番外編2「無念と決意」

本編未読可。本編幕間。



(だるい)


 うっすらと目を開けて見える天井が揺らめいていた。頭全体が熱くなっていて、思考力も低下している。自分の名前さえも一瞬忘れかけるほどだったが、幸い竹内元気という名前はすぐに思い出せた。それでも一瞬前に考えていたことは抜け落ちていく。何かを考えようとして、バラバラになっていくのは試合中で体力が限界に近い時と似ている。体力が体を動かす方に持って行かれて脳は何かに対する反応だけ。しかも単純な反応しかできなくなる。今の元気から体力を奪っているのは、体の内側からこみ上げる熱とそれに反する寒気だった。


(寒い……だるい……くそ……試合……)


 時計を見ると、暗い場所で青白く光るようになっている長針と短針が夜の六時を指していた。風邪薬を昼食を食べ終えた午後一時頃に飲んでベッドに横たわってからすぐに寝てしまったらしい。少しも目覚めた記憶はなかった。カーテンを閉めても明かりが入ってきていた部屋は完全に暗くなっている。時間の流れが経つのが早いと思いつつ枕元に置いていた携帯電話を見ると、メールが着信していることを示している明かりが点滅していた。まだ脳は熱に浮かされているが、メールを自分にくれる相手は限られており、ゆっくりと手にとってボタンを押した。二通の未開封のメールが来ているという表示。メールアイコンを押して受信一覧に移ると、一通目はダブルスパートナーの田野からだった。携帯の画面の光が眩しかったが、目を片方閉じつつ本文を読む。

 内容は今日行われていたジュニアバドミントン大会の市内予選の結果だ。余計な装飾は付けずに、結果が淡々と書かれている。元気の代が中心になって、今のところ市内で二位の実力を持つダブルスである元気と田野のペアが出場しないということから、いつも以上に番狂わせは起きなかったらしい。

 これまで市内で一位だったダブルスの一人がシングルスに転向したため解消され、新たに一位となった同じ中学のダブルス。そして、自分達よりも一歩実力が劣るダブルス二組がそれぞれ二位と三位に繰り上がっている。一年のダブルスが食い込むこともなく、予想通りの展開だった。女子のほうの結果が乗っていなかったが、それは次のメールに書かれていた。


「寺坂……書きすぎ」


 田野のメールの次に来ていたのは、寺坂知美からのものだ。内容は女子のことを書いているが、それぞれに自分なりに思ったことをコメントしている。一位と二位の結果の間に六行ほど文章が並び、ようやく結果を知ることが出来る。更に寺坂のダブルスは二位であり、そのことについて十行以上書いていた。うんざりした元気は三位については見ないで携帯を閉じた。元々女子にはそこまで気を付けていない。更に、今回は自分は代表ではないのだから、同じ地区から全道大会に進出する仲間を把握する必要もない。


「でも、あいつ等……二位だったんだ」


 寺坂と菊池。浅葉中バドミントン部の女子部長と副部長ペア。一位のダブルスとは大会の度に順位が入れ替わっているように思えるほど一位と二位を分け合っている。自分達が中心になって最初の市内大会で惨敗した後に挑んだ公式戦でまたしても二位。これだけで実力に差が出てきたとはいえないが、寺坂はどう思っているのか。コメントが多いのは悔しさや気持ちのぶつけ場所がないことによる結果なのかもしれない。

 一度閉じた携帯を開くと寺坂のメールを開き、返信ボタンを押す。タイトルはそのままに、文面に「おつかれさん」とだけ打って返信をすると間髪入れずメールが返ってきた。受信メールを開いたままであるため次のメールを見ると「風邪治った?」という文字。


(もう帰ったのか……?)


 返信の早さからすると、試合は終わってミーティングをしているか、帰宅途中かもしれない。

 自分が寝ている間に全て終わっていた。

 貴重な、全道への挑戦機会を一つ完全に失った。元気は唐突に苛立ち、携帯を少し荒く横に落とした。

 挑戦して弾き返されたなら兎も角、体調不良の結果の棄権。

 ジュニア大会はインターミドルと異なり、一つ壁が少ない。

 インターミドルなら市内大会の後に北と南の地区を合わせて代表者を絞り込む全地区大会。その後に全道大会と続く。だが、ジュニア大会は元気達の南地区で代表を三組決めて、全道大会へと挑むことになる。北地区の猛者と戦わなくても上に進めるというのは大きい。強敵を全て倒すくらいの実力がなければ勝ち進むことはできないことは分かっていても、少しでも強者に当たる可能性を減らしていけば、もしかしたら試合中に成長することもあるかもしれない。特に元気の世代には、北地区に全国クラスのダブルスがおり、先輩達とも死闘を繰り広げた。今時点の実力だと全く勝てる気はしない。


(それでも、いけないなら負けたかった)


 相手が強かろうとも、戦えば万に一つでも可能性が生まれる。今回はそれさえもなく、田野はただ応援のために会場に向かったことになる。


(ちくしょう……)


 怒りが頭に上ると再び頭がぼうっとしてくる。夕食を食べる体力はないため、再び寝ようと目を閉じたところで部屋の扉がノックされた。すぐに扉がうっすらと開いて、廊下の光が部屋の中へと差し込む。


「元気。起きてる?」

「……なに? げほげほっ……なに?」


 最初に尋ねた時にやけに高圧的な物言いになってしまったため、咳払い後に言い直す。聞こえてきた声が一瞬誰の声なのか分からなかったが、すぐに母親だと分かった。


「田野君がお見舞いに来てるけど、会えそう?」


 言葉の意味を頭の中で繰り返してから元気は苦笑した。試合が終わった後に見舞いに来るという発想は元気には出ない。田野の貴重面さに感心すると同時に、風邪を移すかもしれないという思いが口を開かせる。


「いや。無理だわ。断っておいて」

「分かった」


 扉が静かに閉められて小さい足音が遠ざかっていく。ゆっくりと息を吸い、吐いていくとまた意識が遠のいていく。夕飯は諦めようと決めると気を失うように眠りに落ちるのは早かった。

 耳元で携帯が振動した気がしたが、それが本当か夢か元気には分からなかった。


 * * *


 窓の外から雀が鳴く声が届き、元気はゆっくりと目を開けた。カーテンの隙間から差し込む光が室内を少し明るくしている。元気はベッドから起きあがると両手を握って力が入るか確認した。すぐに腹が鳴り空腹感に気持ち悪くなるが、それ以外に体に負担がかかっている場所はない。微熱はあるが、熱さに脳の働きが阻害されるような気配はなかった。汗が流れ、少し乾いたようなパジャマを脱ぎ捨ててTシャツとハーフパンツに着替えるとまた少し体調がよくなったように思える。ベッドに腰掛けた状態で背伸びをすると体がほぐれていく一方で貧血のように視界が暗くなり、倒れそうになった。


(まだ今日は、無理だな……)


 時計を見ると、時刻は八時半を過ぎていた。すでに学校に行っていなければいけない時間だが、全く起こされなかったところを見ると、母親が休むように判断してくれたらしい。考えてみれば着替えがベッドの傍に用意されていたことが誰かが部屋に入ったことを示していた。


(今日は、もう一日休むか……)


 体のだるさに従ってベッドに潜り込む。寝た状態で隣を見ると、携帯のメール着信を告げるランプが点滅していた。どこかで見たような光景だと思いながら開いてメールを見てみると、寺坂と田野から届いている。


「あれ、昨日、返信してる」


 前日の夜六時頃にメールに返信した形跡があったが、元気は思い出せなかった。ただ、一度目が覚めて、何か不快な思いをした感覚は残っていた。メール本文を眺めてもそれがなんだったのか思い出せない。田野と寺坂からは大会の結果が伝えられている。強いて言うなら、寺坂のメールには余計な文言が多いくらいだ。


(なんだろなこれ)


 メールを読み進めると、寺坂からもう一通来ている。元気のメールに対して「風邪治った?」という短いもの。おそらくこのメールを打つ前に力尽きたのだろうと思い、放っておいて次を見る。

 昨日最後のメールは田野からだった。文面は短く、端的に田野の思いが込められていた。


『学年別。勝とう』


 熱に奪われたかのごとく消えていた記憶が蘇る。

 挑んで負けるのなら仕方がない。でも、挑むことなく終わってしまったのは悔しくてたまらない。そんな思いに昨日の夜は打ちひしがれていた。引かない熱も相まって、田野が訪問してきた時も追い返した。起きているのが辛いこともあったが、もう一つ。胸の中に残る田野への後ろめたさが遠ざけてしまった。

 元気は返信ボタンを押して短く文面を作る。


『今日は休む。ぜってー、学年別は勝とう』


 文面が繋がってる気はしていないが、直すのも面倒でと送信ボタンを押すと、ベッドに携帯を落とす。また一伸びしてから朝食を取りに部屋の外に出た。

 まずは体調を治してから、目標に向けて走り出すために。

 後ろめたさは前に進んでなくすしかないと割り切って。

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