A面二曲目 第一回講義 二

「泉、ですか?」


 弥生は戸惑った。

 確かに彼女も水に関係するものとは考えたが、自然美を感じさせる呼び名を持つとは思わなかった。

 むしろ、もっと人工的な意味合いが込められているものと考えていた。

「女性は使いませんから、正体を考えろと言われても難しいかもしれませんね。これは、普通の男性用小便器です」

 篠島教授はその正体をさらりと口にする。弥生はさらに戸惑った。

「男性用小便器、ですか? それに先程、先生はレディ・メイドと仰ったと思うのですが、ということは既製品ですか?」

「そうです。これは既製品の小便器に、署名と制作年度を書き込んだだけのものです」

「それでも作品なのですか?」

「作品と認識されています。そうですね、『泉』の詳しい説明に入る前に、マルセル・デュシャンという人物の話から始めましょうか。どうして彼がこれを発表するに至ったのか、知る必要があります」

 そう言うと篠島教授は立ち上がり、西側の書棚から一冊の本を取り出した。それを開きながら、再び弥生の傍に座る。

「園畑さんは、マルセル・デュシャンという名前ぐらいは聞いたことがありますか」

「あるような、ないような、そんな程度です。少なくとも高校の歴史や美術の授業で、重要人物として名前を聞いたことはないと思います」

「そうでしょうね。美術史に与えた強烈な影響にもかかわらず、彼が表舞台でその名を語られることは非常に少ないですから」


 *


 マルセル・デュシャンは、一八八七年にフランスのノルマンディー地方にあるブランヴィル=クレヴォンという街で、七人兄弟の三男として生まれた。父が公証人を務める裕福な家庭で、兄二人も美術家として知られている。

 彼はその兄の影響を受けて少年時代から絵を描き始め、一九〇四年にはパリに出て、高村幸太郎や梅原龍三郎も通ったアカデミー・ジュリアンで絵画を学んでいる。

 一九一二年、彼は出世作『階段を降りる裸体No.2』を発表するが、これが実に革新的な油彩であった。

 当時の美術界は「対象物を分解し、特徴的な部分を強調して再構成する」キュビスムが下火になる一方で、「対象物の動きを表現する」ことを重視する未来派が誕生する寸前だった。前者の影響を受けていたデュシャンは、キュビスムの手法を下敷きにしつつ、絵画の中に「動き」と「時間」を取り込んで、『階段を降りる裸体No.2』を制作した。

 彼は意図せず、入れ替わりつつある二つの派の思想を、一つの作品に織り込んだのである。

『階段を降りる裸体No.2』は、階段を下りる裸体を客観的かつ連続的に写し取ったもので、それがいわば連続写真のような効果を生みだしている。

 これが出品された展覧会で大きな反発を生んだ。

 それは「階段を降りる裸体に見えない」という声であり、「タイトルを変更せよ」という言葉だった。

 それに憤慨したデュシャンは、出品していた作品を取り下げると同時に、油絵の制作を放棄した。

 以降、「レディ・メイド作品(既製品そのもの、または既製品に若干の手を加えたもの)」を散発的に発表する程度にしか芸術家らしい活動はせず、チェスに没頭している。


 *


「ええと、一八八七年生まれで一九一二年には油彩の制作を辞めたということですから、二十代の後半ということですね」

「そうなりますね。そこで彼は一般的な意味での創作活動を放棄することになります」

 篠島教授はそう言いながら、『階段を降りる裸体No.2』を弥生の前に差し出した。


 直線と部分的な曲線で構成された物体が、キャンバスの中で左から右に、上から下へ連続で表現されている。

 それが斜面を下方向に移動する動きを見る者に感じさせる。

 ただ、裸体というよりは定規のような無機質さである。

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