8.モルモットたちの戦いごっこ
セルの力を使って戦いごっこをするため、イヌイ、リンダ、ハゼイ、佐々木、大倉、華の6人は代官山にある薄暗い公園へ向かった。
道すがら、同級生で仲の良いハゼイと佐々木は、どうやってイヌイを倒すかについて少年のように話し合った。常識的な行動を美徳と考える大倉と華はそれを呆れ顔で眺めた。
公園は日曜日の夜遅くともあって人通りが極端に少なかった。公園の中央には開けた原っぱがあり、そこを土俵とすることにした。
イヌイは近くのベンチに荷物を置くと佐々木に言った。
「佐々木くん。君の電気がどれくらい効くのか試してみたいんだけど、一回やってみて」
「いいですよ」
佐々木はイヌイの腕を掴み、バチバチと放電させた。
「痛って、でもまあこれくらいなら大丈夫だ。これよりも強くしないでね」
「はい、わかりました。僕もこれ以上強くやるとすごい疲れるんで。イヌイさんもあんまり強くやらないでくださいね」
「わかってる。あくまで遊びだから」
「それより佐々木、もう少し光を抑えられないか。そんなに明るいとちょっと人目につく」
と大倉が注意した。
「いや、それは厳しいですねえ。どうしても光っちゃうんですよ。まあ人が来たら中断するんで大丈夫です」
「ハゼイ、佐々木のバチバチを見えないようにできないか?」
「できますけど、おれの幻想は近くにいる人にしか見えないんで意味ないと思いますよ」
大倉は何を言っても無駄だというふうに首を横に振った。
「リンダさん、華、周りに人がいないか見ていてもらえます?」
2人はわかったと言った。
いよいよ戦いごっこを始めるにあたり、彼らは怪我のないようにするため、殴ったり蹴ったりすることは禁止。レスリングのように相手の背中を地面につけたら勝ちというルールを定めた。大倉が審判を務めることになった。
「制限時間5分の一本勝負で行きますよ。準備はいいですか?」
ハゼイ、佐々木はボクシングのような構えをとった。一方、イヌイは両腕をだらんと垂らし、やや前傾姿勢をとった。それは戦闘の構えというにはあまりに奇怪な姿であった。
「はっけよーい、のこった!」
イヌイはぼきぼきと首の骨を鳴らし、体を左右に揺らした。彼の頭の中ではEminemの曲が流れていた。
イヌイの骨隆々とした強靭な肉体は、学生時代に所属していたアメリカンフットボール部で鍛え上げられたものである。イヌイはそこでディフェンスバックを務めていた。
ディフェンスバックとは、チームの最後尾に位置するポジションである。守備を淡々と行いながらも、一瞬の隙をついて相手のボールを奪い、また相手オフェンスチームに致命的なタックルを見舞う。その特性ゆえに怪我も多く、実際に2年半前、イヌイは試合中に引き起こした脳挫傷が原因で、選手生命が閉ざされている。
この戦いごっこを前にして、イヌイは忘れかけていた「アメフト選手」としての闘争心が蘇ってくるのを感じた。そして、それは彼の外見にも表れていた。口元はぐにゃりと曲がり、目は大きく見開かれていた。
おそらく普通の人間であれば、殺気だった獣のようなイヌイの姿に、怖気付くことだろう。だが、そのような恐怖を感じない種類の人間もいる。佐々木はそのような人物だった。
ウサギのように優しく穏やか。これが彼と接した人々の持つ大まかな印象である。しかし、彼らは佐々木について何もわかっていない。佐々木という人物の凄みはその冷静さにあるのだ。
ここに彼の性格を表す典型的なエピソードがある。佐々木がまだ18歳の頃、佐々木の優しそうな雰囲気につけ込んで、彼の財布から金を巻き上げようとする輩が現れた。
「おい兄ちゃん。殺されたくなかったら、お財布ちょうだい」
「やめてください」
威圧的な態度をとるその男のみぞおちに、佐々木は力一杯ボールペンを突き刺すと、何事もなかったかのようにその場を後にした。
佐々木がウサギではないことはわかっていただけただろう。
一方のハゼイも全く恐怖を感じていなかった。だがそれには、また別の理由がある。
ハゼイは頭がきれる。彼はこのような場で恐怖心を持つことの意味をよく心得ていた。そしてそれさえ理解すれば、恐怖心を消し去ることはそう難しくない。ハゼイにはそれができた。そして何より、彼はこの状況を大いに楽しんでいたのである。
ハゼイは目を細めてイヌイを見た。
「ササ、イヌイさん来ないみたいだし、とりあえず作戦Aで行こうか」
「わかった」
ハゼイはイヌイの周囲に佐々木の分身を多数生み出した。ざっと20人ほどだろうか。そして自分の姿をくらませた。「イリュージョニスト」はこのように、認識した主体に対して、自分の想像できる視覚的・聴覚的幻想であれば何であれ、自由に発生させることができる。
「おもしろいことをするな」とイヌイは笑った。
次にハゼイは、イヌイの正面に火あぶりにされる囚人の幻想を生み出した。
イヌイは顔をしかめた。
「気持ち悪いな、趣味が悪いんじゃないか?」
すると突如、佐々木が動いた。
イヌイに向かって突進し、背中に向けてバチバチと放電させたのである。だがイヌイはそれを軽々と避け、背後から掴み取ろうとした。しかし、それはハゼイの生み出した幻想だった。
「おおお!! ほんとマンガみたい!」
リンダが興奮して言った。
それを聞いた大倉が叫んだ。
「あんまり近づかないでください。ハゼイの幻想が見えない距離で見張りをお願いしますよ!」
「わかってるわかってる」
イヌイの前で火あぶりにされている囚人は「ぎゃーっ」と金切り声をあげ、黒く焦げた体からはもくもくと煙が立ち上っている。そして大勢の佐々木がイヌイの様子を伺っている。
異様な光景だ。大倉は思った。
「もう来ないのかな?」とイヌイ。
佐々木は思った。
あの余裕・・・。あの人、動きが早すぎて僕なんかが近づいたらすぐやられるだろう。そしてあの人自身もそれをわかっているんだ。さらに物理的なパワーでも僕らは敵わないときている。このまま隠れていても埒は明かないし、どうすればいい。
イヌイは返事がないことを確かめると言った。
「やれやれ、もうちょっとおもしろいもんが観れると思ったんだが、まあこんなもんか。とりあえずそうだな。そのうっとうしい陽動が邪魔だな。ハゼイくん、お前から退場してもらうよ」
すると、ハゼイが叫んだ。
「ササ!作戦Bだ!」
イヌイは構えた。が、途端にイヌイの頭部が爆発した。
もちろん、これはハゼイの幻想である。だが、イヌイは一瞬、動きが停止した。その隙を見た佐々木が、イヌイの首元をつかみ電流を流し込んだ。そしてそのまま足をかけ、後ろへ押し倒した。
だがイヌイは空中で反転し、両手で着地すると、瞬時に佐々木をめがけてタックルした。
「お前、さっきよりも強いじゃねえか!」
「あんた怪物なんだから、しょうがないでしょうが!」
佐々木はそう言うと、目にも留まらぬスピードで突進してくるイヌイをめがけて、全身から巨大な電気をバチバチと放電させた。
だがイヌイは構わずそのまま突っ込み、佐々木を倒した。
「はい、佐々木アウト!」
大倉が言った。
「佐々木、お前電気出しすぎだよ!」
佐々木はその場に寝っ転がったままハアハアと息を切らして動かなかった。
華が言った。
「大丈夫よ。まだ誰も来てない。それよりイヌイさんは大丈夫?」
イヌイは恐ろしい形相をしていた。
「おいお前、あれはやばいだろ! この身体じゃなかったら確実に病院行きだぞ。力加減を考えろ」
佐々木が上体を起こした。
「イヌイさんだって速く動きすぎだろ。あの速さでタックルされたら死にますよ普通」
「まあ、それはそうだな」
大倉がまあまあと制止した。
「やめろよ遊びなんだから。じゃあ残るはハゼイだけね、さっさと終えてくれよ」
「ハゼイくん、申し訳ないけど、君のその陽動じゃおれには勝てないよ。だからさっさと終わらせよう。無駄な抵抗はやめて早く姿を現して」
イヌイは佐々木を倒したからか、やや落ち着きを取り戻したようだ。
佐々木の分身は消えたが、火あぶりの囚人から生み出された煙が辺りに充満し、ハゼイは姿をくらませたままであった。
ハゼイはとても機転のきく男である。ウィットに富み、女にモテる。彼は「イリュージョニスト」としての力を非常に器用に使うことができた。
「わかりました。確かにイヌイさん、あなたはまるで、おいらは喧嘩をするために生まれ変わったんだぜ! みたいな動きをするし、勝てそうにない。だから制限時間まで一緒に楽しく踊りましょう? それで仲良く引き分けを喜びあいましょう。大倉さん残り何分?」
「えーっと、2分くらい」
「悪いがおれは白黒つけたい宗派でね」
イヌイはそう言うと、その場から瞬間的に移動した。すると一瞬ではあるが、ハゼイのイリュージョンが解けた。
なるほど、やっぱりか。あいつは自分の認識している人間にしか幻想を生み出せない。そこにいたか坊や。
イヌイはハゼイに向かって猛ダッシュをした。距離は20メートル。周りにはバイクがびゅんと通り過ぎるかのように映った。時速60キロは出ていただろう、ハゼイに到達するまで2秒とかからなかった。
やばい、ばれた!
ハゼイは空間を先ほどまでいたピザ屋に変え、姿をくらませた。しかし、イヌイは周りには一切目もくれず一直線にタックルをした。
イヌイの指がハゼイの服にかすかに触れた。
くそ!
「惜しいですねー、イヌイさん。そんなに僕と踊りたいですか?」
突然、目の前にハゼイが現れた。ハゼイはタキシードに身を包み、仮面をかぶっている。そしてその場は舞踏会場のような場所になっていた。
また分身か。くそが、ちょこまかとうっとうしい奴だ。イヌイは苛立っていた。
「さあ、踊りましょう」
目の前のハゼイがイヌイの手を取った。
だがそのハゼイは本物だった。イヌイが反応する間もなく、ハゼイは綺麗な背負い投げのフォームで、イヌイを勢い良く投げ飛ばした。
だが、なんとイヌイは、掴まれた手を空中で摑み返し、投げられた勢いを使い、そのままハゼイを投げ返そうとした。ところがその刹那、ふと我に返った。
まずい・・・! これでは殺してしまう。
イヌイはとっさに、伸びきった手を肘から折り、肩甲骨を寄せ、なるべく衝撃を和らげるようにしてハゼイから手をはなした。そしてそのまま、まるでバク転をした体操選手のように両足で着地をした。
ハゼイはそれでも5メートルほど吹き飛び、茂みの中にガサッと落ちた。
「大丈夫か!?」大倉が叫んだ。
「ああ、大丈夫」
ハゼイは茂みの中から立ち上がると、服についた枯葉などを払った。ハゼイは悔しそうに顔を歪めていた。
実は彼は、幼い頃から柔道をやっており、中学時代は全国大会に出場する実力を持っていたほどである。背負い投げを投げ返された経験はもちろんなかった。
「はい、じゃあイヌイさんの勝ちですね!」
イヌイは上機嫌だった。
「いや、すっごく楽しかったよ。ハゼイくん、佐々木くんありがとう!」
「人格変わりすぎじゃないですか?」
「そうかな?」
「まるで別人ですよ」
「ごめんよ、でも楽しかったしいいじゃん」
「そうですね」
23時近くになってしまったので、6人の若者たちは代官山駅に向かって歩き出した。
イヌイは歩きながら、公園でのカタルシスの余韻に浸った。
*
こんな楽しそうにセルを使う生命体は他に見たことがない!
私が彼らを見てまず感じたのはそれだった。人間にはやはり希望がある。彼らなら何か面白いものを見せてくれるかもしれない。そう思った。
戦いごっこの結果に関して言えば、特に驚きはない。ハゼイと佐々木の持つセルA-097とB-075は、その力を活用するのにかなりの練度が必要とされる。この短時間であれほどまでに活用できた彼らは、器用な方である。
一方、イヌイに培養されたセルB−060「ライズマン(強化)」は、人間細胞との親和性が非常に高く、運動性能の高さが勝敗を決めるこのようなゲームは最も得意とする細胞であろう。
それに加え、イヌイは元々の身体能力が高いため、順応が早く、その伸び幅も非常に高い。やはり私の見込み通り、B-060に最適なモルモットである。
*
さて、公園から駅に向かう途中、華がリンダに話しかけた。
「リンダさんも楽しいですか?」
「え? ああいう遊び? うん、けっこう好きだよ」
「そうなんですね。わたし、怖くなっちゃいました」
「まあ、そうだよね」
「ハゼイくんも佐々木くんも怪我がなくてよかったけど、逆に怪我がないのが怖ろしくて。だって、あんなに強くタックルされたり投げ飛ばされたりしたのに、かすり傷一つないなんておかしくないですか?」
「おそらく、それもあの閃光による症状の一つなのかもしれないね」
華は黙っていた。隣では、ハゼイと佐々木とイヌイが、戦闘シーンのレビューをしている。
華が言った。
「わたし、彼と婚約しているんです、大倉と」
「そうなんだ」
「この先、ふつうに子どもを作って生活したりとかできないんじゃないかと思うと・・・」
そう言って、華は泣き出した。
それに気づいた大倉は、華の肩に手を置いた。
「リンダさん、すみません。華もかなり参っているみたいで」
リンダはうなずいた。
代官山駅に着くと、その場で解散になった。リンダだけが下り方面だった。
「また土曜日にー、バイバーイ」
*
リンダは家に帰る途中、薬局で白髪染めを買った。
そして家に着くと、鏡で自分の姿を眺めた。まるで自分が今までの自分ではないような気がした。
自分は一体なんなんだ?
自分はなんのために存在しているんだ?
頭の中で漠然としたイメージの塊がもやもやと生まれてくる。抽象的な問いを思い浮かべた時に感じるようになった、例のあれだ。
髪を染めるのは明日の朝でいいや。今日はもう寝よう。リンダはシャワーを浴びると、ベッドに横になり、すぐに眠りに落ちた。
そして、彼は奇妙な夢を見た。
ジェリーフィッシュ実験記 八雲雷造 @bjwatson
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