ひたすら凄まじいの一言

「人に何かの感情を起こせるってすごいよ」と僕の尊敬する先輩が言いました。

もう10年以上前の事です。

ここで僕が自分語りをしたってしょうもないんで細かい事は言いませんが、僕にとっては大事な事です。

それで、この作品を読んで僕は何か感じてるんですが、それが何なのかはわかりません。

カタルシスと言って済ますには、この話はずいぶんと歪んでいるように思いました。
だって第三者として冷静に考えてみれば、語り部の男は相当な下衆です。

もし、僕の友人がこんな告白をしてくれた日には一言
「あ、ちょっとごめんね」
って言ってから前蹴り入れるぐらいの事はするでしょう。

そんな自己中心的な下衆がなに美しい感じで死んでんだよ。

って、まず一つが怒り。

でも、この男の下衆さがどこから来ているかと言えば、それは僕にも充分に起こりうる気がして、単純に恐ろしい。二つ目。

ところで、ここまでなかなか自己中心に吹っ切った生き方もなかなかできないよなって。そういう(あんまり褒めてはもらえない)憧れ。

「なに美しい感じで死んでんだ」ってさっき言いましたが、美しさ。
なんだっけ?
耽美的? わからんけど。そういう美しさ。
(ちょっとこじつけが強いけど、美しいも素晴らしいも感情の一つだと思っとります。そういう気持ちになったから、『あれは美しい』とか言うんです)

そして最後の一つ、自分で認識できた感情の最後の一つは嫉妬。

そういう、いろんな感情を巻き起こしつつ、砂時計の砂が落ちました。

東雲さんの、なんだかよくわからないエネルギーの暴風みたいなものでいろんな感情を呼び起こされて、こんな長いレビューを書いてます。

暴風雨の後はやけに月がきれいだったりしますが、レビューまとめられそうになった今、やっとそういう感じ。

だからもう、言う事としてはひたすら「凄まじい」の一言。