胸に秘められた君

抹茶

君だけに贈る、精一杯の愛を――


 

『行ってらっしゃい』

「はい、行ってきます」


 微笑んだ顔で手を振る彼女に見送られて、僕は家を出た。一戸建て、といってもそこまで大きなものではなく、僕と彼女が住む分に申し分ないだけの家を後にして、僕は真っ直ぐに続く道を進む。


 まだ肌寒い空気が残りながらも、道端に咲く花々が春の訪れを告げているように感じる。


「はぁー・・・・・・・・・」


 冷たくなった手に息を吹きかければ、ほんのりと薄い白の吐息が空に浮かんで消えた。今日は、全国的に良好の気象になるらしい。

 最寄の駅へと入り、僕は目的となる会場へと向かう。


――バックの中には、一枚の紙が入っている。



『成人式の招待状』



 そう書かれた紙は綺麗に折り畳まれ、これからの人生を応援するかのように揺れていた。






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 帰宅ラッシュに巻き込まれるようにしてモミクチャにされてから、僕はいらない物のようにポイとホームへと投げ出された。どうやら僕の降りる駅までは何とか耐えられていたようで、そこには見知った駅名が載っていた。


「さて、帰りますか」


 左手にはお土産を持っている。これを彼女に渡して、喜んでくれると嬉しい。


 でも、まあ―――


「何て言えば良いんでしょうね?」


 彼女になんて言って渡せば良いのかが分からない。僕の悪い癖だ。どうにかして彼女を喜ばせようとしてるのに、空回りしてしまう。

 それに加えて僕は言葉選びが致命的に悪いという。


『日常生活では露見しないだろう。けれど君の奥まで入り込んだ人には致命的なまでの間違った言葉を送っている。』


 そう言った博識の彼の顔は、もう忘れてしまった。酷く目立つ性格をしていたはずなのに、6年という月日は全てを消し去ってしまった。

 ただ、その言葉は僕に強く刻まれ、そしてそれが治っていないことを僕は知っている。

 

――頑張らないとな・・・・・・・・・・・・。


 暗く沈みきった夜空で、月を見上げて僕はそう呟いた。見れば、息が白く宙に舞っている。

 どうやら、気温が低くなっているようだった。首元に巻かれたマフラーを手で触り、僕はその温もりに助けられていることを知った。


 一昨年の冬の事だ。僕が寒くなった手に息を吹きかける――そう、正に今のような状況で家に帰った時だ。


―「はい、頑張って作ったんだよ~」


 優しい笑顔を浮かべながら、彼女はそう言ってこのマフラーを手渡してきた。よく見れば途中にほつれがあったり、長さが微妙に長かった。

 

―「腰近くまで伸びるマフラーを首に巻くみたいだね」


 そう、彼女は申し訳無さそうに言っていたのを覚えている。当時は今よりももっと言葉選びが悪く、僕は思った事を口にした。


―「恥ずかしいかな」


 酷い言葉だった。心の中は幸せで一杯で、今にも泣きそうだったくせに。僕は意地っ張りのようにそう言って、マフラーを机の上に置いた。




 その冬に、マフラーを使うことは無かった。




 今、このマフラーを使っているのは確かに理由がある。特に大きいのが、やはり彼女のお陰だろう。今では、前よりも素直に、少しだけ上手く言葉を選べるようになった気がしている。


 そうやって自信を持てるのも、彼女が居たからこそだ。


「早く帰りたいですね」


 空は、もう真っ暗だ。月明かりと街灯の明かりだけが街中を不気味に照らし、風が吹きぬけていく。

 きっと、彼女は待っている。僕の帰りを待っていて、家に帰れば温かい笑みで待っている。


 そんな毎日が、僕は大好きだと、彼女に言えただろうか?



 家が、遠くに見えた。


―――その時起きたそれは、偶然のことだった。


「雪、ですか……」


 突然の出来事のように、雪が降ってきた。変だと思う。今は冬が明けた春の直前。しかも、今日の気象は良好と来た。


「変ですね……………天気も、僕も」


 どうしてだろうか。なぜだか心細い。家に入れば、彼女が待っている。そうだ、早く帰って夕飯を食べよう。

 今日の夕食は何だろうか。鍋だと嬉しい。彼女の十八番で、僕の好物だから。

 そう、この変な気持ちもすぐに消える。


――カチャ。


 家のドアを開けば、そこには―――




「……ああ………」


――暗く、そして涼しい空間が広がっていた。


 僕は、その中を電気もつけずに進んで行く。何も考え無いように。ただただ真っ直ぐ。


「そうでしたね………」


 きっと、手紙の所為だろう。成人式という場に行って、浮かれてしまったんだと思う。

 一握りの幸せを、感じてしまったからだと思う――



「……ただいまです」

『お帰りなさい』


――こんな気持ちになるのは。


「……寒い、ですね」

『そうだねー、私も何か上着ようかな?』

「君は寒がりですからね……何か、着た方が良いですよ」


 そう告げた声は、寒さに凍えるように震えていた。

 迸るように、煮え滾るように。何かが込み上げてくる。


「ッ~……! まったく……なんで君は、そんなに笑顔なんでしょうねッ~……?」

『……何でだろうね? 私もわかんないよ。でも、それで良いんじゃないかな?』


 喉が苦しい。息詰まるように、逃げるように喉の奥が突っかかる。


「……~君は……!」


 そのまま飛び出そうになった言葉を、何とか飲み込もうとするけれど、上手くできなかった。


「…………そうでしたね。君がッ……君が、笑顔じゃないのは……ありえないです」


 嗚呼ああ、ほら――涙が零れてくる。この名も無き感情に想いを込めて。


「……どうして、君は僕よりも先に行ってしまったんですか?」

『……』


 しん、と静まり返った空間が、僕の耳を打った。

 膨れ上がるそれを、抑えようと必死だった……。


「僕は、まだ…‥……まだ、何1つとして返してないですよねっ……? 何でですかっ? 何でッ……!」


 けど、我慢することなんで出来ないから。全力で。精一杯の気持ちを乗せて。


「君のお陰で、苦手な会話が克服できた……! 君のお陰で、話すのが楽しくなった……君のお陰で、僕は誰かに胸を張れるようになった……君のお陰で、僕は冬でも寒くなくなった……君のお陰で、僕は毎日温かい食事を食べられた……!」

『……』


 上手く、言葉にできない……。

 あんなにも彼女は教えてくれたのに――。


 彼女の前だけでは、笑っていたかったのに。笑って、あげたかった……!


「全部……全部ッ! 全部、君が僕にくれたものじゃないですか……何一つとして、僕はそれを返せていない……。……これから、十年でも、何十年でも、死ぬまで一緒に居て、僕は君に全部返したかったっ……。……君に、言いたかったッ……!」


 僕が今、君に贈れる精一杯の想いを。

 僕が今、君だけに伝えたいこの名も無き感情を。

 そして、僕だけの償いを。


「僕は、君が居てくれて幸せでした。どんな日も、毎日、毎日が輝いていた。君が居ないこの世界で、僕はどうやって生きていけば良いんですか? どうやって……笑えば良いんですか……」

『…………ごめんね……それと、ありがとう……』


 小さな埃一つない写真に、幾つかの雨が降り注いだ。


「聞こえないですよ……聞こえないんですよ…………君の、優しい笑顔の声が……。……僕の耳は、あの時から、何の音も聞こえないんです…………」



 どうしようも無いのだろう。運命とは、人生とは、たった僕1人のために幸せへと進んで行くわけの無いこと。



 でも、今だけは。今日だけは。これだけは。

 届いてほしい、彼女の元へ。


「……大好きですよ。僕は一生君を愛しています」


 

 写真の上の雫が、笑顔の目元から垂れ流れた。一筋の線を描いて、地に落ちる。












『……私も……! ……私も……大好きで、愛してるよっ……~ッ』




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胸に秘められた君 抹茶 @bakauke16

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