第5話

 思い出す

 夢と

 現(うつつ)の

 違い





「……排除しようとしてるんだね」


 小さく、ぽつりと綺羅は呟く。

 その身体には無数の傷跡。

 滴り落ちる鮮血の赤が、足元にわだかまる。





 忘れたいの?

 忘れていたいの?





 洋二は目を覚ました。

 その例えは正確ではないかもしれない。

 彼は、夢の中で「目を覚ました」。

 目の前にいるのは、傷だらけの少女。

 慌てて駆け寄ると、ふ、とその身体から力が抜けた。


「綺羅っ?!」


 その背を支えるようにして抱きかかえる。


「ありゃ、洋二」


 ほにゃ、と気が抜けたような笑顔をして、綺羅は洋二を見上げた。

 目の前には金の檻。

 歌いつづける、黒髪の小鳥。


「お前、これ」


「ん~? ああ、これ?」


 傷跡を見て、また笑った。


「これは、洋二が思っているだけ」


「え?」


「分かってるんでしょう、これは、洋二が見ているだけの」


 唇の動きを凝視する。


「ゆ」


 目の前がちかちかと瞬く。


「め」


 意識を失いそうな、光の洪水。

 けれどそれを押しとどめたのは、綺羅の指先だった。

 ぎゅ、と洋二の腕を掴んでいる。


「逃げないで」


 微笑みは儚げだけれど、その手にこめられた力は強い。


「ねぇ、洋二。思ってみて、あたしはケガなんてしてないって」


「何言ってんだ。実際、それだけの傷を」


「洋二が、望んでくれるのなら、こんな傷、まばたきひとつの間に消えるよ」


 だから望んで、と笑う。

 呼吸は苦しげで、その言葉を信じられるわけもなかった。

 けれど。

 身体を引き寄せる。

 自分よりは小柄で華奢なその身体を。

 祈るように抱きしめて、目を閉じて綺羅の額に口付けた。


(これは、夢)


 ならば。


(綺羅の傷も、夢だ)


 自分の思い通りになるはず。

 ゆっくりと、願う気持ちのまま目を開く。

 そこにいた綺羅は傷のひとつもなく、血に塗れていたはずの白い衣服もまた、清浄になっていた。


「ほら、ね」


 笑って、綺羅は洋二に抱き寄せられたまま、手を伸ばした。

 人差し指の先で、彼女を、指し示す。


「ねぇ、洋二」


 金の檻。

 歌い続けることしか出来ぬ、哀れな小鳥。


「もう、分かったよね」


 彼女の身体はもう限界に達しようとしている。

 けれど、まるで呪いのように、歌い続けるその姿を。


「あれは、誰?」


 洋二はまばたきをして、彼女を見た。

 分からなかったことが、次々に溢れ出す。


「あれは」


 驚きのまま、彼を見た。


「早織、さん?」


 綺羅は満足げに微笑んで、洋二の腕の中から抜け出した。





 夢が、

 色彩を帯びる。





 白い周囲とは対象に、赤褐色のドレスを着た。

 夢の中でただ一人、色を帯びたひと。





「早織、さん、は」


 目の前がくらくらする。

 霞みがかったように、ぼんやりとし始める。

 それを押しとどめたのは、綺羅の手だった。


「洋二」


「早織さん、は、学校の、先輩、で」


「うん」


 とめどなく溢れてくる記憶。

 ただ、自分の左手をぎゅっと握ってくれている、綺羅の手の感触だけが確かで。


「怪我を、させてしまったんだ」


「うん」


「意識が、なかなか戻らなくて」


「うん」


「憧れてたんだ」


「うん」


「だから」


「自分だけのものに、したかったの?」


 綺羅の問いかけは柔らかで、洋二の罪を言及するようなものではなかった。

 洋二はただ、一度きり頷いて言葉を続ける。


「目覚めて欲しく、なかった」


「あの人が、他の人のものになるから?」


「そうだ。でも、それは誤りだ」


「そうだね」


 ふわりと微笑んで、綺羅は両手で洋二の右手を包み込んだ。


「洋二のね、想う気持ちがあんまり強すぎて、夢と現(うつつ)の間(はざま)に落ちてしまったあの人の意識が、『ここ』に囚われてしまったんだ」


「早織さん、の?」


「そう」


 綺羅が包みこむ洋二の手のひらに、熱く存在感のある物が現れる。


「でも、もう平気」


 洋二に見せるように、覆い隠していた手を綺羅はそっと退けた。


「洋二が、気付いたから」


 現れたのは、金の鍵。

 小さく手のひらに納まるほどの。


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