人魚の末裔

 女の子はどうやらあまり喋るのが得意というわけではなさそうだったので、ちょっと作戦を考えます。

 カウンターの近く、相談テーブルに案内して、特性のお茶を振る舞うことにしました。

 ついでにサービスで冷蔵庫から出してきたプリンをお出しすると、これがどうやら当たりだったらしく、目を輝かせて頬張りながら、少しずつ固く閉ざされた口を開いてくれたのです。



 ――曰く。

 かつて海には、水の中には、人魚と呼ばれる種族がいた。

 彼らは皆揃って、うっとり見とれてしまうような美しい人間の女性の姿をしていたらしい。

 ところがその声は、人が耳にするとショックで死んでしまうほど、恐ろしい響きを奏でたのだそうだ。そのくせ、嵐の夜でもよく遠くまで聞こえるから、尚更厄介だった。


 だから人魚が海辺で、水底で奏でる歌は、そしてそれを奏でる人魚という種族はサイレンと呼ばれ、忌み嫌われた。

 美しい容姿で惹きつけ、歌声で人を死に誘う人魚は、そのうち自然と迫害と狩りの対象になり――やがてすっかり姿を消して、伝説の存在という扱いになっていた。


 今ではサイレンという言葉を聞くと、人が真っ先にイメージするのは耳障りな警報音だ。聞くに堪えない音、というニュアンスだけが残った結果なのだろう。



「……つまりあなたは、その人魚の生き残り。それで人魚の歌声とやらを、預かってほしいということですね?」


 長い長い時間をかけて聞き出したことを軽くまとめて確認してみると、彼女は頷き、青い、青い瞳をゆっくりと瞬かせました。言われてみれば、髪の色もどこか貝殻を思わせます。綺麗な海の色。人魚の末裔……。


 その、かつての伝説の海の申し子は、どうやら三つ目のプリンに夢中のようです。いやはや、いい食べっぷり。動きにくい表情が、舌の上で甘味を溶かす瞬間だけ、ふわりと柔らかくとろけます。

 自分もまた、プリンをすくって口に入れ、味を堪能しつつ、待ってみます。


 甘味の力は偉大なのです。口下手な女の子が、また一つぽつりと言葉を零します。


「……歌うのが、好き」

「歌ですか? お上手なんでしょうね」

「……でも、大人になった人魚の歌には、呪いの力があるから。そうしたらもう、歌えないって。まだ歌いたいって言ったら、それじゃあ預かり物屋に行きなさい、って……」


 少し恥ずかしそうに語られる理由に、なるほど、と納得をプリンごと飲み込みました。

 大体の事情はわかりました。スプーンを置いて、おもむろに切り出します。


「あなたの歌声をお預かりすること……しかも声そのものではなく、人魚の歌声のみをピンポイントで取り出して、こちらの倉庫に保管させていただくこと。こちらのお店で可能です。プロにお任せあれ!」


 女の子が動きにくい表情なりに喜びを表そうとするのを、ただし、と人差し指を立てて補足。


「けれど、歌声をいただくので。もしかすると今後、今までと同じように歌うことはできなくなるかもしれません。声は出ますから、歌おうとすること自体は可能ですが……まあ、ものすごく音痴になる可能性があるってことですね。そうなってしまってもよろしいですか?」


 ほんの一瞬だけ怯んだ気配が見えたけど、沈黙はさほど長くない。彼女はゆっくり頷きました。

 きっと、本当に歌うことが好きなのでしょう。

 自分は話を続けます。


「もう一つ。歌声をいただく準備を整えるのに少々時間がかかるので、しばらくこのお店にいていただくことになりますが、それでも構いませんか?」


 もう一度、こっくり頷く動き。了承の意思。それでは最後に、と自分は咳払いしました。


「では、最後に。……お代は、あなたの歌を聞かせていただくこと。あ、ちなみに人魚の歌の呪い云々とかは考えなくて大丈夫です。詳細は企業秘密ですが、自分、そういうの大丈夫な体質ですので。さあ、いかがでしょう?」


 彼女は今度は、ちょっと怯んだような気配があったけれど。

 長い長い、思考の果てに、やっぱりゆっくりと頷きました。

 自分は真面目な顔から、ニッコリ笑顔に戻ります。


「ずっと歌っているのも大変でしょうし、お店のお手伝いもしてもらいましょうか。あ、そんな難しいことは頼みませんよ、ご安心を。頑張ってくれたら、毎日プリンをお出ししますよ」


 プリン、という単語を出すと、女の子は青い目を輝かせました。

 ……無表情かと思えば、結構わかりやすいですね。

 自分はにっこり微笑みを浮かべて、片手を差し出します。


「自分の事は……そうですね、店長、とでも。短い間かもしれませんが、よろしくお願いします。あなたのお名前は?」

「――メル。メル・アイヴィー」


 彼女がおずおずと手を握り返して、軽く握手をしました。


 こうして人魚の末裔の女の子、改め、メル・アイヴィーは少しだけ、うちの店で過ごすことになったのです。

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