冥府


 ドヴァから送られてきた文字データがフェイスプレートに映しだされた。



“記入者=ハリー・アルトフィールド”

“日誌◯月◯日20:15”

“僕も彼女のところへ行こうと思う。それしか道がない”



「それだけ?」

「それ以前は別メモリに記録させてた様ね」ネビュラが残念そうに言った。「それ以外の記録メディアは全部焼け焦げてるの。再現はほぼ無理だと思う」


「ハリーは着陸艇で冥王星に向かってる。真上に向かって。もしかしたら冥王星の瞳孔辺りに着陸しているかもしれない」とシューがが言った。



 謎だけがどんどん増えていく。


「これ〈ガガッ〉ら着陸艇を〈ガガッ〉収して詳細デー〈ガガッ〉調べる」シューカの声が割れていた。


 見上げるとカロンの中央付近にキラリと光るものが見えた。


 知子の心にわだかまっていた孤独感がガス抜きされるように縮んでいった。




「冥王星の重力場が強いわ」シューカの声は緊張を隠していた。「核融合スラスターでなんとかなりそう」


 すると、あの輝きは核融合スラスターを噴出させている光なのか。


 その光はゆっくりとカロンの“眼”の中央部へ移動していた。


 その光景を見ると、孤独が安堵に変わってきた。知子は身体にアドレナリンが流れ出すと共に緊張が緩和されるのが感じられた。


 その時、大地が脈動した。


 揺れたわけではない。光ったのだ。


 超電導の光の蛇が太くなり、長くなり、毛細血管のようなその触手を大きく広げだしたのだ。


 青白い雷光は大きくなっては小さくなり、それは動物の脈動のようだった。


「な、何?」


「光ってるわ、トモ。そっち、すご〈ガガッ〉」ノイズが酷くて誰の声か解らなかった。


 雷の筋は知子の前方、東の方へと伸びていた。小さな電光の支流は東に向かうに連れ、隣の電光と融合し本流となって”眼”の中心と思われる方向へ流れていた。怒涛の奔流のように。


 そして、地平の彼方で紫がかった光の矢が、糸のように細い光の矢が垂直に伸びていった。伸びていった先は……。






「ピカッ!」





 溢れるような光の洪水が空に広がった。


 途端にフェイスプレートが真っ黒になり遮光した。


 核爆発だ。


 音も衝撃もなかったが、それは当然のことで、核反応を確認するまでもない。


 フェイスプレートが段々透明になり、外が見える様になっても、核の光はカロンの眼の真ん中で光っていた。



「ああ……」

 知子は崩折れて跪いた。


(シューカ、ネビュラ……)叫びたい気持ちはあったが、全く言葉に出来なかった。



 気が付くと大地に這う超電導の乱流は静まっていた。






 知子は途方に暮れた。



 帰還できる唯一の手段を失ったのだ。

 希望をもてるのはハリーだけだったが、ハリーが乗ってきた着陸艇では土星までの十分の一までも行きつけない。


 せめてドヴァが今までのデータを地球か土星衛星系に送ってくれたら。

 電波やレーザーの通信は確実に届かないのは既に分かっていたから、データカプセルを放出してくれたなら、自分達が見聞きしたことは地球に伝わるだろう。


 仮にレーザ通信が地球まで届いたとしても、救助隊が来るまでには数ヶ月が掛かるだろう。


 それまで生き続けることは出来ない。


 知子は腕のパッドで酸素の残量を調べた。

 激しい運動をした所為か、百時間も残っていない。



 途方に暮れていると、前方でまた影が動いた。

 焦点を合わせるとすぐに氷塊の影に隠れてしまう。


“影”は東の方へ誘っているようだった。


「いいわ。付き合おうじゃないの」

 知子は立ち上がり、”影”が向かう方向へ歩き出した。


(ハリーの着陸艇もそっちに向かってたんだから、そっちに向かわない理由はないわ)


 知子は身体をしならせ、獲物を追う肉食動物のように跳び出した。


(せめて、アンタが何物なのか見極めさせて頂くわ)




 知子の跳躍は果てしなく続いた。


“影”は近づくと、あっという間に後ろに飛び去り、知子をあざ笑うように体を揺すってはまた後ろに飛び退ってしまうのだ。


 三時間以上跳躍を続けていると流石に疲労困憊になり、知子は氷の大地に跪いた。

 サーモスタットがギィギィ悲鳴を上げているのが背中伝いに聞こえてきた。




 もう、これ以上動けない。覚醒剤を注入しようか。


 そう思っていると前方にひしゃげた鉄板のようなものが見えた。明らかに人工物だった。


 知子は這うようにしてその人工物に近づいた。



 EVAスーツだった。



 内部まで極低温に晒され、カチカチになったそのスーツの胸には儀一郎の名と認識番号が刺繍されていた。


 しかし、スーツは空っぽで、義一郎の体はない。知子は周囲を見回して義一郎の身体があるのではないかと必死で探しまわったが、遺体どころか血痕すら見当たらなかった。


 この環境でEVAスーツを脱ぎ捨てることなどあり得ない。





〈ソロソロセンタクノトキジャナイ?〉頭の中で香織の声がした。


 知子が首を振り回して周りを見ると、正面に香織が立っていた。


 しかも、EVAスーツもなしに、白いワンピースを着たままで。


「かっ、香織、アンタ死んだの?」


 香織の”影”に駆け寄ると、その影はふっと消えた。



〈シンデナイワ。シンデハイルケド〉

 頭の中でまた声が聞こえた。


「どういうこと!?」


〈ココニハ、ニューロトシナプスガアルノ。タンソセンイトチョウデンドウガモタラシタキセキガ〉


「何を言っているの?」


〈コノワクセイハ、ニンゲン脳ヲコピーシテ、ワクセイニ、記録スルコトガデキルノヨ〉


 知子は脈動する大地の記憶を思い出した。

 そしてストレルカⅡが核爆発する姿も……。


「シューカとネビュラを殺したのは何故?」


〈カノジョタチハ、カロンニショウカンサセタノ。ココマデハトオスギルカラネ〉


 知子は怒りで心が爆発しそうになっていた。


 よりにもよって、好きだった香織がこんな事をするなんて……。皆を返してと言いたかった。


 知子は香織に駆け寄って殴りかかろうとした。


 しかし、香織の姿はフッと消え、その先には巨大な穴が開いていた。



 直径は十キロ以上、深さは数百メートル、いや、数十キロもありそうな広くて深い穴だ。


 これが冥王星の”瞳孔”だろう。


 地の果てまで続く穴だった。



 その穴の縁に跪き、その奥を覗いてみた。



 少し離れた所にアディーンの着陸艇の残骸が見えた。


(ハリー……)


 全て、希望はついえてしまった。


 絶望に押し潰されそうになった時、香織が現れた。




 香織は縦坑の壁に直立して立っていた。

 白いワンピースで腰まである長い黒髪を靡かせていた。


「アンタが全部奪ったんでしょう!」知子はヘルメットの中で叫んだ。「アンタは何時だってなんでも手に入れられたのに、これ以上どれほど奪うの!」


〈ワタシハナニモ得テイナカッタ〉


「嘘!嘘!アンタは何でも手に入れていた!」


〈ワタシハナニモテニレテナイ〉香織の声は悲しげだった。


「私に比べれば、ずっと手に入れていたわ!」


〈ワタシハアナタトオナジ。ナニモテニイレラレナカッタ〉


 知子は言葉を失った。


〈ワタシトアナタハオナジ。ダカラアナタヲショウカンシタノ。ワタシトトモコハメイオウセイトカロンノヨウ〉



 知子には全て分かっていた。


 この惑星が人のニューロンをコピーして保存する作用があるのだと。


 それをやってのけたのは香織だろう。この惑星に身を委ねればヒトの思考や記憶は惑星に転写され、香織や儀一郎、ハリーの魂と融合するのだろう。


 巨大な穴を見下ろしていると、「香織」は壁を蹴って穴の中央に漂い、ゆっくりと背中から降下していった。


「そう、判ったわ。ダンスを踊りましょう」


 知子は思い切り大地を蹴って穴の中央に飛び込んだ。


 身体がゆっくりと降下していく。


 数千メートルの地の果てに向けて。



 重力が小さい為にゆっくりと降下しているが、これだけの高さがあれば、やがて致命的な速度に達するだろう。


 自分は香織達の自我と融合して冥王星の知性になるのだろうか。


 それは全くわからない。


 しかし、これしか術がなかった……。






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 ストレルカⅡが消息不明になった後、ホーキング航行の計画は頓挫したが、その五年後、ストレルカⅡが射出したデータカプセルがタイタン警備隊によって捕捉され、ホーキングドライブの安全性が実証され、人類はアルファ・ケンタウリやプロキシマ・ケンタウリ等の外宇宙への航行が当たり前となった。



 しかし、未だ再び冥王星探査がされることはなかった。









 Eine Widmung für unserem Chaos Klub

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冥府の星々 相生薫 @kaz19

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