番外編3「気疲れの報酬」
本編読了推奨。本編後。
「気疲れの報酬」
竹内元気の携帯電話にきたメールがこの出来事の始まりだった。
二月も二週目に入ったその日、元気はベッドに横になって眠っていた。一つの大会が終わり、次に控える大会に備えての練習はこれまで以上にハードで、家にたどり着いたところで肉体にも精神に限界が訪れていた。食事もせずに眠りこけて、目覚めた時には二十二時が過ぎていて、喉も乾いて肩も凝っているからか頭が痛い。夕飯を食べ損ねたことに気付いたが動揺する気力すらなく、明日の朝ご飯に回そうと思えるほどに眠い。だからこそ、体を起こした際にメールに気づけたのは奇跡と言ってもよかった。メールのランプが点滅していることも要因だが、普段ならば眠気にスルーしてもおかしくない。たまたま、メールを確認したというだけだった。
『ちょっと相談があるので電話いいかい?』
日頃会話している仲間の誰とも結びつかない口調で文面で書いてくる相手。だが、メールではたまに触れていたものだ。差出人の名前を見てぼんやりとしていた脳が覚醒する。
一言『いいぞ』とだけ返すとほとんどタイムラグなしに電話がかかってきた。電話帳の表示は『大場湊』の文字。カテゴリーを『ぶったおす』としているのは半分冗談。半分は本気で分けていた。
『もっしもしー。元気してる? 元気だけに』
「お前のテンションで一気に元気なくなったよ。切るぞ」
『おっほっ。ごめんごめん』
電話口の相手は全く悪びれることなく謝り、一笑いする。直に会っても電話で話してもテンションについていけず疲れるが、不快に感じず許してしまうのは相手の性質なのかもしれない。
大場もまた元気を「自分を許してくれる相手」として認識しているのかもしれない。そうでなければ、ライバルである他校の自分に気軽にメールや電話をしてこないだろう。
(ライバルって認識してさえくれてないって言うなら悲しいけど)
自分の中に生まれる嫌な想像を振り払い、会話を続けるために口を開く。
「それで、何の用だよ。俺、部活終わって帰ってからすぐ寝ちまって風呂入りたいんだけど」
『そっかー。なら単刀直入に。日曜日に寺坂さんを連れてスポーツセンターに来てくれよ。バドミントンしようぜ』
「……は?」
単刀直入過ぎて思考が追いつかない。少しの間、言われたことを整理するのに時間を使う。大場も自分の言葉が元気の中で落ち着くのを待っているのか何も言ってこなかった。やがて元気の中で一つに繋がり、疑問が浮かぶ。
「なんで寺坂?」
『そりゃー、可愛いからさ。俺、ちょっと気になってるんだ』
元気の言うことを想定して答えを用意していたかの如く返してくる大場。それはつまり寺坂のことが好きなのかと元気は問いかけようとして、何故か口に出せなかった。その隙に大場が自分から元気が知りたいことを伝えてくる。
『ほら。俺達や寺坂さん達てジュニア全道予選でも一緒にいたじゃん。そのあたりから気になっててさー。小さくて可愛いからさ。で、性格もしっかりしてそうだし。これで気にならない方が変じゃん』
「あ、ああー、そうかもしれないな、うん」
自分が出られなかった上位の大会に出た仲間やライバルのことなど結果しか気にしていなかった。無論、試合だけをしているわけではなく、同じ地区の代表だからと同じ場所に宿泊し、食事を取る。試合以外のことはいくつか寺坂とそのパートナーから話を聞いてはいたが全く深くない。そこでどうやら大場の心を震わせる何かがあったのだろう。
(いや。こいつの中でしか通じない理由なんだろうな。こいつ天然だし)
これまでの電話も、大場の顔はコロコロと変わっていったのだろうと想像する。
試合の時は、日本史の授業で出てきた仁王像のような形相で吼え、荒ぶり、気合いを発散していくタイプの選手だが、普段は少し幼い顔で意識せず女子に愛想を振りまく天然キャラ。そのギャップがまたファンを増やしている。そんな相手が一人の女子――よりにも寄って自分の中学の仲間に惹かれている。
(寺坂も災難だな)
元気には全く縁がないが、女子の嫉妬は怖いというのは何となく理解できる。
「ようは、寺坂と接点がもっと欲しいってことだろ。別に一ヶ月後には団体戦で一緒になれるんじゃね?」
中学での練習の合間を縫って別に練習することがなくても、三月に開かれる全国規模の団体戦は学校の垣根を越えて選出される。市内一位のダブルスの一人である大場なら選外になる可能性はないだろう。
だが、大場はあっさりと言ってきた。
『そんな確実に選ばれるなんてないだろ。お互いに。それに大会始まったら勝つことに集中するから告白する時間なんて取れないし』
「そうかよ。分かったよぉ。とりあえず寺坂にオッケーもらうまで待て」
『サンキュ! あっりがとー! 疲れてるとこ悪かった! こっちも女子誘ってるから!』
わざわざ礼を二回言って大場は電話を切った。最後の最後までうるさく切れた後は耳が痛くなる。携帯電話をベッドに置いてから風呂に入ろうと立ち上がるも、もう一度携帯電話を取り上げると寺坂へとメールを送った。
なんという文面でメールをしようかと思ったが、素直に大場から連絡があったことと、バドミントンの誘いを受けたことを告げる。女子がいることも付けて。
メールを打ち終わってからベッドに携帯を落とし、風呂に入りにいく。脱力した体が更に重くなるのは大場の言葉が頭の中を渦巻いているからだった。
(寺坂も大変だよな……どうするだろ)
部屋から出てゆっくりと風呂に向かう間に記憶が思い起こされる。
以前、大会の会場で大場から声をかけられた時に顔を赤くして照れていたことを思い出す。大場のような男に声をかけられれば照れてしまう、ということも直接聞いていた。その大場が明確に好意を向けてきた時に寺坂がどう応えるのか。
「なんで俺が気にしてるんだよ」
彼女でもない友達の女子が他校の男子から好意を向けられただけ。自分はあくまで仲介役で関わらなければいいだけだ。そう思って間違いないはずなのに元気は胸の奥に広がる靄を意識する。
結局、風呂からあがって眠るまでずっと気分が晴れないまま過ごしたのだった。
* * *
積もった雪の中に何人も歩いて作られた細い道。元気はパートナーの田野と、女子ダブルスの寺坂、菊池という順番で一列になって歩いていた。
目的地に近づくと同時に入り口の前で満面の笑みを浮かべている大場が見えた。笑顔の相手と間逆で、元気は気分が萎えていく。
感情を素直に表現する大場は、試合の時は力強いのに普段は草食系だ。隣にいるダブルスパートナーである利(とし)は無口なほうで、今日はずっと一人でしゃべりそうな勢いだと思える。男子二人の隣には同じ中学の女子ペアがいた。寺坂達のライバルと比べると実力は劣るだろうが、お互いに切磋琢磨できれば糧になるに違いない。本来の大場の目的を隠すために呼ばれたとは思っていたが、近づく度に見える複雑そうな表情に元気は背中に冷や汗が流れた。
(絶対、気づいてるよな。大場のこと)
どういう頼み方をしたのか分からないが、素直に言ってしまう大場がどこまで自分の感情を隠せるかは分からない。素直に「好きな女子を誘うために協力してくれ」と言っていないことを祈るしかない。
自分達の方へと近づいてくる元気達を見てくる女子達の視線が厳しい。元気が一番前だから視線を浴びているのだろうが、実際には後ろでのんきにパートナーと話している寺坂へと向いているのだろう。元気は頭が痛くなって側頭部に右掌を触れさせた。
「なんだ? 頭痛いのか、竹内」
「ストレスかな」
後ろの女性陣から押し出されるように前に出てきていた、田野に尋ねられて答える。何がストレスなのかピンとこない田野に対して説明することもなく、四人はスポーツセンターの前にたどり着く。大場は一歩前に出て言ってきた。
「おっす。今日はよろしくー」
「よろしく」
「今日は誘ってくれてありがとう~」
元気の後ろから顔を出してきた寺坂に大場は一瞬硬直し、笑って返事をする。その態度は元気を初めとして全員が不思議に思うほどぎこちなく、大場の後ろにいた女子の顔が歪むのが見えて元気は胃が痛くなってきた。
(今日は俺はバドミントンをするんだ今日は俺はバドミントンをするんだ今日は俺はバドミントンをするんだ)
自分に言い聞かせていると、場の空気がよどんできたことを察知して、田野が口を開く。元気からすれば副部長をして皆を統率してきたことによる場面転換スキルによるもので、この場では救世主に思えた。
「じゃあ、ひとまず入ろうぜ」
「了解。じゃ、皆、行こうぜ!」
大場に連れられてスポーツセンターの中に入る四人。彼らの後ろについて元気達も歩き出す。
パートナーの利は無言で従うだけだが、女子二人は何か言いたそうに大場を眺めていても、結局口にはしなかった。表情には怒りではない、どこか諦めに似たものが浮かんでいる。正確には分からなくても女子達の気持ちは分かる気がした。
(大場のやつ見てたら、文句言う気が失せるんだよな)
元々、元気は友達づきあいがそこまで得意というわけではない。人並みに友達は自分から話しかけて作りもするが、他校の生徒とまで友達になろうと思うほどではなかった。そんな自分が大場だけは面倒くさいと思っていても端から見れば友達づきあいをしている。それは向こうの強引さもあるが、不快さを感じさせないところにあった。男女問わず大場の持つ雰囲気に行動を許してしまう。女子には更に年下の弟を可愛がるような母性本能をくすぐらせたり、恋愛感情が絡んだりするのだろう。
先ほどの様子から荒れないことを祈る元気だった。
* * *
「どらぁああああ!! だらっ!」
スポーツセンターのフロア全体を揺るがすような咆哮と共に炸裂するスマッシュ。元気が腰を落として構えていた顔面のすぐ横を貫いて着弾したシャトルは羽を飛び散らせて壊れた。後ろを振り向いてシャトルの惨状を眺めてからため息をついて一つ一つ拾ってからコートの外に捨てる。自分達の少し壊れているシャトルだからとはいえ、既に三個目。黙っていれば童顔の美少年のどこにこんなパワーがあるのか理解に苦しむ。
「また俺達の、勝ち!」
大場は普段のモードに戻ったのか笑顔でネットを越えた元気達に言ってくる。言われなくても分かると手を軽く振って応えてからコートを出てペットボトルを一口飲んだ。
「それにしても、今日の大場っておかしくないか?」
「そうか? いつもの天然馬鹿だろ」
後ろについてきた田野からの言葉に動揺を隠して、元気は言葉を返す。だが、田野は大場のほうを指さして更に言った。
「あいつ。寺坂のことばっか見てるんだよな」
(あのバカ野郎)
田野の言葉に反応して振り向くと、言っている通りに大場は寺坂の試合を見ていた。口を開こうとして押さえている様子からも、油断したら寺坂を応援してしまいそうだった。あからさまな好意を気づかせるのが目的なのかとも思えるほどに隠すのが下手だった。心なしか対戦相手のスマッシュが寺坂に集中しているような気がするが、戦略上のことだと強引に自分を納得させる。
やがて試合練習が終わってから寺坂達が戻ってくると、大場は率先して話しかけていった。
「お疲れさまー。なんか学年別の時より強くなってない?」
「えー? そんなことないと思うけど」
「キレとか増してるって絶対! これは次の団体戦いけるかもな」
電話の時は代表になれるか分からないと謙遜しておきながら、さらっといけるかもという大場に元気はげんなりする。更に大場が寺坂に近づいて話しているのを見ると胸の奥からムカつきが生まれてきた。寺坂も笑みを浮かべながら会話を続けており、胸の奥にあった靄が広がって元気を覆い尽くした。
「なー、大場。早く練習再開しようぜ。お前等に勝ちたいの。俺と田野は」
少し強めに言うと大場も元気の方を向き、次に寺坂から距離を取った。自分でも近づきすぎだと気づいたのはいいことだと元気は内心でほっとする。大場も自分が暴走しかけたことに気づいて場の空気を変えようとしたのか、元気の誘いに乗ってきた。
「よーし、じゃあ次のゲーム行くか!」
大場の言葉に練習が再開する。コートを借りた二時間の間に繰り広げられるシャトルの応酬。元気の言葉に火がついたのは大場や利だけではなく女子もだったのか、寺坂と菊池へと挑む形になる女子ペアの熱が別のコートの元気達にも伝わってくるようだった。呼応して、元気達も現在の一位であるペアに全力を尽くして立ち向かう。
思考に余分なことを挟む余地は互いになくなり、いかにしてコートにシャトルを沈めるかという点に集約していく。いつしか時間はあっという間に過ぎていき、元気がスマッシュを叩き込んだ頃には使用時間の五分前になっていた。
「……そろそろ、片づけるか」
息を切らせつつ田野が言ったところで、他の五人のテンションは元に戻っていた。寺坂と菊池。そして田野は元からそこまで飲まれていない。時間の進みに呆気にとられた元気は田野と大場、利。そして時計を見て状況を悟った。
「そうだな。片づけよう」
元気の声が引き金となって全員が思い思いに片づけに走る。ネットを片づける者。モップを取りに向かう者。ラケットバッグにひとまずラケットをしまう者。やがて彼らも自分達の使ったコートの整備に専念し、終えたところで自然と更衣室へと戻りだした。
(……?)
元気は隣の田野を見て、更に横に並んでいる菊池を視界に入れる。次に後ろを見ると利と女子ダブルスの姿。大場と寺坂は更に後ろを歩いている。何か話しているようだったが、距離があるのと声を潜めているために聞き取れない。熱心に聞こうとしている自分に困惑して、元気は咳払いをしてから意識をはずした。
(別に寺坂と大場が何を話しててもいいだろ。俺には関係ない)
心の中で言い聞かせても、会話の断片が入ってくるのは止められず、意識もしてしまう。結局、元気は更衣室に入るまで寺坂と大場の話を聞くことになり、更には更衣室で着替えてもしばらく大場が帰ってこなかったことで妄想を暴走させることになる。更衣室に入ってこないということは、寺坂と何か話し込んでいるかもしれないと。悶々としている元気に向けて、既に着替え終わっていた田野が小さく呟いた。
「寺坂とお前がくっつけばいいのに」
元気にはその言葉は全く届かなかったため、田野はため息をついて元気の背中を叩く。不快さを隠さない顔で振り返る元気に「さっさと着替えろ」と言って周りを見せた。既に田野と利は着替えを終えていて、元気を残すのみ。正確にはまだ戻ってきていない大場もだが、ひとまず元気は状況に納得して汗を吸ったシャツを脱ぐ。
「先出てるわ」
田野はそう言って利と共に更衣室から出る。その時、入れ替わるように大場が入ってきた。すれ違い様に田野と利に「お疲れ」と声をかけて中に入ってきた大場は自分の衣服を入れたロッカーを開けて着替えを始めた。大場の様子を横目で見ながら着替えを続けようとした元気だったが、大場の一言によって動きを止めた。
「振られちゃったよ。残念だけど」
「……お前、まさか告白したの?」
「するって言ってなかったっけ」
電話で告白するとは言っていた気がしていたが、他の中学で試合の間しか会っていないのに告白をするとは元気は思っていなかった。あくまで気合いを見せる為の比喩なのかと考えていた。だが、大場は皆が更衣室に入っている間に寺坂を引き留めて告白したのだろう。
「嫌われてるわけじゃなくて、よく分からないからってなぁ。付き合うのは嫌じゃないけど、異性として別に好きじゃないから付き合う理由がないってさ。普通にふられるよりダメージでかかった」
(……俺に言ったのと同じだな)
学年別大会の時に言ってしまった言葉と光景を思い出す。
決勝戦で負けたら自分と付き合えと勢いで言ってしまい、それに対して寺坂は今、大場が言われたという言葉で否定したのだ。異性として意識はしていたが恋愛感情があるかは微妙なところなのに告げてしまったことを後悔した元気にはほっとする言葉だった。大場にはどう聞こえたのか分からないが、自分と同じように言われたことに妙に親近感を得て、笑いながら告げる。
「まー、残念だったな。でもよかったかもしれないぜ? 寺坂のこと見るお前んとこの女子の目怖すぎたからな」
「え? そうなの? なんで?」
「そりゃお前……お前があからさまに寺坂に好意向けてるからだろ」
「マジで!?」
大場はシャツとハーフパンツを脱いでトランクス一枚のまま、元気の言葉が全く理解できなかったというリアクションを見せた。男の裸は見せられたくないと、元気はささっと私服に着替えてロッカーの扉を閉める。大場を待つつもりはなく後ろを通って更衣室の入り口の傍まで歩いたところで、大場から声をかけられた。
「なんか、嬉しそうだなぁ、竹内ぃー。俺の不幸がそんなに甘いのかよー」
「そんなことないぞ? ただ無謀だったなーと」
トランクス一枚のまま言い募ろうとする大場を置いて、元気はロッカールームを出た。いつしか胸の内から消えている靄と、軽くなった足取りの理由は何となくではあるが分かっていた。
(大場みたいなやつでも、失敗するんだな……よし)
女子に人気の大場でも振り向かれないこともある。自分の中で必要以上に膨れ上がっていた大場湊という男の実像が実はそこまで大きくないかもしれないと分かっただけでも、相談に乗ってわざわざ状況をセッティングした意味があった。
(ぜってー、次の団体戦のレギュラー取って、あいつ等に一矢報いてやる)
スポーツセンターに来る前にはなかった笑みが浮かぶ。新たな目標を定めて、元気は田野達が向かう入り口へと向かっていった。
シルバーコレクター 紅月赤哉 @akatuki206
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