第十五話 罰と来訪者
ガレミア家自慢の庭園には魔法実習用につくられた広くて平らなスペースがある。そこに二人の姿。傍から見れば祖父と孫の様だが、片方がタキシード姿なせいでやけに不釣り合いだ。
「それではまず、
爺やは促すように軽く前に手を差し出す。マレスは実際にシデンウサギが目の前にいることを想像して身構えた。剣は右下に下ろし、いつでも踏み出せるように重心を少し前に置く。緊張感を張り巡らし、なおかつこちらの存在を悟られないよう静かに佇む。そして想像上の魔物に焦点を合わせて集中した。
「なるほど。バラバラですね」
「ば、ばらばらって何が?」
「端的に言えば『意識』でしょうか」
「えぇ!?」
しかし爺やはそれを全否定するような一言を投げた。決して満足しているわけではないものの、それなりに自分の実力に自信があったマレスには受け入れがたい様子だった。
「そんなに集中できてなかった……?」
「これは失礼いたしました。端的に言いすぎましたね。集中力は素晴らしく思います」
言葉足らずだったことを詫びた爺やは浅く頭を下げた。
「して、マレス様は『気配』とは如何なるものだとお考えでしょう? 」
「え、難しいなあ……。モノが発する情報。例えば動きや音、においとかかな」
「ふむ、せいぜい七十点というところですかな」
「あ、意外と高い」
「実際に体験していただいた方が早いでしょう。マレス様、後ろを向いていただけますか?」
「こう?」
爺やの言う通りにくるりと背を向ける。
「ええ。そのままで私がどの辺りにいるか分かりますかな?」
「うん。ちょうど後ろにだいたい五歩くらいの辺りかな」
マレスは目を閉じて気配を頼りに爺やの位置を言い当てた。
「なるほど。それではこれならどうでしょう」
「どうでしょう、って声の方向で大体どこにいるかくらい……」
馬鹿にしてるのかとでも言いたげだった様子のマレスだったが、思わず言いかけた言葉を詰まらせてしまった。なぜなら、空気に溶けてしまったかのように爺やの気配が感じ取れなくなってしまったからだ。そこから声が聞こえていたはずなのに、もう所在を思い出せない、そういう奇妙な感覚に襲われた。
マレスは気味の悪さに耐えきれず振り返った。
「こちらでございます」
「わっ!」
爺やはいつの間にかマレスが振り返った先のさらに後ろに来ていた。
「全然分からなかった……」
「マレス様は先程、私が『七十点』と申したのに対して『意外と高い』と仰りましたね。これが残りの三割です」
「はは……これは大変だね」
誤魔化し半分、危機感半分の乾いた笑いを出てしまう。
「においや音以外の気配の正体。私はこれを『気』と呼んでおります」
「『気』……?」
「『気』は誰しもが持ち、通常であれば発散しております。発散された『気』は相手へと伝わり、気配として認識される。気配を消す――つまり先程の私は発散する『気』を留めただけということになります」
「んー、理屈は分かった……かな? なんだか魔力と似てるね」
「はい。魔力は生まれつきの得意不得意がありますが、『気』にもそれがございます。気配を消すのが上手かったり、『気』を感じ取るのが上手かったり……」
マレスはやはり例の二人を思い浮かべる。特にエトナは突出していた。爺やもまた彼女を指して話していたように見える。
「以前、武の栄典を見に行かれたと存じます。その決勝で現勇者アルドルト様が下した相手を覚えておられますか?」
「ラナーヘイロ軍団長『龍の腕』。名前はたしか……ゾング=スーさんだったかな」
「左様です。彼のその二つ名は加護名でもあります。溢れ出る闘気。闘気もまた『気』のひとつ。先程と違うのは『気』を留めるのではなく、放っているところでしょう」
「放つ?」
「厳密に言えば、闘気を魔力と織り交ぜ、具象化するという独特な魔法を操っているわけです」
爺やは一度話を区切るように両掌を合わせた。
「話が長くなりましたが。マレス様にはこの『気』の扱いを会得していただきます」
「うーん、ますます難しそうに聞こえてきたなあ」
「マレス様は思いのほか吸収が早いので問題ないでしょう」
「えへへ……ん、思いのほか?」
聞き捨てならぬ言葉に目を細める。
「ほっほ。……しかし、ふた月前とは随分と変わりましたな」
「そう、かな?」
「ええ、構えただけで伝わってきます。きっとこの二ヶ月の間で成長する機会があったのでしょう」
「……たぶん、ぽこぽんの変異種と戦ったときかなあ」
「ほお、それはまた珍しい」
マレスはレグリアへ向かう道中で起きたことを説明した。地面が崩落し、洞窟を
「ごめんなさい」
「なにがですかな?」
「エルを危険な目に合わせてしまった」
「エル様は危険を承知の上で自ら望んで冒険者の道を選びました。マレス様を責める道理はありません」
「僕には仲間を守る責務がある」
「……戒めのためにも罰を受けたい、ということですか。はあ、危険な考え方ですな」
爺やは最後の言葉が聞こえないように呟いた。
「先程も申しました通り、マレス様を責める道理はありません。ですか、そうですね。私は今、宝物を傷付けられて虫の居所が悪いので、目の前にいる冒険者に八つ当たりでもしてやろうという気分です」
「助かるよ」
互いに独り言のような会話だ。
爺やは少しだけ思案する。罰とは、負の刺激を与えることで目的の思想を刷り込む行為だ。そこに意味がなければ成り立たない。
「立ったまま、私の目を見てください」
マレスは指示された通り爺やの目を注視する。とはいうものの爺やの目は厚い白眉で堅く閉ざされているが。
「マレス様の意志の強さ。……見せていただきます!」
放つように言い放った爺やが、白眉の奥の目をカッと見開いた。
「?――ァ――――ッ」
視界が黒くなった。暗くなったのではなく黒くなった。そういう感覚に陥った。その瞬間、髄液が凍えてしまったかのように寒気が体の内側から蝕んだ。
「――ハァっ、ハァっ……。あれ、僕いつの間にしゃがんで……」
その出来事がどれくらいの時間続いていたのか定かではない。ただ、直立していたはずだったのに、気付けば膝をついて
「耐えられたようでなによりです」
「何、したの……?」
「『気』をぶつけました。今回の場合は魔力は混ぜていませんし、闘気ではなく殺気ですが」
「さ、殺気……?」
物騒な言葉に思わず口角が上がる。
「これを受けた者は耐えるか発狂するかのどちらかですが、よくぞ耐えてくれました」
「そんなやばいものを食らわされたの……」
ついさっきの自分の発言を後悔した。それほどの恐怖だった。だが、それこそが罰であり、彼の覚悟をより強固にさせた。
マレスは立ち上がり、手を払う。
「これは僕にもできるの?」
「お勧めはしかねます」
「どうして?」
「私のような人間が身に付ける技ですので」
答えとしては不十分だ。その言い方では執事が身につける技のように聞こえる。もしくは……
「爺やは何者なの?」
「当家の執事でございます」
「そうじゃなくて。執事になる前は何をしてたの? ……いや、聞かれたくないならいいや」
「暗殺者でございます」
爺やはあまりにもあっさりと答えた。驚くマレスだったが妙に合点がいったため、さして疑うこともしなかった。
「一応聞くけどガレミア家の命を狙ってるなんてことはないよね?」
「滅相もない。暗殺者稼業からは執事になる際に足を洗いましたので。今の私は先々代との約束を果たすために当家に
(経歴が既に「ただの」じゃないけどね!)
元暗殺者の執事という異質な肩書きにマレスはツッコミを入れつつ、ひとつの疑問が湧いた。
「……先々代の約束――それが修行の話を断ろうとした理由?」
「左様でございます。先々代は既に亡くなられているとはいえ、私から約束を破ることは少々はばかられます。ですのでトゥーリット様に私情と切り捨てていただけたのは大変助かりました」
「だからあんな変な断り方したんだ。……ん、待って。先々代との約束って……爺や今何歳!?」
「ほっほ、それは秘密でございます」
爺やはらしくもなく唇に人差し指を立てて誤魔化した。どうやら経歴よりも年齢の方がプライバシーに関わるようだ。
「さて、つまらない話もこれくらいにして修行の続きとしましょう」
「よろしくお願いします先生」
「ほっほ、先生と呼ばれるのも悪い気はしませんなあ」
爺やは満足げに笑うと、指を二本立てた。
「マレス様に身につけていただく技術は二つ。『気』を操る力と読む力。前者は気配を消す、後者は動きを読むことを意味します。期間内にこれらの基礎を叩き込んで差し上げます」
「基礎だけ?」
「時間も限られてますゆえ。それに基礎さえ身に付けられれば実践で理解を深めた。さて、具体的な内容ですが……」
ごくり、唾を飲み込む。
「来客ですか」
玄関の方を見るとどうやら誰かが来たらしい。男性が一人。青みがかった銀髪で
マレスが彼を眺めていると、一瞬だけ視線が重なったような気がした。
「これは困りましたなあ」
「誰が来たの?」
「あのお方は魔法都市ラプラにおける魔術御三家がひとつ――ラヴィート家の長男、ルシュ=ラヴィート様でございます」
「え、そんなすごい人がなんでここに……ってそういえば
「後日行われる三家の『お茶会』についてでしょうか。おそらくエル様が戻られたことをどこかで耳にしたのでしょう」
「お茶会? へぇ、エルも大変なんだね」
「ええ。ただ、本当に厄介なのはそこでは無いと思われますが」
「?」
爺やの意味深な発言に首を傾げる。
「対応して参りますのでしばしお待ちください」
そう言い残して、気付いたときには爺やはそこからいなくなっていた。注視はしていなかったとはいえ、視界に入っていたものが忽然と消える。これも『気』と呼ばれる力の成し得ることなのだろうか。
「……はは、本当に僕にできるのかなあ」
マレスは不安をこぼした。
*
「エル様、お客人です」
「私に?」
エルは爺やに促されるまま、玄関ホールへと向かった。そこには既に彼が佇んでいた。
「やあ」
「げ」
彼はエルに気が付くと爽やかな笑顔で対応した。顔を少し傾けると前髪が目にかかる。肌は白く、切れ目でやけに色気がある。俗に言う美男だ。
しかしそんな彼とは真反対で、エルは露骨に不満そうな表情を浮かべていた。
「何の用?」
「君が帰ってきていると聞いてね。そもそもここ数年、顔を合わせる機会がなかったからいい機会だと思ったんだ。『お茶会』はやっぱり出席しないのかい?」
「勿論よ」
「そうかい。それは残念だ」
その返答とは裏腹に彼はそこまで残念そうには見えなかった。むしろそれは予想通りで、本題の前起きでしか無かったのだろう。彼は告げた。
「僕と婚約してくれ」
「お断りよ」
彼は今度こそ苦い顔をした。
「前から言っているでしょう? あなたの気持ちには応えられない。私には目標があって、それで手一杯なの」
「それは庭にいた彼かい?」
「……さあね」
彼女は顔を少しだけ背けて知らんぷりをした。
「正直納得がいかないね。僕は僕なりに君の理想に近づけるよう努力してきた。だから君を幸せにできる自信があるし、そうしたいと心から想っている。それなのに、なぜあんな……」
ルシュは首を何度か横に振ったあと「いや、これ以上は無粋か」と喉の奥に引っかかった言葉をなんとか取り出した。
「懸命ね。でも私はあなたのそういう正直なところ、嫌いじゃないわよ。ただね、私は自分の意思でこの道を選んだの」
「自分の意思? 君の魔法は精緻なくせに苛烈で横暴だった。なのに今はサポート魔法ばかりらしいじゃないか。君らしくもない」
「それこそ私の選択よ」
ルシュが溜め息をつく。
「僕は、君がなぜ今もそんな目をできるのか理解できないよ」
幼き頃から色褪せぬその瞳。それは魔法への探究心。賢者への憧憬。その純粋な瞳にルシュは惹かれた。だから賢者の道を諦め、冒険者となったエルがその瞳に未だ色を残していることが不思議でしょうがなかった。
「いいわ」
小さく、エルも溜め息をついた。
「今度の『お茶会』、私も出席する」
「一体どういう風の吹き回しだい?」
「気が変わったの。悪い?」
悪いなんて言わせないとばかりにエルは刺々しく言う。
「いや、悪くない」
彼はそれを聞いて途端に身を翻し、颯爽とその場を去っていった。
転生勇者は夢を見る。 桑゙ @kuwaty
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