少女と宇宙<ソラ>
雪瀬ひうろ
第1話
何も見えない闇の底
白い光を引いて
君が
暗闇さえも純白に変える君を、ただ見ていたいと思った
光が降ってきた。
純白に輝く優しい光だ。それは何も見えなかった闇の底を照らし出した。
僕はそれに見とれた。なぜなら、それは僕が久方ぶりに見た輝きだったからだ。この谷の底では太陽の光すら届かない。そんな場所に舞い降りたまばゆい光に目を奪われない方がおかしいだろう。
「えっと……こんにちは? ……こんばんは?」
しかも、その光の塊は実は女の子だったのだから、僕が目を離せなくなったというのも、道理というものだろう。
――空から降ってきた光は、一人の女の子だった。
はじめまして、こんばんは
君はゆっくりと言葉をつむぐ
彼女の太陽の笑顔
僕の影を覆った
「はじめまして、こんばんは……私は宇宙人。名前は……メル」
そう言って、彼女はまるでおもちゃの人形みたいにかくりと小首を傾げた。
なんだって?
僕は困惑することしかできない。
だって、そうだろう。空から女の子が降ってきたと思ったら、自分を「宇宙人」だと自称するんだ。それで動揺しない方が嘘だ。
いや、空から降ってきた少女が「普通の人間」と名乗るよりはましだろうか。もし、空から降る少女が「普通の人間」だっとしたら、僕の持っている「『普通の人間』は空から降ってこない」という常識はくつがえされることになるからだ。
そんなことよりも――
「どうしたの……? 私……何か変なこと言った……?」
どこか頼りないたどたどしい言葉づかいで彼女は僕にもう一度話しかけ、また、コトリと小首をかしげた。
そんな仕草に僕はどきりとしてしまう。
それはその少女があまりに――美しかったから。
人間離れした美しさ、とでもいうのだろうか。まるで、絵画の中から飛び出したみたいな精緻な美貌。少なくとも、僕は今までの人生の中で彼女のように美しい人を見たことがない。さすがに、宇宙人を自称するだけはあると、僕は妙なところで納得した。
「ねえ……教えてほしい……この惑星のこと」
彼女は小鳥のさえずりのような声でそう言って、淡く微笑んだ。
君は僕に語りかける
惑星の物語
宝石の花が咲く星を
優しく唄う鳥の星を
「私は惑星を巡って、物語を集めてるの……」
メルと名乗った少女は、頬を赤らめ、はにかんだ微笑を見せて言った。もう空から落ちてきたときの目もくらむばかりの光は放っていなかったけれど、僕はその笑顔だけで、もう目がつぶれそうだと思った。
「物語を集めること……それが私の使命なの……」
少女は僕に向かって語り続ける。
「この惑星には、宝石の花は咲いてる……? 聞いた人の心を溶かす優しい歌を唄う鳥はいる……?」
彼女はそんなことを静かに、しかし、確かに目を輝かせて語った。
彼女の話に僕は夢中で
息をすることも忘れて
一瞬の永遠を求める
それが今の時間
僕は僕自身がこの惑星について語る前に彼女が巡ってきた惑星について尋ねた。
「……えっと」
彼女は自分から惑星の物語について尋ねておきながら、逆に自分が尋ねられることになるとは想像もしていなかったようだった。
「………………」
戸惑い、目を泳がせる彼女。もしかしたら、彼女はあまり自分から何かを語るの得意ではないのかもしれない。
僕はゆっくりでいいから、と優しく彼女を促した。
「……空飛ぶクジラの居た星は大変だった……」
彼女が語るのは惑星の物語。
どうやら、彼女が宇宙人で、様々な星をめぐってきたというのは、本当のことらしい。それだけ、彼女の話は真に迫っていた。荒唐無稽としか思えないファンタジックな星々の海を彼女は本当に泳いで渡ってきたのだろう。
話し始めるまでは長かったが、一度話し始めると彼女は流麗に言葉を紡いだ。時に我に返ったように「……えっと」となどと言って、話は途切れたが、僕が彼女の目を見て、ゆっくりと頷くと、彼女はまた恐る恐る、それでも一歩ずつ物語の世界を歩んでいく。
「危うくクジラの大群に轢かれるところだった。空の交通整理をしてくれるイソギンチャクが助けてくれなかったら、私は今頃……」
だけど、僕はどんどん彼女の話に引き込まれていく。彼女の一言が僕の心を揺らした。彼女の息づかいが僕の心を震わせた。
僕はいつしかずっとこんな時間が続けばいいのにと思うようになっていた。この奇跡のような一瞬を山のように積み上げて、ずっとその中で眠っていたい。
そんな風に思った。
明るくなった闇の底
白い光を引いて
君が
切なさまでも温もりに変える君に触れたいと願った
彼女は光だった。
彼女が居て、暗かったこの谷の底ははじめて光り輝いた。誰にも見つけられず、誰にも気づかれず、ただ朽ちていくだけだった、この狭い狭い世界を変えてくれたのは、他ならぬ彼女だった。
触れたい。
いつしか、僕はそんなことを考える。
決して満たされない想い。
僕はそんな切ない想いを、強く、強く、抱きしめた。
僕は輝く星々を見るのが好きだった
独りで上を向こうとしたけど
僕の身体は動かない
僕は昔から輝く星々を見上げるのが好きだった。
そうはいっても、天体の知識があったわけではない。僕が判別できる星座はせいぜい一つか二つ。それだって、「きっとあれがそうなんだろうな」という予想をするのが精いっぱい。それでいて、その自分のあやふやな知識が当たっているのかを確かめようともしなかった。
要は、僕が星に求めていたものは、そういう知識にあったのではなかった、と言ったら、逆にかっこつけすぎだろうか。
僕は単に空を見あげるのが好きだった。
黒の絵の具をひっくり返したような暗い空。じっと目をこらすと光が一つ、二つと僕の目に飛び込んでくる。その光が何千光年先にあるのだとか、あの光はすでにどこかで燃え尽きた星なのだとか、そんな小難しい理屈はどうでもよくて、僕はただただ本当に首が痛くなるくらいまで、空を見上げていたかっただけだったのだ。
君はまだ話し続ける
惑星の物語
甘く香る風が吹く星を
七色の月が回る星を
「……その惑星では金属が植物のように生えてきたの。私は先にその惑星で物語を集めていたから、それが普通だと思っていて、他の惑星に行って、驚いてしまったわ……」
彼女はまだ僕の前に座って、話を続けている。
あまり話をするのは得意でないようなことを言っていたけれど、それは謙遜だろうと思った。彼女の話に僕はどんどん引き込まれていく。
僕は見たこともない不思議な惑星に思いを馳せる。
いつか、僕もそんな惑星の土を踏むことができる日が来るのだろうか。
――彼女の隣で僕も……
そんな益体もない想像が頭をよぎって、僕は自分自身を笑い飛ばしたい気分になった。笑い飛ばして、そんなことを想像したことすら忘れてしまいたいと思った。
彼女の隣に僕が在ること
一人称の真実
記憶をなくした記憶だけが
僕のカタチを繋ぎ止めてた
ふと、振り返ると、そこには今まで自分が歩んできた道がある。
そして、今度は前を向く。その先には自分がこれから歩むべき道がある。
彼女という存在は、前にも後ろにも存在しない。
ただ、この今という一点に存在する。
僕が一歩でも足を動かせば、彼女は夢幻に溶けて、消えてしまうだろう。
僕はなぜだか、そんなことに気が付いていた。
何も解らなかった。
何も解らなかったはずだったんだ。
でも、僕は彼女と話すだけで少しずつ輪郭を取り戻していく。
それはただ闇の中にたゆたうだけだった無数の草の葉を一枚ずつ拾い集めていくかのごとき、行為だった。
少しずつ、少しずつ、僕は僕を取り戻していく。
そして、着実に終わりへと近付いていく。
白く染まった闇の底
白い光を引いて
君が
ずっと傍に居たくて、君に恋したいと望んだ
恋がしたい。
ふと、そんなことを考えた。
取り戻し始めた自我が、彼女という存在を全身全霊で求めていた。
恋は奇跡を起こす。
それは物語の中の常識だ。
今、もしも僕が彼女に恋して、彼女を本気で愛して――
そして、君が僕のことを――
そうすれば、もしかしたら、奇跡が舞い降りるんじゃないか。
ああ、本当に。本当にそうだったなら、どれだけ嬉しいだろう。
僕が君に恋をすることだけは、とても簡単なことなのだけれど。
神様は決して優しくない
絶望は希望より出でる
二人の永遠の幻想は、ほんの一瞬で砕け散った
「あの……」
彼女はいつしか言葉を紡ぐことをやめていた。
僕はまっすぐに彼女の瞳を受け止める。
「私ばかり喋っていてごめんなさい……」
彼女はここに至って、ようやく自分の使命とやらを思い出したようだ。
彼女は物語を集める収集者だ。少なくとも、今ここで物語を語ることは彼女の仕事ではない。
「私はあまり話すのは得意ではないのだけれど、あなたにはなぜか話しやすかったから……」
そんな一言。たった一言。そんな何気ない言葉が僕の身体をぶるりと震わせた。
ああ、そうか……そうか。
僕はひとり、何度も何度もうなずいて、彼女の言葉を噛みしめた。
彼女は戸惑いを浮かべて、僕を見ている。
「そろそろ、この惑星のことを教えてほしいの」
彼女は柔らかく微笑んで僕を見ている。
そして、彼女はゆっくりとその言葉を口にした。
「どうして、あなたの身体は半透明に透けているの?」
崖の下の闇の底
白い光を引いて
君が
カタチを持たない魂だけが君を愛していた
崖から落ちて、その結果、命を落とした。
僕の人生の最期は、そんな短い言葉で、説明できる。
星を見ようと思っただけだった。高い山に登れば、もっときれいな星を近くに感じることができる。ただ、それだけの浅い考えだった。空を見上げることに夢中になっていた僕は足を滑らせて、暗い谷底に、ごみのように転がり落ちた。そして、誰にも気づかれることなく、死んだ。
僕は最初、自分が死んだことに気が付いていなかった。
いつの間にか幽霊となっていた僕は、自身の記憶をどこかに落っことしてしまっていたようだった。だから、僕は日一日と朽ちていく僕の死体のそばで一日中、空を見上げていることにした。正確にはそれ以外にできることがなかった、というべきだろうか。なぜか僕は、かつて僕だったその抜け殻の側を離れられなかったのだ。
僕にとって自我というものは、曖昧なものだった。
暗い谷底で、僕は僕という輪郭を辛うじて保つことで精一杯だった。僕は記憶というものを失っていたから余計にだ。
彼女と語り合う中で僕は少しずつ自分の過去を取り戻していく。地中の中に埋まった化石を掘り起こすように慎重に、少しずつ、僕は、僕を取り戻していく。
きっと、彼女がこの谷底に舞い降りなければ、僕は僕を取り戻すこともなく、ただ闇に溶けて、消えていたことだろう。
だから、僕は本当の最期に、僕を拾い上げてくれた彼女という存在に、本当に感謝していたのだ。
「そんな……」
彼女は言葉を失っていた。
どうやら、彼女は僕が半透明で透けていることを、そういう種族だと思い込んでいたようだった。クジラが空を飛ぶ惑星や、金属の花が咲く惑星を渡ってきた彼女にとって、ヒトとは必ずしも実体を伴うものではないのだと解釈していたのだ。
「ごめんなさい……あなたがもうこの世界のものではないのだとしたら、私はひどく辛いことをあなたに求めていたことになる」
僕は彼女の言葉の真意を尋ねる。
「私は……物語の収集者……本当はあなたからも物語を集めたかった……だけど、あなたにそれを……終わってしまったあなたにそれを語らせるのは、残酷なこと……」
ああ、そうか。
僕は彼女の言いたいことをようやく理解する。
彼女はきっと、僕にこの惑星のことを語らせることを無理を強いることだと考えている。
もう、二度とは戻れない世界のことを振り返らせることをむごいことだと考えている。
きっと、彼女は優しい。
そんな彼女だからこそ、僕は語ってもいいと思うのだ。
僕の最期の物語を。
——僕が確かに生きていたという証を。
「歌を歌ってもいいかしら?」
僕が僕が知るこの惑星のことを語りつくした後、彼女は優しく微笑んでそう言った。
「私はつらい時、悲しい時、歌を歌うの……」
そして、彼女は目に涙をためて呟く。
「楽しい時、嬉しい時も、歌を歌うの……」
僕は黙って彼女を見つめる。
「ねえ、いいかしら……?」
僕はそんな彼女を見つめて、ゆっくりと頷いた。
――光が、満ちた。
彼女が口を開き、その喉の奥から優しい唄を紡ぎ出す。
彼女の澄んだ歌声は、谷底の空気を震わせる。音とは大気の振動だ。ただの小さな大気の震えが、こんなにも人の心を揺さぶる。僕はそんな当たり前の奇跡が不思議でならない。
彼女が歌う唄は彼女が旅してきた惑星の物語であった。
宝石の花が咲く星。
優しく唄う鳥の星。
甘く香る風が吹く星。
七色の月が回る星。
彼女は物語の収集者であると同時に、その歌い手でもあったのだ。
彼女によって集められた物語はこうして唄に変わる。そして、その物語は唄として語り継がれていく。
それはきっと永遠の一端に触れようとする行為だ。
いつしか忘れ去られ、消えていくはずだった物語を彼女は唄にくるんで優しく抱きとめた。その物語たちはきっと彼女の唄の中で、一つの永遠を得た。
僕は気が付く。
なぜ、魂だけの存在であった僕がこの暗い世界で一人とどまっていたのか。
あまりに明白で簡単な答え。
——僕はこの一瞬のためにここにいた。
あふれかえった星の空
白い涙を引いて
君が
さようならとずっと手を振って、僕は
手を繋いで見下ろした星は、とても青くて綺麗だった。
〈了〉
少女と宇宙<ソラ> 雪瀬ひうろ @hiuro
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