第十三話 闇を纏う魔人
呼吸が荒くなっている。この場に駆けつけるのに疲れたからではない。目の前の仇に対する怫然。その激情を口から吐き出しているのだ。
その仇である魔人はこちらの様子を窺っている。窺いながらもその目の奥はマレスと同様、殺意に満ちていた。魔人が指先で眼鏡の位置を整える。
当然ながら魔界にも文明がある。二つの世界は隔絶されているため、異なる文化体系になっている。現界の国同士でも異なるのだ。世界で比べたらそれは顕著に現れるのは当たり前だ。
しかし、武器は例外だ。現人と魔人が唯一交流するのは戦場だけだ。故にそこで見た情報を持ち帰って還元することができる。だから武器は他の文明と比べれば似ている部分が多い。無論、魔界の技術を毛嫌いするものも少なくはない。
魔人が携える杖も(デザインは魔界特有のものだが)、魔力操作に長けたよくある魔法使いの杖だ。
ところで魔人には魔法使いが多い。彼らは生まれつき現人に比べて魔力量が多く、魔法の扱いに富んでいる。故に魔人と呼ばれているわけだ。
『【
そして魔人の気質も相まって、彼らの魔法は総じて大味だ。
周囲の木よりも高い氷の斧が空間を裂き、地面を割る。マレスはそれを右方に跳躍して避けた。
『無駄だ』
魔人の手の動きと連動して斧が持ち上がり、マレスを追って薙ぎ払う。
魔人の魔力は比較的多いと言った。ただし、その魔人に対抗するために現人はある力を持つ 。神から与えられし異能。それは「加護」と呼ばれる。
彼の加護は「魔力の溟渤」。地平線にまで広がる彼の魔力量は上級の魔人すら上回る。
「邪……魔ッ!」
まるで己の心を映したかのように燃え盛る炎を剣に従える。灼熱の剣が、冷徹な氷の斧を弾き返した。
「随分軽い魔法なんだね。【凰炮】ッ!」
『潰れろ。【
赤と青がぶつかる。境界線では火の粉と氷片が入り交じる。
魔法同士の力較べとなれば重要なのはスタミナ(魔力量)、そして出力(魔力制御)の二つだ。魔力量はマレスが上。魔力制御は……
拮抗していた炎と氷が大きく傾く。氷が炎に砕かれる。
魔力制御もマレスに軍配が上がった。氷の巨腕を崩しながら押し寄せる大炎の咆哮が魔人を飲み込もうとする。魔人はローブの端を燃やしたが、辛うじてそれを躱した。
しかし、炎の影から現れたマレスが既に、手の届く距離で体を大きく
「
魔人と視線が絡んだ。その表情は死に恐怖したものであり、そして現人への敵意が張り付いたものだった。
――なんだよその目。自業自得のはずだろうが。なのに、なんだ? ふざけるな。ふざけるなよ。ふざ――
首へ振り下ろそうとしたその瞬間、右方から黒い斬撃が闇を散らしながら飛んできた。マレスは無理やり身体を回転させてそれを受け止めた。
「重……ッ」
しかし無理な体勢で受け止めたため、それはマレスの剣を押し切り、彼に襲いかかった。
弾き飛ばされたマレスは地面にバウンドするように打ち付けられた。三度目でなんとか着地し、魔人がいた場所を注視した。
『おいおい。負けそうじゃねえか』
『……すみません』
斬撃が飛んできた方向の茂みからもう一人、魔人が姿を現した。
ウェーブのかかった黒髪。角はうねっていて長い。口髭と顎髭は繋がっていて、渋い面持ちだ。おそらく片眼鏡の魔人より年上だろう。
そして先程の攻撃と彼の放つ雰囲気が、かなりの猛者であることを直感させた。
『どけ。こいつは俺がやる』
『私も、まだ……戦えます……』
『無理だな。さっさと下がって鏡でも見て来い』
『……分かりました』
片眼鏡の魔人は苦虫を噛み潰したように重々しく命令に従って杖を収めた。
『そんじゃあ始めようか』
黒髪の魔人は刀を肩に担いで言った。刀身は厚く、根元より先端部分が広くなっている刀は紫がかった黒色の片刃で、背は半円状に一箇所欠けている。
マレスは突如現れた相手を警戒して、剣を構えたまま動かなかった。
『来ねえのか? 来ねえならこっちから行く……ぞッ!』
黒髪の魔人は地面を踏み込むとあっという間に距離を詰め、マレスの眼前で刀を振り上げていた。恐ろしく速い。
だが生憎、敏捷な相手には慣れていた。反応するだけなら容易い。それよりも厄介なのは膂力だ。一太刀受けただけでも反動で後方に飛ばされるほど重い攻撃。
さらに魔人は追撃に黒の斬撃を放つ。
マレスは思う。この攻撃は夢で見た魔王が最後に放った魔法に少し似ている、と。性質は異なるのだが雰囲気というかどことなく共通性を感じる。
魔力を変質させるにもセンスが必要だ。特に攻撃魔法についてはかなり個性が出る。夢の魔王や目の前にいる黒髪の魔人の闇魔法、勇者ユウォンの光の刃、アルドルトの煙の一閃、龍の腕……。雷魔法もそれに近い。
生半可では辿り着けない極地。奥義とも呼べるものだ。
刀を中心に闇が渦巻く。
『俺ぁね、ころころ転がる現人を見るのが大好きなんだよ!』
愉悦の表情を浮かべながら斬撃を叩き込む。全てを受け切ることができず、徐々に傷が増える。
「何言ってるか知んないけど、うっさいなあ!」
『……ッ! へえ、生意気だな!』
「ッ、ぐぅッ!」
魔人の猛攻撃を受けながら隙を突いたマレスの攻撃が相手の頬を掠めた。血が垂れる。しかし、魔人は退くどころかマレスの腹部へ回し蹴りを入れた。
後方に大きく吹き飛ばされたマレス。今度は着地をとることもままならず、地面を引きずった。
土を握る。魔人の何倍も攻撃を受け、傷だらけになったマレスはそれでも立ち上がった。
『まだ立つのか。いい加減鬱陶しいな』
魔人は少し苛立っていた。諦める様子も見せず、無駄に抗う現人の姿が滑稽を通り越して不快だった。
そこに勝機がある。少しでも集中を乱すことができれば必ず隙が現れる。しかし最後はやはり実力勝負になるだろう。だから「潜る」ことさえできれば対等に渡り合えるはずだ。しかし……
(どうして潜れないんだ……ッ!)
精神を沈め、あの瞬間を思い出す。色褪せた世界。手で掴むように繊細な音。イメージする。だが修行の時と同じで、まるで「潜る」ことができなかった。
魔人がただそれを呑気に眺めているわけもない。黒の散弾は放つ。マレスはみっともなく避ける。距離を詰めてきた魔人の剣撃でやはりまた後方へ飛ばされる。顔を上げた先には黒の斬撃が迫っていた。炎の壁で防ぐ。魔力は有り余っているが、体力が限界を迎えている。
「まだ、だァっ!」
『終わりだ。【
哮るマレスを襲ったのは「完全な黒」だった。初めは球だった。いつの間にか頭上に浮かんでいたそれは魔人の一声で、見た目はまるで柱状に広がる大瀑布なのに音もなくマレスを飲み込んだ。
『戻るぞ』
黒髪の魔人はそれを見届けもせずに後ろで待機している片眼鏡の魔人に言った。しかし、片眼鏡の魔人は答えず、硬直していた。その目の色は驚愕であった。
『……ッ!』
魔人は振り返り、息を飲んだ。
「フゥー……ッ、フゥー……ッ」
黒髪の魔人の最大の技だった。防御魔法で防いでも凌ぎ切れるレベルではない。それでもなお立っている。剣を地面に突き立て、髪を血で濡らし、呼吸はままならない。満身創痍だ。それでもなお眼光は衰えない。きっと死ぬま衰えないのだ。
もう、剣を一振りできる余力すら残っていなかった。
――あぁ、もう、ちくしょう……。剣が重くて腕がもげそうだ。魔力は相変わらず余ってるのに、魔法を使ったら身体が破裂しそうだ。
でも、それでも、負けられないんだよな。負けたらきっと村が襲われる。何人も殺される。それは、駄目だ。だから、僕がやらなきゃ。
不思議だ。そう思うと力が湧いてくる。
まだ、やれる。動け。
動け! こんなところで死んでたまるかよッ!
ギ……
『やめだ』
魔人が突然、ため息をつき剣を収めた。
『ラージュさん!? なぜ退くのですか! 現人はまだ生きています!』
『こいつを倒すにゃあ、ちっとばかし骨が折れる。最悪食われるかもしれん。それに、……そろそろ時間だ』
『時間……?』
「【
水の流星が魔人たちに降り注ぐ。着弾した弾が土を巻き上げた。
「マレス! 大丈夫ですか!?」
呼び掛けたのはリリィだった。近くまで駆け寄り、マレスを支える。そしてエルが二人の前に立ち、険しい表情で杖を構えていた。
土煙が晴れる。片眼鏡の魔人が氷の盾で二人を覆い、攻撃を防いでいた。
「あんたたち……ッ、絶対に許さないッ!」
激昂するエル。彼女の周囲には、感情の高まりに比例した夥しい量の水滴が浮かんでいる。それがゆっくりと渦巻き、中心にある杖の先へ集約されていった。
ぽこぽんとの戦いでは崩落の恐れがあったため大魔法は控えていたが、今はその心配はない。なにより心配なんてものを持ち合わせる余裕もなかった。
『えぐいなあれ。お前、真似できる?』
『……悔しいですが無理です』
『だよな。逃げるぞ』
集約しきった水の体積は浮かんでいた水滴の数からすると明らかに小さい。それを見た二人の魔人は背を向けて森の奥へと去ろうとした。
「まてッ!」
「だめですマレスっ!」
追いかけようとしたマレスをリリィが必死に食い止める。
『じゃあな現人。次はぶっ殺してやる』
魔人が捨て台詞を吐く。それと同時にエルが魔法を解放した。圧縮された水の弾は放たれると、枝分かれを繰り返しながら空中を高速で進み、前方の木々を見境なしに吹き飛ばした。
へし折れる木と共にマレスの意識は暗闇へと落ちていった。
*
しばらくしてマレスが目覚めた。何度か見た天井。宿屋の一室だ。彼はあれから丸一日中意識を取り戻していなかった。
膝の辺りに重みを感じた。視線をやるとそこにはエルが布団に頭を埋めていた。少し震えていた。彼女はずっと回復魔法をかけていたらしい。
そのあと部屋に入ってきてマレスの目覚めに気付いたリリィが思いきり抱きついた。だが、マレスが痛がったためすぐに離した。傍らではエルが涙目で睨んでいた。
聞いた話だと、二人の魔人には逃げられてしまったらしい。エルの大魔法の跡を探したが、その二人の姿はなかった。ただ、その代わりに二人とは別の魔人が瀕死の状態で倒れていたと言う。魔人はすぐに力尽き、その死体は後日ギルドが回収するとのことだった。
そのあとマレスたちは話し合いをして傷が癒えるまで出発を延期することにしたが、その数日はあっという間で、回復したマレスとその一行は村の北の出口まで来ていた。
偶然とはいえ魔人を一体討伐し、犠牲者を出さずに追い返したのだ。村人にとっては英雄だ。その英雄の出発に村の大勢が駆けつけていた。勿論その中にはレックの母もいた。
「レック君はまだ出てきそうにないですか」
「ええ。ごめんなさい。命の恩人にお礼も別れの挨拶もできないなんて」
「仕方ないと思います」
しかし、助けられた張本人であるレックの姿はそこになかった。彼は魔人に襲われたショックでそれ以来ずっと部屋に引きこもりっぱなしになっていたのだった。
「……」
「どうかしましたか?」
レックの母がマレスの顔をまじまじと見つめていたのが気になった。
「あなた、マイオスさんの息子よね」
「! ……どうして父の名を!?」
「やっぱり。似てる」
マレスの父――マイオスの名前だった。しかし彼女は質問に答えず、懐かしむようにマレスを見た。
「十三年前、私も魔人に襲われたことがあるの」
彼女は目を据えて言った。
そのことについてはリリィの軽口によって聞かされていた。親子揃って魔人に襲われるなんて不運だ。だが、それよりも「十三年前」という言葉が興味を引いた。
「もしかして……」
「ただの宿屋の娘が魔人相手に逃げ切れるわけなくてね。でも、私は今生きてるわ。あの人のおかげで」
「……」
思いもよらぬ事実にマレスは心底驚いていた。彼女はそれを見て彼に聞いた。
「ここで亡くなったとは聞いていなかったの?」
「ラプラの隣国だってことは聞いてましたけど、この村だとは知りませんでした」
「マレスくんが通ってた広場に四角い石があったでしょ。あそこで亡くなったの」
「じゃあ、あれは父さんの墓なんですか?」
「私が勝手に作ったものだけどね」
「そっか……」
父は強くなった僕を見てくれたかな。マレスは想いを巡らせた。
「今度、お墓参りに行ってもいいかしら」
「ええ、もちろん。父もきっと喜びます」
「初恋の人にこんな太った姿を見せるのは恥ずかしいね」
「はあ……え、初恋!?」
「あっはっは、気にしないで。ただの元美女の独り言さ」
彼女ははぐらかす風ではなかったが、追及を吹き飛ばすように笑った。マレスは複雑な気持ちだったがキリのいいタイミングだったので「それじゃあ、お世話になりました」と一礼して歩き出そうとした。その瞬間だった。
「マレス兄ちゃん!」
「レックくん! もう大丈夫なの?」
部屋に引きこもっていると思っていたレックが駆けつけて来たのだ。全力疾走して来たのだろう。息を乱して膝に手をついて呼吸を整えてから少年は言った。
「……僕、マレス兄ちゃんみたいに強くなりたい! どうしたら強くなれる!?」
それは少年なりの告白だった。
マレスはしばらく腕を組んで考えてから、そっと口を開いた。
「絶対に後悔しないようにどんな些細なことでも手を抜かずに努力し続けること。あと剣の才能。あと傲慢さ。あと銀髪。あと……」
マレスは虚ろな目で言った。
「そういう奴が知り合いにいたんだよ。ほんと、ため息出ちゃうよね。あぁ、でも、そっか。そういう奴がいたからここまで強くなれたのかもしれない」
思い返せば彼の努力の下積みには必ず誰かがいた。剣道場に通えたのは母のおかげ。剣や魔法が上達したのは級友のおかげ。
結局、彼は彼一人で何もしてはいない。ただ、齧りついていただけだ。
「つまりどういうこと?」
裏技みたいなものを期待していたのかもしれない少年は理解しがたい様子で首を捻る。
「環境と挫けない心。あとは運かな」
「運かあ……」
「レックくんは運がいい方だと思うよ。だって僕も魔人に襲われて生きてるから」
「……そうなの?」
「そうだよ」
レックの表情が少しだけ曇ったように見えた。前髪が目を覆っているので分かりづらいが口元が強ばっているのが分かる。魔人はいまだ少年の心に巣食っているのだ。
しかし少年はすぐにそれを咀嚼して飲み込んだように納得をして顔を上げた。
「じゃあ、ぼく強くなる! それで兄ちゃんと一緒に魔人を倒すんだ!」
「それは楽しみだ!」
レックの頭を軽く撫でたあと、マレスたちは今度こそ歩き出した。
「助けてくれてありがとう!」
少年は精一杯の笑顔でそれを見送った。マレスはもう一度背中を翻し、応えるように手を振る。レックも手を振る。木々の間を歩くその背中は少年には大きく見えた。
その大きい背中もすぐに見えなくなり、レックは母に尋ねた。
「ねえお母さん」
「なんだい」
「フロウシャ……ってなに?」
「どこで聞いたんだいそんな言葉」
「リリィ姉ちゃんが言ってたんだ。『私はフロウシャです!』って」
「何馬鹿言ってんだい」
母は息子の頭を拳でこつんと叩いた。
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