百合の丘で

猫目 青

百合の丘で

 長かった戦争が終わって、この国は負けた。夕闇に包まれる黄昏色の戦場跡には、錆びた機械兵の残骸が散乱している。人が乗り、人を殺すために作られた兵器は大小さまざまな歯車と、ネジと、擦り切れた配線で構成されていた。

 機械兵は、動物や人の形を模して造られた兵器の総称だ。

 それが今や壊されて、黄昏の光の中で眠っている。

 そんな機械兵の墓場で歌う少女があった。少女の歌を聴く、機械兵乗りの姿があった。

 百合のような白銀の髪を夕空に翻し、少女は哀切の歌を奏でる。少女の眼は伏せられ、空の蒼を想わせる眼に物憂げな光を帯びていた。

 赤茶色に錆びた鉄の歯車を舞台に歌う彼女は、さながら一輪の百合だ。少女は機械兵乗りに、祖国に残した最愛の人を思い出させた。

 百合の丘の上で、彼女に結婚を申し込んだのが遠い昔のよう。その丘の上で彼は彼女に別れを告げた。

 少女は歌う。戦場に散っていった者たちの哀切を。

 少女は奏でる。残された者の悲しみを。

 ほろほろと少女の眼からは涙が零れ落ちる。雫となったそれは、夕光を受けて煌めく。戦死者の血を吸ったネジの舞台に雫は落ち、そこに小さな水たまりを創った。

 少女は機械乗りに歌いかける。


 帰ろうと。

 愛しい者の元へ還ろうと。


 機械乗りは眼を瞑り、暗い視界に愛しい人を思い描く。愛しい彼女は、小さな命の宿った腹部をなで涙を流した。行かないでと言わず、いってらっしゃいと笑いながら自分を送ってくれた。

少女の歌声が、心地よく機械乗りの耳朶に響き渡る。


 さぁ、帰ろう。

 愛しい彼女のもとへ。

 もう、戦う敵はどこにもいないのだから。


 彼の体は光に包まれ、それは無数の蝶となって空を舞う。光り輝く蝶たちは明滅を繰り返し、夜に沈もうとする戦場跡を淡く照らす。

 蝶の光を受け、歯車の舞台にあがる少女の姿は浮かびあがり、闇に消えていく。闇と光の狭間で、少女は蝶となった死者たちに語りかける。


 帰ろう。

 帰ろう。

 懐かしい故郷へ。あの人の元へ。

 眠ろう。眠ろう。

 愛しい人の心の中で。

 さぁ、愛しい人に会いに行こう。


 そっと少女は自身の手を宙へとあげていた。その少女の指先に光る蝶の一羽が止まる。少女は蝶のとまる指先を眼前へと持ってきていた。

 彼女の蒼い眼は蝶の燐光を受けて虹色の光彩を放つ。その眼を笑みの形に細め、彼女は歌を紡ぐ。


 さぁ、行こう。

 あなたの大切な人のもとへ。





 錆びて、血に塗れた歯車は夫の遺体の代わりに届けられた。彼の体は、敵の攻撃により暴走した機械兵の爆発と共になくなったという。夫の遺体を届けた戦友は、負傷した顔半分を鋼鉄で覆われ、涙も流せない体になっていた。

 彼の人工声帯から発せられる声は無感動な機械のそれで、夫の死よりも自身の悲しみすら伝えられなくなったその戦友のために彼女は涙を流した。

 そうして彼女は、夫の遺体である歯車を持って百合の丘に佇んでいる。

 ここにいると彼に会えるような気がするのだ。

 天の川の流れる星空の下で、白い百合たちは柔らかな花弁をゆらし、音をたてる。その音に耳を澄まして、彼女は眼を瞑っていた。

 歯車を持つ手を腹部に充てると、小さな鼓動が耳朶に響く。その音が心地よくて、彼女は口元に笑みを浮かべていた。

 ここにいれば、あの人はこの子を感じることができるだろうか。そっと眼を開け、彼女は手に持った歯車を顔の前へと持ってくる。


 ねぇ、聞こえた?

 この子の生きてる音。

 ねぇ、応えて。


 彼女の問いに応える者はいない。分っているのに無性に悲しくなって、彼女は眼を歪める。そのときだ。彼女は視界のすみに、光る翅を捉えた。

 大きく眼を見開き、彼女はその光を追う。それは月光に輝く蝶だった。

 月光を纏った蝶たちが、あとからあとから飛んできては、白い百合の丘を滑るように進んでいく。風が吹き、百合の花びらが蝶と共に夜空を舞う。彼女は誘われるようにその蝶列を追いかけていた。

 ゆらゆらとゆれる蝶たちの群れ。そこにノイズが走り白い蝶の翅たちの映像を映し出す。

 小さな少年と少女が、百合の丘をかけている。少女は少年を追いかけるが、少年は笑いながら走り去ってしまう。

 少女は悲しげに眼を歪め、大きな眼から大粒の涙を流した。少年が慌てて少女の元へと駆けつけ、彼女の顔を覗き込む。大声をあげてなく少女を困った顔をして少年は抱きしめた。

 映像の中で抱きしめ合う少女と少年は成長し、美しい女性と青年になる。彼らは幸せそうに眼を細め、そっと唇を重ね合わせた。

 あぁ、そこに映るは自分自身だと彼女は気がつく。そして青年は歯車となって帰ってきた夫だ。

 この丘で彼女と彼は出会い、恋をして、別れた。

 蝶を追いかける彼女の眼から涙が零れ落ちる。連れて行って。私もあなたのもとに連れて行ってと、彼女は夜の闇に翻る蝶たちに語りかける。

 そんな彼女の耳に歌声が聞こえた。

 切なくて、どこか悲しげな少女の歌声は、彼女に優しく語り掛ける。


 泣かないで。泣かないで。

 愛しい人は、側にいるから。

 あなたの、側に。


 スクリーンを形づくっていた蝶たちが飛散した。彼女の視界に、光り輝く蝶たちの翅が映り込んでは消えていく。

 その翅の一枚一枚に、彼女と、愛しい夫の姿が映っていた。

 とある一枚の翅の中では、幼い二人が共に百合の丘を駆けまわっている。別の蝶の翅の中では、成長した二人が花嫁衣装に身を包んで唇を重ねていた。

 最後に彼女の視界を掠めた翅の中で、彼女は愛しい人の代わりに送られてきた歯車を握りしめ、百合の丘で泣いていた。

 すべての蝶が視界から去る。彼女の眼前には、一人の少女が立っていた。

 月光に煌めく蒼い眼を伏せ、少女は歌い続ける。


 あの人の姿は思い出の中に。

 あなたの中に、あの人はいる。

 愛しい人はあなたへと還る。


 サイドでゆれる少女の三つ編みは、小さなりぼんで結わえられている。その白いりぼんが、夜空へと飛び立った。

 それは、りぼんではなく白い蝶だった。蝶は、彼女の周囲を飛び回る。彼女は誘われるように蝶へと人差し指を差し出していた。

 銀色の指輪が光るその指先に、蝶は小さな足を乗せる。蝶ははばたきを繰り返し、愛おしむように指にはめられた銀の指輪へと足を乗せた。

 蝶の体が眩しく光って、彼女は思わず眼を瞑る。そっと眼を開けると、そこに愛しい彼がいた。彼は指輪の嵌められた彼女の手をしっかりと握りしめ、優しく微笑んでみせる。その微笑みに応えるように彼女も笑っていた。

 散っていった蝶たちが、螺旋を描いて二人の周囲を巡る。その蝶列に、踊る男女の姿が映り込む。

 蝶のスクリーンの中で優美な音楽を背景に、花嫁衣装を着た彼女と彼が踊っていた。その映像に倣うように、二人は手を取り合い、ゆったりと体を回し始める。

 花嫁衣装を着た自分たちのダンスを背景に、二人は笑い合いながら踊り続ける。

 そんな二人を祝福する様に、少女は喜びの歌を奏でていた。

 それは、恋人たちの再開を祝う歌。

 弾んだ声で少女は歌い、嬉しそうに笑いながら体を回す。そんな彼女の周囲を煌めく蝶たちが舞った。

 やがて、空が白み始める。

 大地は光の輪郭を描いて、夜の闇を追いやろうとしていた。その闇を追いかけるように、蝶たちは空の向こうへと飛び立っていく。

 彼女と踊っていた彼も、寂しげに微笑んで彼女を強く抱きしめた。そっと二人は見つめ合い、お互いの唇を重ね合わせる。

 分かれの口づけはとても柔らかくて、彼女は縋るように彼の腕を握りしめていた。唇を離した彼が、辛そうに眼を歪めて首を横に振る。

 もう一度愛しい彼女を強く抱きしめ、彼は彼女に告げた。

「もう君は、独りじゃないから」

 彼の体は光の粒子となり、蝶の形となって蒼い空へと飛び立っていく。彼女は、空の向こうへと去っていく愛しい人を、ずっと見送っていた。

 そんな彼女の耳朶に、少女の泣き声が響き渡る。

 そちらへと眼を向けると、銀髪の少女が蒼い眼から涙を零している。驚いて、彼女は少女へと駆け寄っていた。

 少女が誰なのか彼女は分からない。けれど、彼女が彼をここに導いてくれたことだけは分かっていた。彼女が遠く引き離されていた自分たちを会わせてくれたのだ。

「どうしたの?」

 彼女の問いに少女は答える。

「ずっとずっと私は独り。私のように独りぼっちの人を見続けて、そんな人たちを大切な人の元へと還してきた。でも、私にはそんな人もいない。私には、帰る場所がないの」

 そしてこれからも独りで歌い続けるのだと彼女は言った。自分と同じような人々のために、歌を紡いで離れている人々を繋ぐのが自分の役割だと。

 でも、自分はずっと独りのままだと少女は泣く。

 そんな少女を彼女は優しく抱きしめていた。

「私も独りよ。よかったら、私の側に来てくれる。そしたら、私もあなたも寂しくないわ」

 少女の銀の髪を撫でながら、彼女は優しく囁いていた。弾かれたように顔をあげ、少女は眼に濡れた眼を彼女に向けてみせる。

「ありがとう……」

 震える声でそう告げて、彼女は蒼い眼に微笑みを描く。その姿は昇りゆく太陽に照らされて、しだいに消えていった。






 満開の百合が咲く丘の上で、彼女は娘と手を繋ぎ歩いていた。彼女の手を引っ張りながら、娘は銀の髪を翻し軽快に笑ってみせる。美しい百合に蒼い眼を向けながら、娘は彼女の話を夢中になって聴いていた。

 亡くなった父が蝶になって戻ってきた話を。そしてそんな父を彼女もとへと導いてくれた、可憐な少女のことを彼女は我が子に話していた。

「ねぇ、その子はどこにいっちゃたの? ママの所には来なかったの?」

 娘は彼女を不安げに自分を見あげてきた。そんな彼女の頭を優しく撫でながら、彼女は答える。

「あら、ここにいるわよ。あなたは、忘れちゃってるみたいだけど」

 そっとしゃがみ込み、彼女は娘に微笑んでみせた。その微笑みを見て、娘は大きく眼を見開いてみせる。

「まだちゃんと言ってなかったよね。お帰りなさい、メル」

 そっと頭を撫でてやると、彼女は花のような笑みを浮かべてみせた。

「ただいま、お母さん」

 弾んだ言葉をはっし、メルは愛しい母に抱きつく。

 メルの首には首飾りが巻かれている。その首飾りには、花のような形をした小さな歯車が取りつけられていた。母の腕の中で、メルはその歯車にふれてみせる。

 父の遺品である歯車にメルは微笑みかける。歯車は嬉しそうに蒼い輝きを放った。


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