帝妃の恋人

古井京魚堂

第1話

 さる廷臣と夫人の対話。


「何をそんなに悩んでいるのか? うむ。そうだな。事の発端は帝の御落胤だ。なんだそんなことか? そうあきれた顔をするでない。たしかに陛下の浮気性は周知の話。いまさら隠し子のひとりやふたり、出てきたところで誰も驚きはしない。儂だってそうだ。お妃とてそうだろう。ああ、しかし、今回ばかりは困ったことよ。帝は他愛もない軽口のつもりで仰せられたのであろうが……」


 綸言は汗の如く。誠にあの至尊の帽子掛けはろくなことを言わない。


「『妃も恋人でも作ってはどうか』だなどと!」



※ ※ ※



「『帝妃の恋人』? なんですか、そのけったいな代物は」


 政庁の役人は思わず上長に問い返した。

 官吏の常として有職故実に通じ博覧強記を誇る男をして、聞いたこともなかった。言葉としては理解できる。文字通りに帝妃の恋人ということだろう。王侯が配偶者以外の恋人を持つのは珍しい話ではない。本朝第一等の貴婦人ともくれば何を言わんや。過去の帝妃、帝太妃にも寵臣を侍らせた例はある。

 だが、世の中には建前というものがあるものだ。


「『恋人』だなどと。おまけに称号? 官職? 騎士に準じる令外の官として設置するとは何事ですか」

「言葉の通りだ。お前も陛下の勅は聞き知っているだろう。帝の仰せである」


 皇帝が戯れにでも作れと言えば、それは必ずや実現されねばならない。皇帝その人が冗談であった、取り消せと命じても、止めることは叶わない。一旦は制定し、あらためてそれを廃止する勅を受けるという手順を踏む必要がある。


「とはいえ。どこの誰とも知れぬ者を恋人と定め、閨にまで侍られても困るのは分かるだろう? 妃殿下とて困られよう」


 形だけ整える。事はそういう話なのである。


「案としては、いずこかの御令嬢を騎士に任じ、刺繍を共にしていただくのはどうか、との話もあったのだがな。これは棄却された。下手に若いご婦人を御側に置けば、帝の悪い虫がまたぞろ騒いで、余計に話が拗れるのではないか、という懸念もあってな」


 刺繍の友。刺繍の技を競う。貴婦人の間で結ばれるひそやかな関係性を示す隠語である。


「人品卑しからぬ男子を選び、これを宛てる。そういう運びとなった。そして、ここまで言えば、もう分かるだろう。本省から推薦するのはお前だ」

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帝妃の恋人 古井京魚堂 @kingiodou

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