第6話

 鍵はいつだって

 己が手の内にあった。

 ただ、気付かないふりをしていた。

 それだけ。





「もし」


「うにゃ?」


 鳥籠へ近付き、洋二は傍らの綺羅を見る。


「もし、ここが開けば、早織さんは目を覚ますんだな?」


「そだよ」


 にこりと笑って、指差す。

 すでに体力も気力も限界の小鳥を。


「彼女を、助けて。洋二」


 眼差しは真っ直ぐで。

 嘘など欠片もない。


「洋二のために」


 ひとつしっかりと頷いて、洋二はその鍵を鍵穴に差し込んだ。

 ざわ、と鳥肌が立つ気配がする。


「綺羅!」


 背後で麻野が綺羅を呼んだ。

 綺羅は、声より先に洋二の前に回りこんだ。


「……ぁ」


 小さな、声。

 歌ではない、かすれた。

 まばたきをして、ゆぅるりと小鳥が振り返る。


「……ゆぅ、じ」


 何処か遠くを見ていた小鳥の視線が、定まる。


「洋二!」


 呼ばれて、突き飛ばされ、何が起きたか分からなかった。

 黒い、槍。

 そう見えたのは、以前も見たあの触手。

 脇腹を貫かれ、綺羅はそこにうずくまる。

 赤い液体が、押さえつけているその指の隙間からぼたぼたと染み出していく。


「綺羅」


「へい、き」


 苦しげに笑って、指を差す。


「籠の扉、開けてあげて」


「だが」


「これは、夢、だから」


 ならば、何故。

 彼女だけを傷つけようとするのか。

 もし。

 あの時思ったように、この黒い触手が欲望の象徴だとするのなら。

 納得がいく。


「……俺の、せいか」


 目覚めたくない。

 目覚めさせたくない。

 己の欲望が。

 目覚めへと案内する彼女を、傷つけるのか。


「……いいから、はやく」


 扉に手をかける。

 黒い触手はわだかまっている。

 攻撃を仕掛けてはこない。

 思いきりよく、扉を開け放つ。

 淡い、輝く、何かが、そこから出ていく。


「ご苦労」


 にや、と笑った男の顔が、すぐ側にあった。

 瀬名の顔を見て、滝井は顔をしかめる。


「俺は、あいつの案内人(ナビ)なんでね」


 それだけ告げて、淡く輝く何かと共に、瀬名は姿を消す。

 残されたのは、空の鳥籠と床にしゃがみ込んでいる綺羅と彼の傍らに居る麻野だけだ。


「綺羅」


 洋二は鳥籠から離れると、うずくまる綺羅の側に駆け寄った。


「頑張ったね」


 えらいえらい、と笑って、頭をくしゃくしゃと撫でられる。

 その間も、綺羅は酷く苦しそうに呼吸を繰り返す。


「夢、なんだろう」


「うん。でも、あたしも夢だからね」


 だから、ちょっと痛いかな、と笑って、ゆっくりと呼吸をした。


「あなたが、俺たちを呼んだんです」


 ゆっくりとした足取りで、二人に近付きながら麻野は語る。


「俺、が?」


「ただ、『食べる』だけだったら簡単だけど、『昇華』しなくちゃ意味がないからね。悪夢は」


「食べる?」


「呼んだでしょ。獏(ばく)食え、って」


 ふいに思い出される。

 忘れてしまったはずの、おまじない。

 悪夢を見て目覚めた時は、三度繰り返せと祖母が言った。

 獏食え、獏食え、獏食え、と。


「だから、あなたは次目覚めたら、このことを全て忘れてしまう」


 麻野は淡々と告げた。

 綺羅は微笑んで、洋二を見上げる。


「麻野さんが食べちゃうからね。俺は、昇華のための手助けしか出来ないから」


「もう、会えない?」


「うん。会えない方がいいんだよ?」


 悪夢なんて、見ないに越したことはないでしょ、と綺羅は笑って、洋二の肩を借りるようにして立ち上がった。


「つらい恋を忘れるにはね、新しい恋をするに限ると思うな」


「うるさい」


「本気で言ってんのに~」


「尚悪い」


「ねぇ、洋二」


 くすくすと笑っている、綺羅の輪郭がぼやけていく。


「洋二が名前くれた時、すごく嬉しかったんだよ」


「……お前さんは、誰なんだ?」


「さぁ? あたしは、洋二の中のこの人の姿を借りただけだから、わかんないけどね」


「……じゃあ、また、会えるな」


「あたしではないあたしにね。きっと、会えるよ」


 さよなら、と告げる代わりに、唇でその柔らかな唇に触れた。

 微笑みが、儚く消えていく。

 目覚めが、待っている。





 消えてしまった洋二の姿を見送って、麻野は綺羅を見た。


「ご苦労様」


「うん……」


 こつん、と麻野の肩に頭を預けて、綺羅はひとつ大きくため息をついた。


「長丁場だったねぇ」


「ああ。でもそれは、お前が彼を傷つけたくないって言ったからだろ?」


「遠回しに攻めたからね。疲れたぁ」


 ふにゃ、とあくびを一つして、額を擦り寄せる。

 それを愛しげに抱き寄せて、麻野の姿をしたそれは、綺羅の耳元に囁く。


「おやすみ、綺羅」


「うん」


 ふわん、と輪郭がほつれた。

 形のない何かは、まどろみの中に落ちる。

 かたわれの輪郭もまた、ほつれて混ざり合う。

 夢のうちに、消えていく。





 夢ほど曖昧なものはない。

 目覚めれば薄れゆく。

 何を見、何を聞き、何を感じたのかさえ。





 彼女が階段から落ちて、怪我をして意識を失ったと聞いた時には心臓が止まるかと思った。血だまりの赤はあの夢でみた赤褐色のドレスの色によく似ていた。


「麻野さん!」


 物思いに耽る洋二を視界の端にとらえながら、麻野は自分を呼ぶ声のした方へと頭を巡らせた。


「どうした、綺羅」


 ふわふわの金色の髪をした少女はにっこりと笑う。


「今日は麻野さんのお友達を紹介してくれるはずでしょ? 忘れちゃった?」


「あぁ、そういえば。今あんなだけどね」


 麻野が肩をすくめて窓の外を見ている洋二を指さすと、ころころと鈴を転がすような声で綺羅は笑った。


「じゃあ、もう少し経ってからの方がいいかなぁ」


「そうだね」




 洋二がそのはじめて会う人との再会を果たすのは、もう少し後のおはなし。


 

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うつろわぬもの 小椋かおる @kagarima

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