第8話 代々木公園のマクベス

 

 約一週間後に控える演技の授業では男女ペアを組み、披露をする演目は、シェイクスピアの「マクベス」。

 昨日、田井中達の漫才を見て感動した渡辺は、相手役の湊翔子みなとしょうこに急いでラインをし、練習時間を多めに取ろうと約束をした。

 渡辺はマクベス役で、湊はマクベス夫人の役。護衛二人をマクベスが殺害し、戻ってきた後の一連のシーンを授業で披露する。

 渡辺は練習用に、段ボールとアルミホイルで短剣を作り、台詞も全て頭に叩き込んだ。


 そして練習の日。

 渡辺は代々木公園の売店近くで待ち合わせをしていた。


「ごめ~ん渡辺君~遅れちゃった~」


 湊が整っていない髪を手でとかしながら、へらへら笑いつつ謝ってきた。二十分遅刻してきた彼女を渡辺は叱ろうとしたが、のほほんとした表情に叱る気が失せ、


「…いいよ。無理言っちゃってごめん」


 と言って気にしていない様に振る舞ってしまう。


「そんな無理だなんて…私、今回不安だったから、渡辺君が誘ってくれて助かったよ」

「俺も余り練習せずにやったら、絶対失敗すると思ってさ」

「分かる~でもさ、ここだけの話、みんなそんなに練習してないっぽいよ」

「そうなの?」

「みんな器用でいいよね~」

「(それは違うよ湊さん。みんな本気でプロを目指していないんだ)」

 

 渡辺は昨日の漫才をふと思い出す。養成所の多数の生徒達みたいに一切噛んだりもせず、あたふたもせず、何より顔つきだって違うプロの仕事。声優とお笑い、やっていることは違うが、プロとアマの違いぐらいはあの動画で一目で分かってしまった。


「私不器用だからさ~」


 と湊は自虐的に言う。彼女は歌、ダンス、演技は際立って上手くなく、全部凡だった。唯一の取柄は顔が可愛いぐらいだった。

 しかしそんな自分を変えたいと、躍起になり努力をすることは無く、同じクラスの木村と付き合っていたり、前回の演技でペアだった川田の話を聞くに、練習嫌いで、言い訳をしてサボっていたこともある。

 結果今日も遅刻をしており、彼女が本気を出していないのは明らかだった。

 しかし、渡辺は相手を悪く思っても仕方がないと、自分を律して、今からでも練習をしないとライバルに勝てないぞと言い聞かせる。

 たった二十人しかいないクラスでも、真面目にやらなければ最下位になってもおかしくはない。

 

「(たった二十人。されど二十人。少ない数でも、佐藤さんみたいな真面目な生徒達もいる。すぐに席を奪われることもあるんだ)」


 そう思いながら、渡辺は無言で練習場所まで歩いていった。


 ◆


 歩いている途中、湊が声を掛けてきた。


「渡辺君、何処でやるの?」


 と聞かれ、渡辺は周りに人がいない、木々に囲まれたベンチを指し、


「あそこのベンチに座ろう。まずは台本無しで台詞合わせしようよ」


 と、提案すると、


「え…」


 彼女の顔が青ざめていく。


「どうしたの?」

「ごめん私覚えてない…」

「え?」

「ちょっとバイトとかで忙しくて、台本を覚える時間が…」


 渡辺は川田が言っていた、言い訳をするということが分かった気がした。彼女は自分が可哀想なのとでも言いたげな、弱弱しい表情を見せつける。


「…台本覚えてきてねって俺ラインで言わなかったっけ?」


 渡辺は、そう言った自分の声の低さに内心驚く。


「ご、ごめん渡辺君」


 湊は予想外の渡辺の不機嫌さにますますビクビクした表情になっていく。

 渡辺は、これじゃあいじめみたいだと、余り気持ちいいものではなかった。


「…いいよ、台本見ながらでも」


 渡辺の本音はこんなことを言いたくは無かった。


「本当にごめんね」


 彼女の表情に明るさが戻っていく。渡辺は今のやり取りで、先が思いやられる予感がした。

 

 渡辺は、歌とダンスの授業は怒られっぱなしだが、演技だけは先生に気に入られているのか、怒られることは少なく、何より自信があった。

 昔から、映画を見ることが好きで、一人の部屋でこっそり、俳優さんになりきって演技をしていた。それは、いじめられていたことを忘れる為の現実逃避だったのかもしれない。それでも演じている間、自分が自分ではなくなる快感があり、他の人物になれる時間がとても好きだった。


 ◆


「どうしてまだ短剣を持っているのです…あの護衛に血を擦り付けないと」

「俺はいかん!また俺にあのおぞましい残骸を見ろというのか!」

「いくじのない。短剣を貸しなさ…あ」


 湊は台詞を言う前に風が吹いてしまい、台本のページがパラパラと捲られ途中で演技が終わってしまう。


「ごめんね。渡辺君」

「ううん。いいよ」

「…渡辺君、結構上手いよね」

「え、そう?」

「うん。私、足引っ張ってるよ」

「そんなことないよ。上手いじゃん」


 正直に言えば、彼女は声も小さいし、台詞は覚えないし、素人以下の実力だった。でも、そんなことをはっきり言っても、メンタルが弱そうな彼女に言うべき言葉ではないし、何よりアマの自分が言うことではないと判断し、お世辞を言った。


「…あのね、今日、圭君にぶたれたの」


 唐突になんだ…と渡辺は呆れる。

 圭君という言葉に一瞬誰だとなったが、同じクラスの木村圭きむらけいのことだと分かり、今度は彼氏の愚痴かよと、面倒くさくなっていた。


「湊さんにいいことを教えてあげる」


 渡辺は、愚痴が長くなる予感を察知し、次の一手を考えていた。湊の肩を掴み、振り向かせる。


「今君はマクベス夫人なんだ!」


 嫌なことは演技をして忘れる。渡辺が小さい頃からやっていた逃避術。彼女にはそれが必要だと思った。


「圭君のことは忘れろ!」

「…」


 彼女は険しい顔をして黙る。それでも渡辺は熱弁する。


「この演技に集中して評価されたら、声優になれるかもしれないんだよ?」

「…」


 彼女はまだ険しい顔をしている。


「圭君よりも百倍イケボで、イケメンで、高収入のたけ内蓮うちれんと付き合えるかもしれないんだよ?」


 竹ノ内蓮とは最近人気のイケメン若手声優だ。

 そんな夢物語を言うと、彼女が反応をする。


「蓮様と?」

「冷静に考えろ。圭君と蓮様どっちかと付き合えるって言ったらどっちと付き合う?」


 と渡辺は質問をすると、


「蓮様!!!」と、彼女は即答した。


「だろ?今は糞DV男のことは忘れろ!」

「圭君はDVなんかしてない!!!」

「…(やば地雷踏んじゃった…)」

 

 渡辺はインターネットの記事で、DVをされている女性は自覚がない人が多いという表記があったことを思い出し、後悔する。


「と、とにかくもう一回合わせよう。台本読んでいいから、ね?」

「…」


 彼女は不機嫌になってしまい、仕方なく謝ることにした。


「悪かったよ。でも、湊さんも声優になりたいんだろ。北海道から上京してきたって、川田から聞いたけど、そうやって苦労して出てきたんだし、叶わなきゃもったいないだろう」


 そう言うと、彼女は俯き、考え込む。


「このマクベス夫人、台本見て分かるだろうけど、マクベスより上をいく野望のある人なんだ」

「…」


 彼女は台本をじっと見始めた。


「北海道から上京するなんて、並大抵の意思じゃなきゃ出来ないと思う。俺なんて埼玉から来たからさ、湊さんは凄いよ。俺やっぱりどっかで甘えの部分が出ちゃうし…つかいつでも帰れるしな」


 湊は台本を開き、見始める。話を聞いているのかも分からない。

 しかし渡辺は話を続ける。


「俺、この間プロのものを見て、やっぱりすげえなって思ってさ。辛いけど、人に影響を与えるものを作るには、人より努力しないと駄目なんだと思う」


 そう言うと、湊は台本をそっと閉じた。


「まだ時間はある。俺達のペースでベストを尽くそうよ」


 渡辺は彼女に向かって笑顔でサムズアップをすると、彼女は再び渡辺に顔を向けた。


「私本当は…」

「ん?」


 彼女はゆっくり口を開いた。


「蓮様と付き合いたい!むしろ結婚したい!圭君なんて大嫌い!!声優になりたい!!!」

「野望あるじゃん湊さん!」


 元気になった彼女を見て、演技が再開出来るという安心感と共に、あー女ってめんどい…と渡辺は呆れていた。

 そして二人は真剣に取りかかり始めたのだった。

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下克上漫才師 北乃ミエ @kitano-mie001

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