久遠ノ断章

 長ったらしい、へたくそな独人ひとりがたりを締めくくって、わたしは伏せていた顔を上げた。ちょうど、初めて会った日と同じように、テーブルを挟んでギィと向かい合っている。でも、あのときと違って、花茶とビスケットの用意はされていない。

 ギィは目をつむっていた。背筋をピンと伸ばし、腕組みをしたままだから、眠っているわけではないだろう。

 息の詰まるような沈黙が漂う。

 わたしは、これからギィが発する言葉をあれこれ想像して、勝手に戦々恐々とした気分になっていた。

 怖い。とか。気持ち悪い。とか。おぞましい。とか。金になるぜ、その力は。とか。

 優しいギィが、そんなことを言うはずがない――と確信できるほど、わたしは幸福な人生を歩んでいない。わたしの力を知る人も、知らない人も。わたしから離れていかなかった人間は、今まで、ひとりだっていなかった。

 やがて、たっぷりとした静寂を堪能しきったかのように、ギィがゆっくりと目を開けた。

「興味深い話だったよ」

 その声音は、いつになく真剣で、厳かだ。

「未知の宗教。奇怪な思想。大自然のことわりを冒涜するかのような、神秘の力。望むと望まざるとにかかわらず、それを持って産まれてしまったメルの、悲運と苦悩。……聞いたことぜんぶ反芻はんすうして、おれが心に抱いたのは――」

 ギィが、胸に手を当てる。

「やっぱり、恐怖と……卑しい好奇心だった」

「いやだ……」

 震える声で、わたしは反射的につぶやいた。

 聞きたくない。その先は、もう。

 耳が、かぁっと熱くなる。心臓が早鐘を鳴らす。視界が、いびつに捻じ曲がる。全身の毛穴から気力が抜けて、霧散していくかのようだ。逃げ出すことすらできそうになく、わたしはただ深く深く、こうべを垂れた。

「……ていうのが、1割。単なる一般人パンピーとしての、おれの内心。

 残りの9割は――おれの内心は、別だ」

 ああ――灯った、と感じた。何が灯ったのか。どこに灯ったのか。言葉ではとても説明できない。でも、ギィの言葉を聞いた瞬間、どこかに、何かが灯ったのだ。


「知ったこっちゃないね。知ったこっちゃないんだ。

 ねえ、メル。おれはきみが大好きだよ。出会ってから、まだ一ヶ月も経っていないけど、この想いに間違いはないって確信できる。

 他人ひとと接するのが苦手で、名乗に変てこな口上を使っちゃうきみが好きだ。

 お手製の花茶をおれに褒められて、うれしそうに頬笑ほほえむきみが好きだ。

 口から飛び出た肉のかけらを、慌てて隠蔽しようとする、おっちょこちょいなきみが好きだ。

 星空の魅力と自分の魅力を、実はちょっと本気になって比べちゃう、お茶目なきみが好きだ。

 きみとふたり、大自然に囲まれて、楽しいことを共有する時間が好きだ。

 おれを救ってくれた、きみの、きみだけの力が好きだ。


 弱いおれが、どんなにメルを否定しても。

 メルとの絆に支えられた、強いおれが、ずっとメルを肯定し続ける。

 だから、さ。これからは、ふたりで狩りに行こう」


 耳が、かぁっと熱くなる。心臓が早鐘を鳴らす。視界が、いびつに捻じ曲がる。全身の毛穴から気力が抜けて、霧散していくかのようだ。

「……ふしぎ」

 うれしくて、幸せでたまらないのに、怖くて、悲しくてたまらなかったさっきまでと、まったく同じ反応を身体が示している。

 違うのは、身体じゃなくて、心。春の陽ざしをたっぷりと浴びた、清らかな小川のように、心がほんのりとあたたかい。

 長い、長すぎる人生の中で、初めて味わう感覚だった。

「……ねぇ、ギィ」

 うまく伝えられないかもしれないけど。

 まっすぐな言葉をくれたあなたに、わたしも、まっすぐな言葉で返したい。

「わたしは、わたしのことが大嫌い。この醜悪な力も……ギィが挙げてくれた、おっちょこちょいとか、お茶目とかの性格も、昔から、みんなみんな大っ嫌い。

 ――でも。ギィが、そうやって『好きだ』って言い続けてくれたら、わたしも少しは、わたしを好きになれるかもしれない。だって……」

 言葉が、のどに引っかかる。息を吸うことも、吐くこともできなくて、今にも倒れてしまいそうだ。

 彼方の光明にすがるように、視線をギィの顔に向ける。その瞳は、がんばれ、と。負けるな、と、わたしを激励しているように見えた。


「だって、わたしは……ギィのことが、大好きだから」





「宣言。今日から、日記をつけます」

「なんでいきなり……」

「文章を書く練習になるし。――なにより、メルと過ごす時間を、形にして残しておきたいからね」

「そっか」

 相槌をうちながら、窓の外の夜空に目を向ける。

 白くかがやく片割れ月が、わたしたちを静かに見守っていた。

「ノート、いくらあっても足りないだろうね」

「そりゃそうだよ。ずっと、ずっと続いていくんだから」

「……うん」


 ずっと、ずっと続いていく。永久とわに――。

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片割れ月に捧ぐ篇章 原城鯉一 @writerY

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