芥子色のライダース・ジャケット take #6




 5歳児に、ライダース・ジャケットは早いのではないか、と子ども服のブティックで彼は言ったのだけれど、試しに羽織らせてみたその愛くるしさに、彼はたちまち意見を翻した。

 そしてその年の秋から暮れにかけて、須美は何かというとその芥子色のライダース・ジャケットを着たがった。


 保育園の登園に、遠足に。週末のお出かけに、祖父母の家の訪問に。その小さな天使はいつも、すこし背伸びをしたそのジャケットを着続けた。

 最初の頃は、不意に匂う皮の香りにむせ、長いドライブの最中など気分を悪くしたものだけれど、いつしかその匂いも薄れ、肌に馴染み、彼女はそれを自分のものとして着こなした。


 「」と、舌足らずな口で呼ぶ彼女の芥子色の「ライダース」・ジャケットだ。「シュウちゃん、須美のヤイダース、取って」とその天使は言うのだけど。

 その度に彼もまた、「はい、須美の」と言い返しては、『言葉を正させろ』と妻に小言をもらうのだった。


 須美は、彼のことをパパ、とは呼ばない。いつも、彼の妻がそう呼ぶように、「シュウちゃん」と呼び習わす。それは彼が須美の実の父親でないからかもしれないし、しかし逆に、血を分けた父親よりも交わりの深い親友としての敬称なのかもしれなかった。


 「ヤイダース」は彼のプレゼントだ。

 須美の母親が離婚をし、やがて彼と知り合い、須美とも親しくなった。

 彼が須美の人生に登場した頃、須美は何かというと体調を崩す、いささか身体の弱い女の子だった。おそらくそれは両親の離婚というトラブルが間接的に影響していたのだろう。

 しかしその事件がひと段落し、そして新たな登場人物として現れた彼への違和感が消え、須美が彼に徐々に心を開きつつあった頃、彼の送った「ヤイダース」は須美にとってかけがえのない一張羅になった。

 「ヤイダース」を羽織る須美はもう、青白い顔をして月曜日のたびに咳き込んでいた昔の須美ではない。すこし不良っぽいそのマスタード色のジャケットは、須美に勇気と安らぎを与えたのだ。


 「須美?」

 家の玄関で、母親とともに保育園に登園しようとする彼女を、彼は呼び止めた。須美よりも出社時間の遅い彼はまだ部屋着のままで、働きに出るその母と保育園に行く娘を送り出す係りだ。

 「なに?」

 須美が振り向く。

 南東に面した家のドアを開けると、朝日がまぶしく玄関に差し込んでくる。

 その金色の日差しを背負って立つ須美は、全身の輪郭をキラキラと輝かせながら、邪気のない目で彼をまっすぐに見る。

 「愛してるよ」

  彼は言う。

 「ばかねぇ」と、妻が苦笑する。

 須美は、うふふ、と笑う。そして冷たく透き通った初冬の朝の空気に、「ヤイダース」の前ジッパをゆっくりと上げた。

 じりじりじりじり。

 その、金属音が不思議と耳に残る。

 「須美も!」

 言って、天使は背を向けると、さわやかな光の世界へ走っていった。芥子色の「ヤイダース」・ジャケットを、格好良く着こなしながら。






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芥子色のライダース・ジャケット フカイ @fukai

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