第5話 鳥の夢
ぼくたちの軍は、大祖国の領土を取り返し、そのまま新帝国の首都へと進撃を続けた。
大祖国と新帝国のはざまには、かつて「野原の国」と呼ばれていた国があった。
その国は、開戦して早々に新帝国に占領されてしまった。
新帝国軍が撤退していったことで、「野原の国」は、ほんのひとときだけ解放された。
だけど、その国をすぐさま踏みにじったのが、ぼくたちの国の軍靴だった。
勝利を告げる放送が、連日のようにラジオで流される。
国営新聞の「真理日報」は、はなやかな言葉を紙面に踊らせた。
だけど、戦地の兵士たちが、その言葉をどんな気持ちで聞いているのかは、ぼくにも分かる。
敗北することでも、勝利することでも、傷つく人々は生まれ続ける。
ぼくがすべきことは、そこから生き延びた人たちを守ることだ。
+ + +
一九四五年、四月。
ぼくたちの軍は、新帝国の首都を攻め滅ぼした。
このとき、新聞には、廃墟となった新帝国首都の写真が載せられた。
その写真は、ぼくが神学者州街区で見たあの燃え尽きて白茶けた風景に、よく似ていた。
そして、ルサルカは戻らなかった。新帝国首都の攻防戦で、戦死したと報じられた。
彼女の死は、比類なき献身として、至上の名誉で飾られた。
+ + +
戦争が終わってしばらくのあいだ、ぼくは、これからどうすればいいのかを考えていた。
ルサルカに預けられた心をどう遇するか、ということについても。
彼女の存在は、故郷の市民集会場に肖像画が飾られるほどの存在となった。
この国の最高の称号である「市民英雄」に継ぐ、「準英雄」の称号とともに。
彼女の働きによって、彼女の家族も救われた。国賊の裔から英雄の家門へと、その呼び名も変わった。
今となっては、絵のなかでりりしく描かれる彼女を目にすることのほうが多い。
でも、教室の窓辺でやさしく微笑んでいた彼女を忘れてしまうことだけは、したくなかった。
そのうちに、ぼくは再び、歴史と言葉について学ぼう、と思うようになった。
かつて、そのふたつに絶望したのは、「歴史と言葉を学んでも、ひとはかわることができない」と、信じたからだ。
血でしたためられたような、凄惨な歴史を学んでもなお、ぼくたちは争いをやめることができない。犠牲者たちの語った言葉も、遠い叫びとしてぼくたちは聞き逃してしまう。
だけど、ぼくは学んだ。歴史と人間、過去と現在の戦いは、まだ終わってはいない。
だから、ぼくは学ぼうと思う。いつの日か、地に叩き伏せられた人の心を、ふたたび立ち上がるのを助けるための、言葉を。
もう、ぼくには翼はない。
だけど、そうやってだれかの心を争いの大地から飛び立たせることができたのなら、きっと言葉には、翼と同じほどに意味がある。
それもひとつの信仰にすぎないのだということは、胸に刻んでおく。
だけど、ぼくは心の翼を信じよう。
(見ててね、ルサルカ)
鳥人と地上人。たとえ身体は異なっていても、この翼は、きっと変わらない。
ぼくは、そう信じる。
+ + +
地には争いを、空には平和を。
〝鳥〟たる一種族の裔たるわたしたちは、地を馳せるものたちの姿を、ながく見つづけてきた。
あらゆる種が、あらゆる試みによって、地を平らかにおさめようとした。
しかしその試みがついえるごとに、星は砕け、地は荒れ果てた。
あるとき、〝猿〟たる一種族の裔が地をおさめたときのことだ。
かれらは、大地を蹴たてる脚を捨て、地の恵みを拾うための「手」を手に入れた。
そのさきのことは、わたしにはよくわかっていた。
その「手」が、やがて武器を手にするのであろうことを。
だが、手は「言葉」をつかんだ。
やがて言葉は、掌のなかであたためられて孵り、翼と化した。
翼は地を覆い、焼き尽くされたすべてのものをやさしく包み、育んだ。
そして翼は、あらゆるものを乗せて、地を離れた。
わたしたちの住まう空を越えて、さらに高くへ。
翼のひと触れが、わたしたちをかすめて、はるかかなたへと消えていく。
それを、わたしたちは見送った。
はじめての翼が、この世界から巣立っていく。
そして、地には新たなる翼が生まれつつある。
この翼も、どこか遠い理想へと至ることだろう。
地に生まれたものたちの手が、武器ではなく、言葉……理想を掴むのであれば、必ず。
わたしたちは、それを見つづける。
《了》
鳥の夢 谷口 由紀 @yuki-taniguchi
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