シナジー効果といえば聞こえは良い

 キサは防壁から一定の距離をとり、息を殺して様子を窺っていた。

 突破できそうな箇所はないかと壁の周りを一周見て回ったが、どこも頑強がんきょうな作りになっており、キサの銃では壊せそうにない。


 音を立てない限り、キサの居場所がばれることはないはずだった。先ほどのミツキの術で、ヨウの生やした草原はほとんどひっくり返されてしまったため、草をかき分ける音に悩む必要もない。

 双方共に相手の動向が確認できないとはいえ、状況はキサに有利だ。彼らは360度どちらの方角にキサがいるかすら分からないが、彼らはあの防壁の中に全員がいるということが分かり切っている。タイミングを見計らって彼女が防壁の上に登ってしまえば、多少の反撃は食らうだろうが、一網打尽いちもうだじんにできるはずだ。


 キサは呼吸を整え、銃を握り直す。身を軽くするため、左手に持っていた傘をそっと地面に置いた。

 正面に防壁を見据え、彼女が覚悟を決めた、その時。


『……悠長にいつまでも、俺たちが大人しくその中にいるとでも思ってるの?』

「なっ……!?」


 背後からミツキの声が聞こえ、キサは仰天して振り向く。

 だがそこに彼の姿はない。夜に沈んだ、人の気配のない校舎が鎮座しているばかりである。キサは動揺したまま再び防壁を振り返るが、しかし続けてまた校舎の方から彼らの声が聞こえた。


『策もなしに、諸刃もろはの剣なこの防壁を作るわけがない、でしょ』

『お兄さん達をあんまりナメてかかるんじゃないよ』

『暴力反対!』


 キサは唇を噛みしめ、銃口を声の聞こえる方角へ向ける。


「いつの間に抜け出したのよ!?」


 叫んで、キサは校舎に向けて乱射した。

 しかし闇に飛んだ弾丸に手応えはない。代わりに、至って冷静なミツキの声が響く。


『その問いには、生憎と答えられないな』


 途端。

 キサの背中に、ずんと重い衝撃が走った。



「まだ、抜け出しちゃいないからね」



 防壁の上には。

 月明かりを背に、ミツキが右手を広げ、すっくと立っていた。



「悪い。……けど、こうでもしないと話を聞いてくれそうにないから」



 後ろを振り返ることもできないまま、キサは地面に倒れ込む。

 彼女が動かなくなったのを見届け、ミツキは防壁を解除した。がらりと音を立てて崩れた煉瓦は整然と元の位置に戻り、地面は平らになる。そこからクロードとシグも姿を現した。


 ミツキが言ったとおり、彼らは寸分たりともその場所から動いていなかった。

 ただ、彼らはミツキの携帯電話に向けて台詞を喋っていただけだ。携帯電話を介し、イツキの魔法で校舎のスピーカーからその音声を流していたのである。先ほどクロードがラジオ放送を聞いた、件のスピーカーで。


 後は近くにある防犯カメラの映像からイツキがキサの動きを逐一ミツキへ伝え、キサの注意が反れたタイミングで外へ飛び出したのだった。


「……策、さっきまでなかったろ、ミツキちゃん」


 クロードの言葉に、ミツキは少し首をすくめ。


「ま、ま、ま。……物は言いよう、だね」


 適当に、彼は濁した。






+++++



 キサが気が付いたとき、彼女はミツキ達に周りを取り囲まれていた。傘と銃は当然のように彼らに没収され、ミツキが傘を、シグが銃を持ち、興味深そうにいじっている。クロードだけは少し離れた場所で、怖々と様子を見守っていた。


 彼女は爪を立てて拳を握りしめてから、すぐ気を取り直し、彼らに悟られぬよう状況を探る。武器は奪われているが、手足が拘束されている訳ではない。幸いにしてまだキサが目覚めたことは気付かれていないようだった。

 逃げるチャンスを窺い、彼女は周囲に目を配らせる。


 が、一人の人物の姿が目に入り、彼女は瞠目どうもくした。


「……イツキ」


 先ほどまでの考えはすべて忘れ、キサはがばりを身を起こす。


「何で、何であなたがそっち側にいるのよ!」

「おおう!?」


 キサが目覚めたことと、面識がなかったはずの彼女から急に話しかけられたことで二重に驚き、イツキは飛び上がった。


「待って濡れ衣、いや濡れ衣も何も、あんた誰!?」


 動揺したイツキは思わずミツキの背後に隠れる。


「……イツキさん。知り合い?」

「全く覚えがない!」


 ミツキの問いにきっぱりとイツキは断言した。

 彼の答えにキサは唇を噛みしめる。


「何で、何でよ。どういうことなの。知らないって、そんな、そんなはずないでしょう……?」

「ま、まままま待って待って待って!」


 イツキではなく、クロードが慌てふためいて両手を広げる。

 先ほどまであれほど威勢の良かった魔女、キサは、目一杯に涙をため込んでいた。いつ、それが瞳からこぼれ落ちてもおかしくはない。


「おいこら! イツキちゃん! どういうこと!?」

「知らない! 知らないっすよマジで!! 一体何がなんだか、僕だって聞きたい位なんですから!!」


 クロードとイツキは二人揃って狼狽うろたえる。さっきの彼女の攻撃より余程もこたえているようだった。

 狼狽ろうばいしたままクロードはキサの顔をのぞき込んだ。


「だ、……大丈夫?」

「気安く話かけんじゃないわよこのクズが」


 だが想定外の辛辣しんらつな台詞を吐かれ、彼はうなだれた。キサはうつむきながら両頬を手で押さえ、独り言のように呟く。


「何よ。どういうことなの。……私は、何のために今まで、やってきたのよ……」

「イツキちゃん! イツキちゃーん! ちょっと! どうすんのこれ!」

「知らん! 知らん知らん知らん! いや僕のせいだったらホント申し訳ないですけど、でも、その、本当に何も覚えが……」

「悪い男だねえ……イツキ」

「だから違いますってシグさん! 僕も被害者ですよ!!」

「なんか知らないけど謝っとけよイツキちゃん!!」


 それぞれが思い思いの事を口走り、収拾がつかなくなり始めた頃。

 ミツキが一人、天に向け静かに右手を差し上げた。


 ぽつり、と水滴が一滴、彼らの頭上に落ちる。


 やがて水滴は量を増し、雨のように四人に降り注いだ。空は雲一つなく晴れ渡っているにも関わらず、月明かりに照らされる中したたり落ちる雨に、彼らは気を取られて口論を止める。


「……とりあえず。全員、落ち着け」


 言って、ミツキは手を下ろした。


「状況を」


 ミツキは、突然の雨に濡れそぼり、唖然あぜんとしているキサを見つめる。


「状況を整理する必要があると思う。おそらく。事態はお互い、思ってるより単純じゃない。

 まず率直に聞くけど。闇討やみうちのような真似でクロードさんを襲撃して、何が目的なんだ?」


 話を向けられたキサは、一瞬遅れて我を取り戻した。


「馬鹿言わないで。それはこっちの台詞よ」


 彼女は敵意に満ちた険しい表情でミツキを睨みつける。


「今までだって決して大人しくしてやってた訳じゃないけど、あらがうに決まってるでしょう。

 あたし達をこうまでして徹底的に閉じこめて、一体あんた達は何が目的なの?」


 真正面からキサの視線を受け止め、ミツキは反芻はんすうする。


「……閉じこめる?」


 独り言のように呟き、続けて口を開こうとしたとき。


「キサ!」


 高い声が旧サークル棟の方から聞こえ、一人の少女が飛び出して来るのが見えた。焦りの色を浮かべて駆けてくる彼女は、彼らにも見覚えのあるヨウその人だ。

 キサは慌てて声を荒げる。


「馬鹿、あなたは来るんじゃないわよ!」

「駄目。早く逃げなきゃ、来る!」


 ヨウが言うや否や。

 四方八方の地面から、破裂した水道管の水か温泉でも吹き出したのかといった衝撃が吹き上がる。

 だが、それは水ではない。またしても植物であった。


 凄まじい速度で成長する草花は、みるみるうちに彼らの視界を奪い、他の仲間や、すぐ側にいたはずのキサの姿まで覆い隠す。

 咄嗟とっさに腕で顔を覆う彼らだったが、腕の隙間から、ヨウがキサの手を掴むのが見えた。クロードは思わず手を伸ばすが、彼の手をすり抜けて彼女たちは身をひるがえす。

 草原から抜け出た後、ヨウは一瞬だけ彼らの方を振り返り。


「ごめんなさい。本当にごめんなさい。

 後で、必ず、話をするから……!」


 そう言い残して、何処いずこへと姿を消した。




 ヨウ達が去ると、やがて植物の生長は止まった。恐ろしく狭い間隔で植物の茂る草の森の中では、息をするのも苦しい感じがして、彼らは転がるように草原を抜け出る。

 ようやく柔らかい月の光が射し込む場所まで脱出すると、果たしてそこにも彼らの見覚えのある人物が立っていた。


「何があった」


 いつもと違い真顔のジョーへ、服に付いた草切れを払いのけながらシグが答える。


「……イツキの報告の通りだよ」


 上着を脱いで肩にかけ、シグは顎で草原を示した。


「『魔女』が出た」


 それだけ言って、彼は押し黙った。彼女たちの消えていった方角を眺めながら、何事か思案しているようだった。

 存在するはずのない大学構内の草原を、表情一つ動かさずに見つめながら、ジョーは静かに尋ねる。


「……出逢った魔女は、何人だった?」

「一人だ」


 間髪入れずミツキが答えた。イツキとクロードが彼へ視線を向けるが、構わずミツキは続ける。


「イツキさんも報告したと思うけど、クロードさんが偶然連れてきた子が魔女で。追いかけたけど、この通りサークル部屋もここも草まみれにされた挙げ句、逃げられた」

「成る程。惜しかったな」


 ミツキの報告を聞き頷くと、ジョーは気を取り直したように、いつもの明るい口調に戻る。


「だが、これで黒幕についての信憑性しんぴょうせいは高まったな。おそらくその魔女が、学園の魔法財産を狙って立ち回っているんだろう。どこかに異変がないか、早々に対処しよう。

 君たちは今夜は休みたまえ。我々の調査もあるし、流石に今日は奴も動かないだろう。明日、改めて指示を出す」


 そう言い残し、ジョーは足早に立ち去った。

 彼の姿が完全に見えなくなったところで、イツキがちらりと目線をあげる。


「ミツキさん。……どうしてあの魔女、キサのことを伏せたんです? むしろ、厄介だとしたら彼女の方でしょう」

「この状況じゃ、草の彼女について隠すのは無理があったしね。イツキさんも報告済みだったことだし」


 肝心なことについては答えず、ミツキは「たいした意味はないよ」と言いおいて、一言だけ付け加える。


「ま。……不確定条項は、伏せておいた方がいいと思ってね」


 ミツキは背後の旧サークル棟を振り返る。

 彼は、ぼんやりと事の顛末てんまつを思い返し。


「ツケがまわってきた、……かね」


 自分一人にしか聞こえない音量で、ぼそりと呟いた。

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スカーレット・キーパー 佐久良 明兎 @akito39

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