第3話 11月9日(金) 異変

 前兆は、前からあったように思う。

 ここしばらく、次男は不機嫌なことが多かった。泣いてばかりいた。

 とはいえ、そうおかしなことでもない。彼はだって、赤ちゃんなのだ。

 赤ちゃんは泣くものだ。とりわけよく泣く時期もある。そういう時期が必ずある。上の子のときそうだった。


 なんて、言い訳をしたところで、ちっとも心は軽くなんてなりやしない。

 ウエスト症候群において絶対なのは、早期発見早期治療、なのだ。

 もっと早くに気づけていたのではないか。そんな思いはどうしたところで拭えやしないのだ。


 ただはっきりと何か変だなと感じたのはその日だった。



「ひっ」


 しゃっくりに似た声を次男が上げたのは、夕方だった。

 ちょうど、夕食の準備をしている頃だ。

 見ると、なにかに驚いたかのように両手を上げていた。ちょうど赤ちゃんがよくするモロー反射のように。

 濡れていた手を拭いて近づく。


「どしたー」


 声をかけて覗き込むが、本人は特に変わった様子もなくいつも通り指を吸っている。

 なんか驚いたんかなぁ? とその場はそれで終わりにした。

 長男こぐまが動画を見ていたし、その音なりなんなり、びっくりする要素はいくらでもありそうだったから。


 そのまま夕食の支度を終え、帰宅した旦那とこぐまと食事をとる。

 そしてそろそろお風呂かな、というところで、再び同じことが起きた。


「ひっ」


 バウンサーに乗せていたちびぐまが、また声を上げる。それと同時に両手も。


「どしたー」


 ちびぐまはぼーっと空中を見つめている。

 そういえば。

 ふと、疑念が湧く。


 最近この子笑わないんだよなぁ。


 その小さな違和感は、実際この病気の特徴でもあったのだけれど、ここに至るまではそういう時期、で流していたのだ。


「ん、どした?」


 旦那が気がついた。


「んー、なんか急に驚くみたいにバンザイするんだよね」

「んー?」


 旦那がちびぐまを見た。


「ひっ」


 また、声を上げてバンザイ。

 旦那と顔を見合わせる。

 なにかおかしい、気は、する。ただ、赤ちゃんの行動なんてまぁわけがわからなくて当たり前といえば当たり前だ。


「わっ?」


 旦那が確認するように次男の前で両手を軽く上げて声を上げた。


「ひっ」


 もう一度、反応するようにちびぐまは両手を上げた。

 旦那が軽く首を傾げた。


「……びっくりしてますけど」

「うーん。なんか変な気がするんだよねぇ」

「驚きやさんなんですねー」


 たしかにそんな反応なのだ。

 でも、なにか変だ、というチクチクした感情が拭えなかった。

 しばらく観察しても、その二回で終わったっきり、特に何もなかった。


 でも、なにか変だ、という気持ちのまま、わたしはTwitterでこう呟いた。



『ちびぐまが時々、ハッていって両手をモロー反射みたいに上げるときがあるんだけど、なにもないときに。

 これ、大丈夫なの?』


 寝かしつけながら、どうしても気になって検索をした。


 赤ちゃん 両手を上げる 何もないときに


 Googleに叩き込んで検索。するとすぐ、その言葉にたどり着いた。


 てんかん


 モロー反射とてんかんの違い、という見出しのページだった。


 てんかん……?


 その時のわたしのてんかんの認識なんて、車乗れないやつ? くらいのものだった。


 そして同じタイミングで、Twitterに返信があった。


『タイミングが難しいとは思いますが、動画が撮れたらいいのですが。

 小児神経に詳しい先生に診てもらったら安心かもです』


 ママフォロワーさんだった。


 ああ、やっぱり気になる動きなんだろうか。

 動画、撮ってないな。明日は土曜日だ。もう一度あれば撮れるし、明日の朝小児科にいけるんだけど。

 ああでも、あしたは家族全員で耳鼻科なんだよなぁ。


 ーーこのとき、わたしと長男は鼻風邪を引いており、旦那は副鼻腔炎の治療の定期受診、ちびぐまは耳垢が溜まっていたので診てもらう予定だったのだ。

 とはいえさすがに気にはなるので、動画が撮れたら耳垢より小児科を優先しよう、と考えた。


 寝かしつけたあともしばらく観察するが、その日はそれ以上特に何もなかった。


 ただ、家族全員が寝付いたあとも、わたしはなかなか寝られなかった。

 先程検索した続きを読むうちに、不安が増していっていたからだった。


 検索すればするほど、気になる言葉が引っかかってくる。


 点頭てんかん

 早期治療

 難治てんかん


 そして、一番気になったのが、


 運動精神遅滞の発生が約九割


 ーーそんな言葉たちだった。


 ベッドの中で検索を続けるも、隣の次男はすやすやとかわいい寝顔を見せている。


 難治てんかん? この子に?


 まさかね。


 そんな発生率の低いことが起きるわけがない、なんて言い聞かせながら。

 それでも、万が一次があったら動画を撮ろう、と決意して、その日は過ぎた。

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