閑話 今はまだ名もなき絵描きの独白
代わり映えのない毎日でした。私はしがない絵描きです。高校までは絵が上手いと持て囃され、校内外、様々な賞をいただいたりしていました。
しかし、美術大学に入るため予備校に通だした頃から「あれ?」と思うようになりました。
基礎のしっかりした同年代。発想力のある先輩。新しい視点を持つ後輩。そして、周囲に埋没している自分。
比べたくないと思えば思うほど、現状を見つめ直して前を向こうと考えれば考えるほど、どつぼに嵌まっていくのが怖かった。
必死になって毎日毎日、何枚も何枚も描きましたが、全くといっていいほど満足のいくものは描けなかったし、当たり前ながら評価もされませんでした。
最初は好きなように作品を描きたかっただけ。そうして生きていきたかっただけなのに、出来が気になるようになってしまった。
慌てて描いているだけなのだから、それも仕方のないことでしょうが。
それに反して周囲はめきめきと画力をつけていき、絵の知識も吸収して成長していくのを私は焦燥と共に見詰めました。
私は何も為せていないのに、周囲はどんどん私を置いていってしまう。私に出来るのは、ただひたすらに筆を持ち努力することだけでした。私の人生にはそれしかないとすら思いました。
描いた絵をビリビリと破り捨てながら、私にはこれしかないのにと涙を流しました。
初めての挫折というにはあまりにも歳を重ねすぎ、救いの手が差し伸べられることはありませんでした。
職員に頼ることも、友人知人に打ち明けることも、家庭環境も良くないせいで親にも進路を相談することもできませんでした。
誰にもこの挫折を知られたくなくて、軽んじられたくなくて、指摘されたくなくて。
人を頼ることも、神頼みすらできなくて。いままで神頼みに報われたことなんて無かったので尚更に。
ええ、神様なんて居ません。そう思っていました。そうして痛いほどに実感しました。
私は、凡人です。どうしようもなく。
その日もいつものように予備校へ向かうために電車に一人揺られていました。
煩雑な車内、スーツを着た大人。着飾り若々しく未来のある十代。眠そうに寄り添った朝帰りの大学生。そして、死んだ魚のような目をした、心底つまらなさそうな顔をした私。
それらの人々が同じように扉の窓に映っている。彼らと私は全く違って、それなのにみんな何も変わらない。
代わり映えのない毎日、美大浪人三年目の春を迎えようという時でした。
「ねぇ、この人知ってる?」
「知ってる知ってる! 昨日ツミッターで話題になってたよね」
「あ、それ俺も見た。よくわかんねぇけど、確かに芸術的だよな」
「そうそう、美しいよね~!」
「この世のものとは思えないよ。格好良すぎて存在がエモって感じ」
若い子達が話しているのがやけに耳について、あの三人ちょっと騒がしいなぁと思いながらも耳を傾けました。
私には関係ない話だと思っていたけれど、これでも芸術家の卵。
芸術的なんて言われて、気になってしまったんです。作品の表現や発想のためにも、刺激は常に求めないといけないのだから。
「何で二人が表紙じゃないのかってくらい目を引くよね」
「指の一本一本すら綺麗でさ~」
「うん。あと、MAKOTOも元々大好きだけど、こんなに穏やかな表情のMAKOTO初めて見た気がする。祐太郎も優しそうな雰囲気だし。もしかしたら仲が良いのかもな」
「わかる」
「それ思った~。ねぇ、祐太郎様のファンになっちゃった。あたし、推すよ」
「様って、笑う。洒落にならないでしょ。ノーブル感あるしね。てか私も祐太郎様推す!」
「様呼びしてるじゃん」
「しちゃう」
「俺も。ってか、祐太郎様SNS始めてくれないかなー」
「ほんとそれ~」
「情報求む。続報プリーズ」
…ゆうたろう、ユウタロウ様?
何となく、本当に何となく、検索してみようと指をコートのポケットにある携帯に滑らせました。
これが、私の分岐点。運命の分かれ道でした。
気がつくと、私は予備校に行かずに駅前の公園でスケッチブックと向かい合っていました。
『祐太郎様』をツミッターで検索して画像を見付けて、その格好よさに、美しさに、優しそうな表情に、圧倒的な存在感と清涼な空気感に気圧されてしまったから。
冷えきってささくれだった心に、じんわりと暖かいものを感じたから。
ずっとずっと、呑まれるように手を動かし続けていたんです。
どう描いたらこの人達を紙の上で生かすことができるのだろう。わくわくして、ああ描きたい、こう描きたいと思いは溢れました。
絵を描くのがこんなに楽しいのは久方ぶりでした。
それから、大好きだったはずのお絵描きすら、何者かになるための手段になってしまっていたことに気がつきました。こんなに楽しい、夢中になれるものだったんだって、ようやく思い出せたんです。
スケッチブックに描き上がったそれは他の誰の習作でもなく、模写でもなく。私の、私自身の渾身の絵でした。
ぼろぼろと拭っても拭っても涙は流れ、目玉が溶けてしまうのではないかというくらい号泣して。
ひとしきり泣いたあとに、色も塗って、仕上げもして、MAKOTOさんのツミッターに送ってみようと思いました。そうと決まれば善は急げと帰宅し、また絵に没頭する。
受験疲れしていた私の心にとって、この出会いはこの上ない救いだったんです。
それから一月足らずのこと、なんと祐太郎様がSNSを始められました。
またお二人の美しい写真、色々な表情を見ることができて、なんて幸せなのだろうと思った矢先。
祐太郎様の新しいツミート投稿があったことを知らせる通知音が鳴りました。
バイトから帰宅してから、集中してずっと行っていたデッサンの手をアッサリ止めて私もすぐに確認しました。そこには、なんと。
『MAKOTOさんを通じて、皆さんが描いて下さった絵や、僕らが描かれた作品を見せていただきました。
貴方が描いた作品はとても眩しく、優しく、あたたかい。
それは僕らが人として無くしてはならない大切なものだと感じました。僕らは感動し、感謝しています。』
ああ、この方は神様のようです。
絵を描くことの楽しさを思い出させてくれただけではなく、一人きりで闘う私のような人間にさえ勇気をくれる。
神様のようだけど、一人のモデルとしてファン一人一人を大切にしてくれる方。
あの言葉が私の作品の事だとしても、そうではないとしても、誰かに想われて、こうして対等に想いを返してくれる人はそうそう居ないのだから。
居るかわからない神様なんて比べものにならない。
祐太郎様に出会ってから、嬉し涙ばかりを流すようになったこの目蓋はまた幸せにふるえました。
祐太郎様に出会えて、推すことができて、私はなんて幸せなんだろうと、胸に染み渡るあたたかさを感じています。
それから幾ばくかの時が過ぎ、今はまだ名もなき絵描きの卵が、自身の神様と仕事で合間見えることになるのは……今はまだ先のお話。
転生したら執事になるそうですー今世が乙女ゲームのメイン攻略対象だった話ー トヲサカ @towosaka
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