孤独の果て
ハーネススラスターを使用したものの、減速はうまくいかず、着地は散々なものだった。
たかだか五十キロにも見たない速度だったが、その速度がEVAスーツを着てても人間には致命的な速度だと改めて気付かされた。
急流のように流れる大地。薄暗い空に探照灯の光りに照らされて露わにされる大地が流れる様子は嫌でも恐怖を呼び起こす。
鉄板のように硬い大地に全身を打ち据えられて、転げまわった。
打ち身は激しいものの、骨折はないようだ。しかし、スラスターはパイプが全てネジ曲がっていたので、仕方なくハーネスを外して捨てた。
一キロほど先では墜落したゾンドが爆発し、真っ赤な炎を噴き上げた。酸化剤と純粋酸素がゾンドにまとわりついて真空中にも拘らず炎を噴き上げたのだ。
体中の痛みをこらえて知子は立ち上がった。
ドヴァからの通信回線は途絶えていた。既にカロンの裏側に行ったのか、遠すぎてスペースダストに遮られているのか、定かではない。
知子は冥王星の只中でたった一人となってしまった。
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緊急救護プログラムに従うなら、この場から動いてはならない。そんなのは常識だ。
しかし、知子の視界の隅でスッと動く影が見えた。
焦点を会われると忽ち姿を隠してしまう。しかし、視点の隅では知子に手招きをしてるような感じがしていた。
「香織?香織なの?」真空中では音が伝わらないのも忘れて知子は叫んだ。
そんな訳はないと思いながら、そうであって欲しいという気持ちがあった。儀一郎なら尚いいのだが、あの影のしなやかな動きは男のものではない。
「香織でしょ?」
勿論、答えはない。
知子はその影を追って歩き出した。救命信号のスイッチを付け、これなら動いても見つけてもらえると確信して歩き出した。
影は炭素樹木と大きな岩の間に隠れながら、知子を誘っていた。
背中の発電機関が唸りを上げるほど冷たい世界に生命体が住めるはずはない。
(それに香織の影のようなものが向かった先は東の方角だ。東側に言ったほうがカロナを回ってきたドヴァに近くなる)
「いいわ。あんたが何物なのか確かめてやる。絶対に香織なんかじゃない。ましてや儀一郎なんかでは……」
冥王星の大地は超電導の電光が這いずりまわっていた。
それは脳内を駆け巡るニューロンのようで不気味な生命力を誇示していた。
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二時間ほどすると着陸艇からデータ送信があった。
フェイスプレートに映ったのは少しひしゃげて不時着したアディーンの姿だった。ひっそりして誰かが活動している気配は全く無い。
ドヴァに連絡してみたが、カロンの裏に回っているらしく、返信はなかった。
着陸艇から何台かの自立型AIロボットがエアーロックに向かった。
その映像を見る限り、三人の生存は絶望的だった。
エアーロックから船内に入ると、中は真っ暗で、サーチライトに照らされた所には霜がこびり付いていた。エアコンが止まっているようだ。
送られた温度データはマイナス五十度だった。
操舵コンソールは過電流で破裂していて、メインコンピューターも壊れているようだった。
人の姿も気配も全く無い。血痕や死体などが見つからないのがせめてもの救いだった。
しかし、三人は何処へいったのだろう?
知子はフェイスプレートの映像を切って、冥王星の大地を蹴った。
月よりも軽い重力の下で、一歩一歩飛ぶように歩いた。月面基地で慣れた低重力歩行で滑空するように滑らかに跳んでいった。
三段跳びの要領で、決して高く飛ばないように高くそびえる氷塊では脚をついて停止し、氷塊をよじ登ってはまた跳躍するという体力を使う移動法で前に進んだ。
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幻覚は益々酷くくなっていった。
今ではもう長い髪と細い肩が感じられた。
それだけではない。幻聴まで聞こえ出した。
「何処に連れて行く気?」
〈アナタノノゾムトコロヨ〉
「あんたは誰なの!」
〈アナタガノゾムモノヨ〉
思えば月面基地を出発してから殆ど寝ていない。
ホーキングドライブ中は休息時間が十分あったが、興奮と緊張で殆ど寝られなかった。勿論その事はシューカとネビュラには黙っていた。
知子は糖分を補給するために度々立ち止まって栄養バーを貪ったが、そういう時に限って幻聴は激しくなった。
〈ソンナニタベチャフトルワヨ〉
「うるさい!」
知子の怒号に呼応するように地面の電光が激しくなり、シューズにミニ雷が絡みつく。勿論、感電するようなことはないが、不気味なことには変わりない。
プラズマか潮汐力のせいなの全く解らなかったが、この地面を走る青白い超電導のヘビたちは段々、輝きと規模が大きくなっているような気がした。
脈動しているように地を這う光る小さな雷。
それはCGモデルで見たニューロンの活動のように見えた。
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「ピロン」
オープン回線が繋がる音がした。
「トモ、大丈夫?怪我はない?」シューカの叫ぶような声がいきなり聞こえた。
シューカ達は既に知子のEVAスーツが発信しているデータを受信してこちらの状況をすべて把握しているらしい。
「大丈夫。ゾンドはスクラップになったけど」
「移動したのは正解だったね。こちらから地平線に隠れてゾンドは見えないの。留まってたらトモを見つけられなかったわ」ネビュラの冷静な言葉が聞こえた。
あの影は知子を助けるために導いたのだろうか?
いや、ただの偶然だ。生死に関わる事態に脳のどこかが幻覚を見せているに過ぎない。そう思える自分に知子はまだ理性が失われていないと確信できた。
「アディーンの状況は把握している、トモ?」シューカの声が聞こえた。
「大体はね」
「じゃあ、この映像は見た?」
シューカが送ってきた画像はカロンの表側から見た冥王星の姿だった。
赤道上に同心円の茶褐色の縞が幾つかできていた。
パール色の巨大な円の中に焦げ茶の巨大な円の内側に薄茶色の帯が広がり、中央は漆黒の黒だった。
その姿は人間の瞳のようにしか見えなかった。
「こっ、これは眼だ……」知子は呻いた。
「そう、眼と眼が見つめ合ってる。香織が言ったのはこの事よ」シューカの言葉がハンマーで頭を打ち付けるように響いた。
「アディーンの航海日誌も一部だけ修復できた」とネビュラ。「今から送るわ」
Eine Widmung für unserem Chaos Klub
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