第十四話 ぴったりの人

「らああぁっ!」


 びゅん、という音と共に剣が空気を切り裂く。


「うっらぁあっ!」


 もう一度、びゅん、と。


「ぅおらしゃぁぁああッ!」


 今度は剣先が地面へめり込み、土が散る。


 マレスの額に汗が滲む。剣を振り抜き続けていたら既に日が昇りきっていた。身体も十分に温まってきた。しかし、マレスは決して鍛錬のために素振りをしているわけではない。


「ねえ、まだー?」

「まだですかー?」

「手伝ってよ!」


 短く生え揃った草原に腰を下ろして傍観している二人に向かってマレスは声を張り上げる。


 首都レグリアヘ向かう途中でクエストを受注したマレスらは、シデンウサギという魔物の討伐へと向かった。


 見晴らしのいい草原に住んでいて、白と栗色の毛に覆われた身体は膝下くらいの大きさだ。体と同じくらい大きい耳と螺旋を描く角がチャームポイントで、特に角は薬として有用らしい。依頼主もその角の採取が目的とのことだ。


 その区域や魔物の危険度も高くない割には成功報酬が高かったため、依頼主が裕福なのかと思った。実際、薬師は儲かる職だ。ただ、張り紙にはこう触れ込みがあった。


《めちゃくちゃ速い魔物の討伐》


 すぐ目の前で呑気に毛繕いをする魔物に、マレスは傷ひとつどころか触れることすらできなかった。


「無理よ。だってこの魔物、私が魔法を使おうとするとすぐに反応してすぐ逃げちゃうもの」

「そうだけどさ……」

「私も無理ですー」

「捕まえてんじゃんッ!」


 リリィの腕の中で戯れるシデンウサギがいた。お腹を撫でくり回され、気持ちよさそうに目を細めている。


「だめです! 私とぴゅーさんはお友達なんですから!」

『ぴゅー!』

「え、かわいい〜! 私も触っていい?」

「いいですよ」

『ぴゅぴゅー!』


 シデンウサギはくすぐったそうに鳴く。


「意味わかんない……」

「ほら、そっちにもいるわよ」

「もぉおおおっ!」


 マレスはなにくそとシデンウサギを追いかけた。




 あれからさらに時間が経ち、何度目の失敗だろう。マレスは未だに魔物を追いかけていたが、さすがに疲れが見え始めていた。失敗の分だけリリィの周りの群れは大きくなっていた。


「だぁー! もう無理!」

「おやおや? 未来の勇者様が弱音なんて吐いてもいいの?」

「ぐぬぬ……」


 エルが口に手を当てて意地悪気に笑う。


「……とは言ったけど、今のまま追いかけ続けても何ヶ月かかるか分からないわよ。特別な相手には特別な技術を身に付けなきゃ倒すのは難しいんじゃないかしら」

「特別な技術ねえ……」


 真っ先に思い浮かんだのはウィタとエトナだった。鋭い直感力を持つ二人なら動きを読むことができるのではないか。


 しかし彼らの場合、それは経験的なものというよりも野生の勘のように先天的なものだ。参考にはなり得ない。


「シデンウサギと同レベルの速さを身につけるか、読みの精度を高めるか。もしくは別の技術……。例えば気配を消したりとか? 私が思いつくのはそれくらいね。どちらにせよ誰かに教わるべきじゃない?」

「うーん……。それなら人の多いレグリアで探すのが今のところ一番いいのかな」


 マレスは腕を組んで何もない草原地帯を見渡して考える。そして、ふと閃いたように「いや、まてよ」と呟いた。


「……いた」

「え?」

「いるじゃん。ぴったりの人が。……そうと決まればすぐ行こう! 今行こう!」

「ちょっと。なに一人で勝手に納得してるのよ。一体誰?」

「エルもよく知ってる人だよ」


 魔法関係の知人が多くを占めているエルとて武闘派の知人がいないわけではない。しかしマレスと共通の知人となると限られてくる。それこそウィタやエトナだ。


 首を捻るエルにマレスは言った。


「じゃ、帰ろうか」

「は?」


   *


「は?」


 鉄格子で囲われた広い敷地に聳え立つ蒼色の屋根と白塗りの壁。玄関の真上には魂とをモチーフにした家紋が誇張するように嵌め込まれている。


「わあ! エルのお家、大きいですねー!」


 リリィが額に手を垂直に当てて遠くを見渡すようにして言った。


 そう。ここは魔法都市ラプラ。エルやウィタの生まれ故郷にしてマレスたちが力を育んだ街――ディラ。その中心地にあるガレミア邸だ。


「お帰りなさいませ。お嬢様、マレス様」

「ただいま爺や」

「なんか帰ってきちゃったわ……」


 彼らを出迎えたのはガレミア家の執事こと爺やだ。黒のタキシードに身を包み、真っ白に染まった髪はひとつの淀みもなく綺麗にセットされている。


 爺やはふくよかな白眉を見慣れぬ相手に向けて言った。


「それと、そちらの方は新しいご友人ですかな?」

「リリーゼです! リリィと呼んでください!」

「かしこまりましたリリィ様。さ、皆様、長旅でさぞお疲れでしょう。日も暮れてきています。中で夕食としましょう」


 扉を開けると玄関ホールが広がる。何度見ても絢爛豪華な内装だ。最初に目に入るのは蒼色のカーペット。次にホールの光量に気付き、天井から吊り下げられたシャンデリアに目が移る。


 ホールの左側の壁を、弧を描いて伝う階段がある。その階段を上った先にエルの妹ミアの姿が見えた。顔が半分くらい隠れるほど積み上げられた本を両手で忙しく運んでいる。


「久しぶりミア。元気だった?」

「あれ!? お姉ちゃん! お兄ちゃんも! なになに、なんで帰って――」


 手すりの上から見下ろすように顔を覗かせたミアは、その途端に持っている書籍をどさどさと落とした。


「だ、誰その女……」

「リリーゼです! リリィって呼んでください!」


 青ざめた表情で指をさすミアとは正反対に、リリィはにこやかに答えた。


「なんで……お兄ちゃん……。ミア、信じてたのに……」

「ミ、ミアちゃん……?」

「魔力お化けだと思ってたけど、もお化けだったってこと!? お兄ちゃんのすけこましーッ!」

「ちょ――」


 呼び止める暇もなく、ミアはなぜか悪口だけ吐いて奥へと逃げ去っていった。マレスはどうしてとエルを見るが、彼女は能面みたいに無表情だった。「元気な妹さんですね」とリリィは笑った。


 ミアが気掛かりだが先へ進む。ショーケースが並ぶ廊下を渡るとダイニングルームがある。テーブルクロスが敷かれたテーブルの上には燭台が等間隔に配置されている。マレスたちは爺やに促されるまま席へ腰をかけた。


 しばらくして目の前に色鮮やかな料理が並んだ。突然の帰来にもかかわらず、なぜ料理が用意されていたのかは謎だが、マレスらは気にせず料理を口にした。


「ん〜っ、すっごく美味しいです!」


 リリィはほっぺたが落ちないように支えながら、鼻腔を通る香りと口の中に残る風味に浸った。


「お褒めに預かり光栄です」

「これは全部、……えっと、爺や?が作ったのですか?」

「左様でございます。当家の家事は全て私が務めております」

「すごいです! 食材とその命が丁寧に扱われていて……こんな美味しい料理を毎日食べてただなんて、エルはズルすぎます」

「そんなこと言われても困るわよ……」


 リリィの心底羨ましそうな目に、エルは眉を下げる。確かにガレミア家に生まれたからこの暮らしができるのだが、それを言われても仕方がない。


 その傍ら、マレスは黙々と料理を運び、やがて食べ終えるとスプーンをテーブルに置いた。そして不意にこう言った。


「爺や。僕に稽古をつけてくれないかな」


 それを聞いた爺やは無言のまま動じる様子を見せなかった。むしろ驚いていたのはエルの方だった。


「あんた、『ぴったりの人がいる』って爺やのことだったの!?」

「そうだよ。だって爺や、普通じゃないでしょ」

「そうだけど……。てっきりシン先生かウィタのお父さんかと思ってたわ」

「その人たちも考えはしたんだけどねー」

「……理由をお聞きしても?」


 しばらく何も答えなかった爺やがようやく口を開いた。マレスがレグリアでシデンウサギに苦しめられたことについて説明する。爺やは軽く頷いた。


「なるほど。それで私ですか」

「うん。爺やはとは違うベクトルの人間だと思ってるんだけど、どうかな」


 マレスが問う。


「……たしかに私はその類の相手の対処法を存じておりますし、享受することは可能でしょう」

「それじゃあ――」

「しかし困りましたな。私はガレミア家の執事。いくらマレス様の頼みとはいえ、常務を疎かにするわけにはいきません」

「え……」


 マレスとしては断られると思っていなかった。自分の知っている爺やなら引き受けてくれるだろうと。だから落胆よりも先に違和感が心を覆った。


「いいんじゃない?」


 突然、扉の方から四人とは異なる声が聞こえた。


「あなたらしくないわね。爺や」

「お母さん!」

「トゥーリットさん!」


 その声の正体はエルの母トゥーリットだった。


「客の接待の一環とかエルを間接的に守るためとか理由の付け所なんてたくさんあるじゃない。あなたにも理由があるかもしれないけれど、私情で断るのはナンセンスよ」

「……奥様にそう言われたら仕方ありませんなあ」


 珍しく語気を強めて言うトゥーリット。爺やは観念したかのような口振りだったが、表情は全く曇っていなかった。まるでその言葉を待っていたかのように。


「それでは明日から早速取り掛かりましょう。時間はマレス様の好きな時間で構いません。ただ、やるからには覚悟していただきます」

「怖いこと言うなあ。でも、ありがとう爺や!」


 マレスは約束を交わし、ガレミア邸を後にした。


   *


「ただいまー」

「あら、おかえり。早かったわね。勇者になった? ご飯ないわよ」

「なれるわけないでしょ! もっと息子の帰還を喜んでよ! ご飯は食べてきたから大丈夫!」


 あのやり取りのあと、マレスは自宅へ帰ってきた。ガレミア家を見たあとでは実に簡素な佇まいだが、それが逆に安心する。


 ユシアは息子の急な帰宅にも動じず、いつも通りの様子だった。冒険者だった夫のマイオスもしばらく家を空けることが多かった。その時もこういう風だった。そしてそれはきっと彼女なりの美学なのだろう。


 キッチンの前のテーブルから椅子を引き、腰をかける。ユシアはコップに水を汲み、マレスの前に差し出した。


「どう? 冒険は楽しい?」

「楽しいよ。色んな場所に行けるし、それに新しい仲間もできた」

「へえ、どんな人?」

「ええと、金髪で元気で動物に懐かれやすい女の子……?」

「あなたはいつの間にそんな女たらしになっちゃったの……。子育て間違えたかしら。お父さんは健気に独りで頑張ってたというのに……」


 ユシアは袖で顔を覆って泣き真似をした。


「べ、別にそんなんじゃないよ! たまたま出会っただけ! ……あ、そうだ。お父さんにも会えたんだよ」

「……本当におかしくなっちゃった?」


 袖をどかした先のユシアの表情は真顔だった。息子が死人と出会ったと言うのだから心配するのも無理はない。


「違うってば。レグリアの端っこの村に行ったんだ。お父さん、そこで死んだんだって」

「そういえばあの辺りって誰かが言ってたわ」

「それでお父さんがその時に救った女性が墓を作ってくれたんだ。……しかもその人の初恋がお父さんなんだって」

「ふーん……ま、そりゃ私の夫なんだからモテて当然よね」

「う、うん。そうだね」

「まあ、あの人のことが知れて良かったわ。ありがと」


 ユシアが優しく微笑んだ。はは、と笑い返すマレス。彼は持っているコップを傾け、口に含んだ水をごくりと飲み込んだ。


「ねえ、マレス」

「んー?」


 その様子を見たユシアが静かに語りかけた。


「ここはあなたの家。あなたの家族以外誰もいないわ」

「……」


 喉を通った水とは別のものが逆流してきそうな気分だった。


「あ、はは……すごいね、お母さん」


 マレスは笑顔を僅かに歪ませた。その言葉が何を意味するのか、彼にはすぐ分かった。


 ユシアは何も答えずマレスの言葉の続きを待った。


「正直、ちょっと焦ってる。今のままじゃ勇者になんてなれない」

「何かあったの?」

「二回くらい死にかけちゃった。一回目はでっかい狸。二回目は、魔人」


 その忌まわしいワードに、ユシアは一瞬言葉を失ったように見えた。


「あんたって本当に運がないわね」

「でも勝てなかったのは僕の実力だよ」

「そ。まあ、焦るのも悩むのもあなたの人生だし、ただの主婦が口を挟めることじゃないから私は『頑張れ』としか言えないわね。それに、ただ慰めて欲しくて帰ってきたわけじゃないんでしょ?」

「もちろんさ」


 マレスは帰ってきた理由や明日から爺やと特訓することを説明した。


「あなたもあなたなりに考えているわけね」

「まあね。もう一人前だから」

「でも、もう少し仲間に気持ちを伝えてもいいんじゃない? 一人で背負い込むのはしんどいだけよ」

「うん。気を付けるよ」


 マレスはもう一度、口に水を注いだ。乾いた喉が潤う。コップを口から離したとき、ユシアは俯いていた。


「私も、そうね」

「……?」


 母が顔を上げて、こう言った。


「マレス、お願い。……魔人を殺して」

「……うん。任せて」


 親子は互いに手を握った。片方は決意を、もう片方は願いを、その大きさも柔らかさも違う手へ渡すように。


   *


「そうです!」


 なぜか客室ではなくリビングでくつろいでいたリリィが、突然ソファから立ち上がった。


「私、この家に住みます!」

「やったー!」


 リリィの大胆な宣言に隣に座るミアがバンザイをする。


 最初はリリィに対して距離を置いていたミアだったが相手が悪かった。リリィの人懐こさと潔白さの前ではその程度の距離は無いに等しく、簡単に取り込まれてしまったのだった。


「ダメに決まってるでしょ」

「ぶー。エルがいじめます」

「お姉ちゃんひどーい!」

「うっさい!」


 エルは読んでいた本を閉じて二人を怒鳴る。二人はわざとらしい悲鳴を上げて互いを抱き締めた。


「私としては可愛い娘が増えて嬉しいんだけどねえ。でも、あんまりご両親に迷惑かけちゃダメよ」

「はい……」

「それは私にも刺さるわ……」

「私も迷惑かけたから人のこと言えないのだけれどね」


 遠く遠くの国から親の反対を押し切って嫁いできた彼女だ。自身を反面教師にしての言葉は軽くはない。


「そういえばお父さんは?」

「あの人なら二徹で研究室に閉じこもってるわよ」

「そっか」


 エルは一度閉じた本をもう一度開き、読書を再開した。


「この時期に忙しくなるようなことあったっけ?」

「そうそう。今度『お茶会』があるのよ」

「あぁ、それで」

「あなたはどうする?」

「欠席するわ。私は今出席するべきじゃないもの。やりたいこともあるし、……あと、に会うのも面倒だし」

「エルがそうしたいなら別に構わないわ」


 エルはテーブルに置いていた残り二口分の紅茶を飲み干した。乾いた喉が潤った。

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