても活き活きとしていた。


 ○○○


 二年半後。

 無事にミッションを終えた月面修復チームは、随時地球への帰還を果たすこととなった。

 今日は21番目のシャトルが地球へと降り立つ日。

 了史やドイルも、このシャトルに搭乗していた。


 ○○○


月子つきこ。久しぶりだね」


 帰還から二週間後。

 義務付けられている検査入院を終え、自由の身となった了史は、想い人である月子へと電話をかけた。


『了ちゃん。お帰り!』


 ワンコールで電話に出た月子は、嬉しさのあまり涙声となっていた。

 この二年半の間、自由に連絡を取ることも出来なかった。想いもひとしおであろう。

 

「明日には日本に戻れるから。いつもの展望台で待ち合わせをしないかい? 時間はそうだね……日本時間の午後7時でどうだろう?」

『分かった。展望台に7時だね。絶対に行く!』

「月子と会えるのを、楽しみにしているよ」

『私もだよ』


 無意識とはいえ、互いに「ただいま」や「お帰り」といった言葉は遣わなかった。この二つは、直接顔を会わせるその時まで取っておきたかったからだ。




「今度、俺の家にも遊びに来いよ」

「ありがとうございます」


 日本へと帰国する了史を、ドイルが空港まで見送りに来てくれた。

 彼は明日の便で、故郷であるイギリスへと帰国するという。


「遊びに来る時は、恋人も連れて来いよ」

「告白が成功するといいんですが」

「了史なら大丈夫だ。自信を持て」

「はい!」


 別れ際に、二人は固い握手を交わした。


 ○○○


「ただいま」

「お帰り、了ちゃん!」


 約束の場所である地元の展望台で、了史と月子は二年半ぶりの再会を果たした。

 了史の顔を見た瞬間に月子の顔がうるみ、了史は宥めるように頭を撫でてやる。


「了ちゃんの顔を見れて、安心した」

「僕もだよ」


 二人はベンチに腰を下ろして見つめ合うが、気恥ずかしさのあまり、ほぼ同時に互いに顔を逸らしてしまった。


 ――これじゃあ、今までと変わらないじゃないか! 勇気を出さないと。


 このままではいけないと思い、了史は意を決して切り出す。

 友達以上恋人未満の関係に、今日こそは決着をつけないといけない。


「月子、空を見て」

「うん」

 

 二人で同時に空を見上げた。

 雲一つ無い空には、満月が映える。


「月が綺麗ですね」


 ようやく言えた。

 この台詞を言うために、了史はずっと頑張って来た。

 了史たち月面修復チームの活躍で、月は本来の色味を取り戻し、緑色ではない、美しい満月が天高く輝いている。

 月子の名前の由来でもある月。

 月面が緑一色に染まったのを知った時、月子はとても悲しそうな顔をしていた。

 月子の望む月本来の美しさを、取り戻してあげたい。

 そして、月を元通りに修復出来た暁には、この台詞で月子に告白しようと、了史はずっと心に決めていた。


「よろしくお願いします」


 月子は了史の目を見て、堂々とそう告げた。

 夏目漱石のあの言葉を了史に教えたのは、中学生の頃の月子だ。彼女が言葉の意味を知らないはずがない。


 これは、愛の告白に対する承諾だ。


 了史は嬉しさのあまり月子を抱きしめ、月子も赤面しながらも了史を抱きしめ返した。


「絶対に幸せにするよ」

「私も、了ちゃんのことを絶対に幸せにする」


 二人で肩を並べ、手を繋ぎながら見る満月は、本当に美しかった。

 愛情表現としてだけではなく、純粋な感想としても、あの台詞を言いたくなる。


「月が綺麗ですね」

「月が綺麗ですね」


 二人の声が、想いと一緒に重なった。

 



 了

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