プリンをつついて

 メルがうちに来て数日。


「今日もお客さん、来ないですねえ」


 なんてのほほんと言ってみた自分に、メルがちょっとだけ何か言いたそうな顔をして、でも結局そのまま何も言わずにいます。


 うちのお店は、必要な縁しか結ばない。

 だから、お客様がやってくるのも、物がやってくるのも、そして迎えが来るのも、全て縁。


 今、お店にはメルがいる。だからメルと縁を持つべき人が、ふさわしいタイミングでしか訪れることはない、ということなのです。


 なんて裏事情を本人に言ったら、自分のせいで閑古鳥が鳴いている、とか思わせてしまうかもしれない。なので余計な事は言いません。


 少しすると、メルの歌が聞こえてきます。

 ああ、なんて贅沢なバックグラウンドミュージック。

 たまにはこう、のんびりできるのも悪くない。


 最初ははにかんだ様子で、小さな声でしか歌ってくれなかった彼女だけど、次第に慣れてきたのでしょうか、ふとした時に、鼻歌を零してくれるようにもなりました。

 彼女の声は、透明で澄んでいて、優しくて、心の底にそっと響いて、寄り添うのです。

 上手ですね、何かコツがあるのですか? と聞いたら一度だけ、彼女の歌は祈りなのだ、ということを教えてくれました。


 今日が一日いい日になりますように。皆が幸せになりますように。お店が繁盛しますように。

 ささやかで、優しい、祈りの歌。



 ああ、こんなに綺麗な歌声なのに。

 それとも、綺麗すぎるから、こそ。

 普通の人は人魚の歌を聞いただけで、魂を抜かれてしまうのかもしれません。

 どこか遠く、懐かしい場所に帰って行きたくなるような、せせらぎの音……。

 だからこそ、伝承では醜い物だと伝える必要があったのでしょうか。

 興味を持って、聞きたがる人が現れないように、わざと耳障りな音、サイレンと……。



 ああ、なんとも贅沢なお代です。

 自分がうっとり浸っていると、ふと歌が止んで、メルがいぶかしげにします。


「これ、本当にお代になっているのでしょうか……」

「いえいえ、十分ですよ?」


 メルはなんだか釈然としない、といった様子です。

 まあ、一緒に食事をしながら鼻歌を歌っていることがお代ですよ、なんて言われて、しっくり来る方がおかしいかも。


 細身の美人なのに意外とメルは大食いなのです。上品ながらみるみるうちに口の中に料理を収めていく食いっぷりもさながら、ナプキンで口元を拭った後、硬い表情筋がほっと緩む瞬間が素晴らしい。

 表情を作るのもお喋りをするのも苦手みたいだけど、だからこそ逆にふっと漏れた時、ああ本当に幸せなんだな、というのがわかって、こちらまで嬉しくなってくるのです。


 昨日は中華、一昨日はイタリアン、今日は和食。

 でも食後のデザートは必ずプリン。だって彼女が一番好きだから。


 ……子どもの頃、特別な日にだけ出てくるおやつがプリンで。だからずっと、好きなんだそうです。プリンは彼女にとって、幸せの象徴みたいな所もあるのかもしれません。


「さてさて、本日は抹茶と豆乳の和風仕立てでございます」


 メインディッシュが終わりますと、お楽しみの本命、デザートの時間がやって参りました。彼女は神妙にスプーンでまずは上に乗っている粒あんをつつき、それからぷるんと揺れる抹茶豆乳プリンをそっとすくいます。

 ゆっくり口に運んで、ぱっと輝く青い瞳。

 晴れた日の南の海が、反射してきらきら輝く様に似ています。


 美味しい、とか、甘い、とか。感想を言語化するのもありだけど、夢中になっている時は野暮。

 自分は彼女が一生懸命プリンをつついているのを、特等席で見守ります。


「……ごちそうさまでした」

「はい、お粗末様でした」


 儚く終わった幸せの時間にがっかりしている様子も微笑ましい。

 一緒に食器を片付けながら、ふと何気なく言ってみました。


「ああ、そうそう。もうすぐ準備が終わりそうです。今夜、声をお預かりしましょう」


 一瞬だけ、動きが止まる。けれどメルは、こくりと大人しく頷きました。

 青い目が不安そうに揺れるのを見守ってから、自分はそっと付け加えます。


「終わったら、焦がしキャラメルのプリンを食べましょうね。ほら、上がカリカリしてる奴です。お好きですか?」


 きらきらと、目に光が戻ります。

 やっぱり女の子は、幸せそうな目をしているのが一番ですよ。


 ……お皿を洗っている横から、また幸せそうな鼻歌が聞こえてきました。

 今度は何を祈っているのでしょう?

 プリンが美味しく食べられますように、でしょうか。



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