あなたの人生を一冊の本にします

澤田慎梧

あなたの人生を一冊の本にします

 ――気付いたら見知らぬ場所にいた。

 今日は金曜日。五日間の仕事で疲れた体と精神を労うために、同僚たちと一緒に場末の居酒屋で愚痴をこぼしながら日本酒と焼酎をしこたま飲み続けるという、「汚い女子会」をやっていたことまでは覚えているんだけど、その先の記憶がない。流石に飲みすぎたかな?

 辺りを見回してみると、どうやらどこかの商店街らしかった。背の低い、古い建物がずらっとのきを連ねていて、いかにも「懐かしい」風情の商店街だ。

 もう深夜なので、どの店もシャッターが閉まっている。人通りもない。やけに薄暗い街灯に照らし出されたシャッター街はどこか不気味な雰囲気があって……今更ながら軽く恐怖心が湧いてきた。

 もうあまり若くないとは言え、こちらはか弱い女子なのだ。こんな人気ひとけも無ければ土地勘もない、裏寂れた場所に一人でいるのは危なすぎる。さっさとおさらばしよう。

 そう思い、バッグからスマホを取り出してみたら……驚いたことに、充電が切れているらしくウンともスンとも言わない。電源ボタンを押そうが画面をタップしようが、スマホの画面は真っ暗なまま、私の間抜けな顔を薄っすらと映しているだけだった。

「困ったなぁ……」

 思わず独り言を呟きつつ周囲を見回すと、商店街の端っこの方に一軒だけ薄っすらと明かりのついている店があることに気付いた。どうやらまだ開いているらしい。

 仕方がない。あの店で道を訊いて……あわよくば電源を貸してもらおう。


 その店は、他の建物と比べてもやけにレトロな外観をしていた。

 木造の二階建ての店で、木の色味からして築年数は軽く数十年を超えているように見える。店の入口の引き戸もアルミサッシではなくて木製。引き戸には曇りガラスがはめ込まれていて、店内の様子は分からない。

『あなたの人生を一冊の本にします』

 看板の類も見当たらないけど、曇りガラスにはこんな文句が書かれた紙が一枚、貼ってあった。

 ……一体何のお店なんだろう? 怪しいと言えば怪しいけど、それ以上に興味が湧いてきた。

 よし、とりあえず入ってみよう。

 まだ僅かに残るお酒の影響もあったのか、私はためらいなく、その店の引き戸を開いていた――。


「いらっしゃいませ。ようこそおいでくださいました……お疲れでしょう? まずはそちらのソファにおかけになって、そのままお待ちください」

 ガラガラと大きな音をたてる割にスムーズに滑る引き戸を開けると、黒い、礼服のようなスーツを着た中年の女性が出迎えてくれた。まるで私が入ってくるのが分かっていたかのような、間髪入れないタイミングだったけど……きっと曇りガラス越しに私の姿が見えていたからだろう。

「あ、あのすみません。私は――」

「ええ、ええ。みなまでおっしゃらなくとも分かっております! さあさ、まずはどうぞお座りになってお待ちください」

「え? ああ、はい……」

 「客じゃなくて、道に迷っただけなんです」と告げようとするも、やけに強い店員の「圧」に負けて言い出せず、大人しく座ってしまう。……私、なにやってるんだろう?

 そう言えば、お酒のことを抜きにしてもやたらと体が重いし頭もぼうっとする。秋の夜風のせいで、風邪でもひいてしまったのだろうか? ちょうどいい、少し休ませてもらおう。そう割り切り、ソファに深く体を沈み込ませる。

 ――そのまま、店内の様子をそっと窺う。外観から感じたより中は広かったけど、古めかしさの方は外観通りだ。

 入口側は広い土間になっていて、そこはコンクリートだか三和土たたきだかで覆われていた。私が腰掛けているものも含めて、ソファが三つ土間の上に並べてある。

 店の奥の方は一段上がった畳敷きの広いスペース。座布団が何枚か並べられ、今は客らしき年配の男性二人が、こちらに背を向けてその上に座っていた。一人はやけに痩せ細っていて、きちんと正座している。もう一人はその二倍くらいの太い体の持ち主で、だらしなく足を伸ばしていた。

 そしてその更に奥。床の間のようなスペースに、「それ」はあった。


 一言で言ってしまうと、「それ」は巨大な木製の箱だった。大人が一人くらい入れそうな大きな箱だ。

 箱の中央あたりには、カメラのレンズらしき円筒形のものが取り付けられていて、一番下には四角い穴がぽっかりと口を開けている。箱の向かって右側には、手回し型のクランク・ハンドルも付いていた。

 何かの装置らしいけど、一体なんだろう? 無駄に巨大なカメラにも見えるけど……。

「――お待たせいたしました。斉藤様、斉藤三郎様。装置の前までいらしてください」

 いつの間にか畳の上に移動していた例の女性店員が、先客の一人に声をかける。その声に、先客の内、痩せている方の男性がよろよろと立ち上がった。顔は見えないけど頭は見事に禿げ上がっていて、かなりのご高齢に見える。

 斉藤と呼ばれた男性が装置の前に立つと、店員がおもむろにハンドルを回し始めた。ゆっくりと時計回りに、グルグルグルグルと――。

 ――ガションガタンゴトン、ゴゴゴゴ、ガガ、ギコン。

 装置はハンドルの回転に合わせて、なんとも言えない味わい深い音を奏で始める。ただの動作音のはずなのに、どこかオルゴールを思わせるリズムで、不思議と不快感はない。

 そして、それが三分くらい続いた頃だろうか? 不意に「ゴトン!」と大きな音がしたかと思えば、装置に開いた四角い穴から、何かが飛び出してきて、斉藤さんの足元まで滑っていった。


 ――それは一冊の本だった。

 遠目にも分かる質素な、飾り気のない文庫本だ。流石に遠すぎてタイトルまでは分からない。

「どうぞ、お取りください」

 店員に促されて、斎藤さんが足元の本を手に取り、静かにめくり始める。

 静かな店内に、パラパラと斉藤さんが本をめくる音だけが響く。そして――。

「なるほど、短歌ですか。これは、私の人生の様々な場面を、短歌にしたものですね。……思えば、私の人生は常に短歌と共にありました。妻へのプロポーズにも短歌をしたためたものですが……。ああ、すっかり忘れていました。

 結構なものを……ありがとうございます」

 穏やかな、深い納得を感じさせる声で、斎藤さんが店員にお礼を言った。そしてこちらに振り向くと、太っちょの男性と私に向かって「では、お先に」と一礼し、店の奥の方へと姿を消す。

 はて、帰るのに何で店の奥に……?


「――では、続きまして。金本様、金本喜一郎様。装置の前までいらしてください」

 次に呼ばれたのは太っちょの男性だった。その大きな体を揺らしながらゆっくりと立ち上がり、億劫そうに装置の前へと進む。

「君ぃ、きちんと私に相応しい本にしてくれるんだろうね? さっきの人みたいな貧相な文庫本じゃ困るぞ。○×商事の創業者たる私にぴったりの本を頼むぞ!」

「……私共はお客様の人生を本にするだけでございますので」

 やけに偉そうな金本さんの態度に、店員がかしこまる。それを見て何を思ったのか、金本さんはフンッと鼻を鳴らして改めて装置に向き合った。

 ……なんだか偉そうで嫌な感じの人だ。○×商事と言っていたけど、確か一昔前にそんな名前の消費者金融が幅を利かせていたような?

 ――ガションガタンゴトン、ゴゴゴゴ、ガガ、ギコン。

 店員がおもむろにハンドルを回し始めると、再びあの小気味良い音が店内に響き始めた。金本さんの態度は不愉快だったけど、この音はなんとも心地よい。

 ややあって、再び「ゴトン!」という音がして四角い穴から本が飛び出してきた。

(うわぁ……)

 その本を見た瞬間、見てはいけない物を見てしまったかのような、そんな気分に襲われた。

 出てきたのは文庫本ではなく、ハードカバー本だった。しかも装丁がやたらと凝っている。

 表紙にはデカデカと「金本喜一郎」という金文字が鎮座し、その周囲には色とりどりの宝石が散りばめられている。

 布製の表紙が所々光っているのは、金糸だか銀糸だか何かを織り込んでいるからだろうか? とにかく過剰な装飾が目立った。

「ほうほう、こいつは立派な装丁じゃないか! ――んん? おい君! これはどういうことだね!?」

 本を手に取った途端、金本さんが店員に対してがなり始めた。何か不満があったらしい。

「この本……装丁は立派だが、あまりにも薄すぎないかね!?」

 そう言って金本さんが本を店員に突きつける。それでようやく私にも分かったのだけど、確かにその本は装丁の立派さに比べてあまりにも薄すぎる。ページがほんの僅かしかないようで、本というよりは高級料理店のメニューみたいな感じになってしまっていた。

「これが……こんなものが、私の人生だと言うのか!?」

「私共はありのままをお作りするだけでございますので……どうぞ、中をご覧ください」

「中だって? こんなたった数ページで私の人生を――むっ? むむむむ? こ、これはっ!?」

 渋々と言った様子で本を開くと、金本さんの顔色は一気に赤から青へと変わっていった。表情もどこか、しぼんだような元気のないものになっていく。

「……ああ、なるほど。確かにこれは、私の人生そのものだな……。怒鳴ってすまなかったな。この本は、ありがたくいただいていくとしよう……」

 最初の勢いはどこへやら、金本さんはすっかり肩を落とすと、とぼとぼと店の奥へと姿を消していった。


「――お待たせいたしました。三井様、三井千尋様。装置の前までいらしてください」

 そして遂に私の番がやってきた。……って、あれ? 私、店員に名前を教えたっけ? ふとそんな疑問が浮かんだけれども――

「ささ、どうぞ」

店員の「圧」に押されてしまい、私は何も聞けぬまま靴を脱いで畳の間へと上がり、装置の前に立った。

 それを見届けた店員は、何やら満足げに頷きハンドルを回し始める。

 ――ガションガタンゴトン、ゴゴゴゴ、ガガ、ギコン。

 三度目となる例の音が店内に響く。果たして、私の人生はどんな本になるのか……? 期待とも不安ともつかぬ想いを抱きながら、私は本が出てくるのを待った。しかし――。

 ――バサバサバサバサ!

 先程までとは異なる音が響き、四角い穴から大量の何かが飛び出してきた。

 よく見ればそれは、「紙」だった。しかも白紙の。A4位の大きさの白紙が、次々と飛び出してきたのだ。……装置が故障でもしたのかな?

「これは……ああ、なるほど。三井様、どうやら『事情』が変わったようです」

「事情が変わった? ええと、どういうことですか?」

 訳が分からず尋ねる私に、店員はしかし、何も答えずそっと出入り口の方を指さした。

「夜が明けたようです。お早く、お帰りになられた方が良いでしょう」

 見れば、曇りガラスの向こう側には既にまばゆい光が差していた。いつの間にか夜が明けていた……? いやいやまさか、私がこの店に入ってから、まだそんなに時間は経ってないはずだけど。

 狐につままれたような気持ちを抱きながらも、再び店員の「圧」に負けた私はスゴスゴと出入り口の方へと向かう。訳が分からない。頭がぼうっとする。体がなんだか、熱い。

 ――ああそうだ。早くこの店を出ないと。早く家に帰らないと。

 突如として湧いた、そんな使命感とも焦燥感ともつかぬ感情に突き動かされるように、引き戸に手をかけ一気に開く。途端、まばゆいばかりの光に視界が真っ白になり――

「またのご来店をお待ちしております。どうか、良き本となる人生を――」

最後に、店員のそんな声が聞こえた気がした。


 ――気付いたらベッドの上に寝ていた。

 まず目に入ったのは見知らぬ白い天井。そして周囲で忙しなく動き回る白衣の人々……どうやらそこは病院の一室、しかも集中治療室らしかった。

 医者や看護師の話によれば、私はベロンベロンに酔っ払った挙げ句どこかの階段から派手に転げ落ち、そのまま救急車でこの病院へ運び込まれたのだという。

 強く頭を打っていたとかで、脳の周囲に血が溜まり、一時は危篤状態だったんだとか。たまたま脳外科手術の経験が豊富な先生がいて、その先生の処置ですんでのところで助かったのだと、看護師さんが話してくれた。

 そのまま一週間ほど意識不明の状態が続き、先程ようやく目覚めたというわけだ。

 医者の話では、今のところ脳に大きな損傷な見られないけど、今後再出血しないかどうか、記憶や言葉、体の動きに異常が出ていないかどうか慎重に経過観察が必要なため、長期間の入院が必要だという。

 なんだか大変なことになってしまったけど、まあ、死ななかった分だけ運が良いのかもしれない。

 ……それに、意識を失っている間に面白いものも見れたし。

 見知らぬ商店街に佇む『あなたの人生を一冊の本にします』とうたった、あの店。そこで出会った二人の男性と、彼らの人生を形にしたという二冊の本。

 あれは、混濁した意識が見せた幻と言うには、あまりにもリアリティのありすぎる光景だった。引き戸を開ける間隔も、腰掛けたソファの感触も、中年の女性店員の声も、そのどれもがクリアな記憶として頭の中に残っている。

 もしかするとあれは、いわゆる「臨死体験」というやつだったのかもしれない。


 ――目覚めてから数日後、短時間だけスマホをいじる許可をもらった私は、ずっと気になっていたことを調べ始めた。

 「斉藤三郎」と「金本喜一郎」、この二人の名前をネットで検索してみたのだ。

 残念ながら斎藤さんの方はめぼしい検索結果は出なかったけど、金本さんの方は……確かな情報が見つかった。

『訃報:金本喜一郎氏(享年76才)。元○×商事(清算済み)社長』

 新聞社のニュース記事に、とても短い訃報が載っていたのだ。亡くなった日は、私が階段落ちしたのと同じ日付だった。

 ○×商事は、かつてはテレビCMも沢山打っていた消費者金融だったけど、確か十年以上前に倒産していたはずだ。残念ながら社長の顔写真などは見付からなかったので、私が見た人が本当にこの金本喜一郎だったのか、確かめようはないんだけど……。

 金本さんの人生を形にした本は、立派な装丁だったけどやけにページが少なかった。それを目にした金本さんは、最初は怒っていたけど、中身を見た途端に物凄くがっかりして――でもそれ以上に何かに納得して、店の奥へと姿を消していった。

 ……一体、あの本には何が記されていたんだろう? 斎藤さんの本には、彼の人生の様々な場面を短歌にしたものが記されていたらしいけど。

 そしてもし、私の本があの場で出来上がっていたら、一体どんな本になっていたんだろう?

『またのご来店をお待ちしております。どうか、良き本となる人生を――』

 あの店員の最後の言葉が蘇る。「良き本となる人生」と言われても、それはどんな人生を指すのやら全く見当もつかない。

 まずは、きちんと体を治して、社会復帰して。人生のあれこれについては、それから考えよう――。

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