カロン

 ストレルカⅡドヴァの停泊軌道はカロンの反対側の冥王星静止軌道上に決定した。恐らく、儀一郎たちもここに船を停泊させただろう。

 この位置でないと、カロンの軌道が冥王星に近すぎるために、その冥王星に近づけないのだ。


 冥王星を挟んでカロンと同軌道を回る軌道なので、ドヴァからはカロンを見ることは出来ない。




〈ガガッ〉「トモ…〈ガガッ〉いじょうぶ?」〈ガガッ〉「問題はない?」

 スピーカから流れるシューカの声がノイズで割れていた。


 母船ドヴァから降下したばかりだというのに、磁場が思ったより強いせいか、通信状態が極めて良くない。


「こちら探査機ゾンドアンドレイ。オール・クリア。通信状態だけが問題ね」知子は軌道計算をチェックしながら答えた。


「微粒子がイオン化してるみたいなのよ。それが磁界と関連して電磁波が出てるみたい。探査プロープが通信を中継してくれるから、これ以上悪くはならないと思う」珍しくネビュラが長台詞で答えてくれた。


「こっちからはよく見えてるわ。地平線の向こうに言っても探査プロープの監視カメラで見てるから心配しないで」と、シューカ。


「アディーンを見つけたらすぐ連絡して」

ダー・スィエールかしこまりました〈ガガッ〉」シューカが少し戯けてみせた。

「スパシーバ」知子もツープのお偉方へのリップサービスを含めてロシア語で答えた。


 スロットルを目一杯押して加速する。スラスターの振動がシートを伝ってきた。探知機のモニターは依然と無反応だ。


 ふと上を向くと、追加の中継兼探査衛星が三機、凄いスピードで打ち出されているのが見えた。



 みんな必死でアディーンを探してくれてるんだ。



 知子はドヴァの船腹に向かって敬礼した。


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 ゾンドは骸骨を連想させる空飛ぶバギーのような乗り物だ。

 窓ガラスもドアもないし、天井すらない。

 EVAスーツを着て乗ることが前提とされているので、余計なものは全く付いていない。しかし、スラスターのパワーは強力で真空からゼロ発進でも音速近くまで加速させることが出来た。


 しかし、今は探索が目的なので、七百キロを超えないゆっくりとしたスピードで飛行していた。

 宇宙船から見たらナメクジのようなゆっくりした速度だが、地表に近づくと流れるように去っていく地表の光景にその速さが実感できた。


 緊張と焦りと興奮で、疲れを感じるようになった頃、ドヴァから連絡があった。


「トモ、人工物らしき反応があったわ」ネビュラの声だった。

「何処!」

「カロンよ」

「カロン?」

「そう、念のため探査したら反応があったの。画像分析・鮮明化したらほぼ間違いないわ。カロンにしているみたい。それも表側のど真ん中にね」

「そっちから見てカロンのど真ん中よ」今度はシューカの声だ。


「通信はできたの?」

「残念ながら……〈ガガッ〉」ネビュラの無念を代弁するかのようにノイズが後を継いだ。


 つまりは絶望的だということか。アディーンは惑星に着陸するようにはできてない。カロンは重力が小さいから不可能出来ないが、通信が出来ないというとかなりのダメージを受けていると見なければならない。


「トモ、聞いてる?」今度はシューカの声だった。「これから無人着陸艇をカロンに送り出す」


 冥王星の裏から着陸艇をカロンに向けて放ったとしても、数十時間、いや数日は掛かるだろう。いくら冥王星もカロンも小さいといっても化学燃料を使う着陸艇では時間がかかりすぎる。


「これからドヴァでカロンに向かう」シューカの声は続いた。「核融合エンジンを使ってカロンの裏側を回る。その途中で着陸艇を投下する。ドヴァのエンジンなら数時間で済む」


「数時間って……、どんだけ加速するの?」

「遮蔽フィールドがあるの忘れてるの?カロンの外側で姿勢制御してまたここに戻ってくる」

「そんな、無茶よ」

「キャプテンの腕を信じなさい。こんなの朝飯前だよa piece’s cake


 シューカはこんな太陽系の端っこで曲芸飛行をするつもりなのか。


「無理はしないで」知子にはそう言うのが精一杯だった。



 その時、地平線の向こうからゆっくりとカロンが登ってきた。


 小さな天体と思っていたが、この距離から見るととても大きく見えた。地球から見る月などとは比べ物にならないほど大きく見える。


 段々、その全貌が見えると、カロンのこちら側に大きなシミがあるのが分かった。


 同心円上に縞になって焦げ茶色や薄茶色、赤茶色の帯が広がり、その周りには薄赤色の筋が放射線上に広がっていた。


 それはまるで人間の目玉のように見えた。



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 ゾンドの観測モニタには、冥王星の地表に向けていた電磁波測定器やエコー測定器が次々とより正確なデータを紡ぎだしていた。


 滑らかな岩のように見える大地は正真正銘、メタンや窒素などの氷だということが表示されていたが、どう見ても岩か鉄板にしか見えなかった。

 だが、EVAスーツから染み出てくる寒さを思うとそれも納得がいった。


(メタンや窒素もここでは気体はまだしも液体としても存在できないんだ)


 オープン回線からはシューかとネビュラが着陸艇を発進させる準備に追われている様子が伺えた。


 上を見上げるとドヴァがカロンの近くを登っていく姿が、キラキラ光る点として視認できた。


 その時、突然ゴンッという大きな衝撃があった。何かは判らなかったが、ゾンドの後部が衝撃の源のようだった。

 機首がグッと持ち上がり、自動調整コントローラが急いでスラスターを吹き出して姿勢を制御しようと必死になっていた。


 知子が後部を振り返ってみると、こぶし大の穴が開いていた。もし真空ではなく、大気中だったらとんでもない轟音と衝撃波が襲っていただろう。


 ─── 隕石だ。


 冥王星にはカロンだけではなく、小ぶりな衛星が複数存在している。そして、重力場の小さいそういう天体から砂粒や小石のような、より重力の大きい冥王星とカロンに引きつけられるだろうことは十分考えられた。

 しかし、まさかゾンドに孔を開けるほど高速で動いているとは想像もつかなかった。


 穴の開いた機体後部のパネルを引き剥がすと、燃料用の酸化剤ボンベを繋ぐバルブ複合装置が壊れていた。


(ヤ、ヤバイ……)


「どうし〈ガガッ〉の、トモ?」回線からシューカの声が響いた。

「隕石がぶつかったみたい。酸化剤が漏れてるみたい。緊急着陸します」知子は報告しながら機体を下げて逆噴射をかけた。


 インジケータを見ると酸化剤の量がどんどん減っている。


「脱出〈ガガッ〉て、緊〈ガガッ〉救助プログラム通りに行動して!」

 その後はホワイトノイズだけが流れた。


 ドヴァは既に着陸艇を放出して、かなりカロンの近くまで行っているはずだ。この後はカロンの裏に回ってしまうから当分、母船とは連絡が取れないだろう。


 ゾンドの機体が地表スレスレまで降下したが、速度計を見るとまだ二百キロ近くあった。


 二秒以下の逆噴射を繰り返し、必死に減速を試みたが、なかなか百キロを切らない。


 突然前方から真っ黒な木々が迫ってきた。


 知子は操縦桿を操って木々を避けたが、枝が機体の一端にぶつかった。

 ぶつかった部分を見ると、カミソリでバターを切ったように機体の一部がなくなっていた。


 予備で積んである呼吸用の酸素ボンベもイカれたようだ。


 知子は急いでストラップを外すと、ゾンドから身を乗り出し、飛び出してゾンドから脱出した。





 Eine Widmung für unserem Chaos Klub

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