魔法使いの保健室

志登 はじめ

魔法使いの保健室

 目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。


「ここは……?」


 壁も天井も床も、真っ白な部屋。いや、よく見ると無垢な白ではなく、円や五芒星などの繊細な紋様が薄く描かれている。


「えっと、俺は確か戦場で……」


 ハッとして、右肩をさする。


「傷が……無い……?」


 思い出した。自分が戦場に出ていたこと。戦局の大勢が決し、勝利を確信して引き上げようとした時、何者かに右肩を矢で射たれ、落馬したこと。


 それにも関わらず、肩に傷は無く、落馬した際の体の痛みすら感じられなかった。ただ、異様なほど体が重い。何ヵ月かぶりに体を動かしたような、そんな怠さを感じる。


 傷が完治しているということは、どれだけ長い時間眠っていたのだろうか。それに、ここは一体どこなのだろうか。


「目が覚めましたか? 傷は塞がりましたが、まだ安静にしていてくださいね」


 可憐な女性の声の方に目をやると、自分と同い年くらいだろうか、15、6歳と思われる少女が、花瓶に水を差していた。プラチナブロンドの美しく長い髪に、部屋と同じ紋様の入った白いワンピースを身に纏うその姿は、どこかこの世のものではないような異質さを感じさせた。


「安心してください。ここはルフトベルグ城の癒しの間です」


 こちらの考えを見透かしたように、少女は説明した。


「癒しの間……? 城の中にこんな部屋があったのか」


「一般には秘匿された部屋ですので」


 俺はルフトベルグの騎士団所属だ。民間人ではない。


「なんで自分たちの拠点なのに、秘密にされてる場所なんかがあるのさ」


「それは、私がここにいるからです」


 答えになっていない。情報が足りなすぎると言うべきか。


「なんで君がいると秘密にしなければいけないの? そもそも君は誰? 俺はどれくらい気を失っていたの? あれから戦況はどうなった?」


「あまり一度に質問されると困ります」


 少女はそう言いながらも、余裕のある笑みを浮かべていた。この手の質問攻めには慣れていると言わんばかりに。


「私はルカ。あなたが眠っていた時間は半日ほどです。ここが秘匿されている理由は、私が特別な魔法使いだからです。戦況は、あなたたちが撤退を始めた時から大きく動き、今は城の防衛を固めているところです」


 ……今度は逆に情報量が多すぎる。尋ねたのは自分なのだが。


「ちょっと待って。頭の中を整理したい」


「構いませんよ。ここに来た人は皆さんそう言いますから。ただ、あまり時間はないかもしれませんが」


「時間がない?」


「はい。じきに敵勢が城に攻め入ってくるでしょう。ここは秘匿された場所とはいえ、敵に見つからない保証はありません」


 敵が攻めてくるだって? 先の戦場でも、こちらが圧倒的に優勢だった。そもそも、ルフトベルグの軍勢20万に対して、相手のグノフ公国は8万にも満たない数だったはず。


「戦況が大きく動いたって、一体何が……どうしてそんな逼迫した状況に……」


「私は直接戦場に出ていたわけではないので又聞きなのですが……何でもガルフィ将軍が討たれたとか」


「そんな馬鹿な! 一人で万の軍勢にも勝ると言われる、あの大英雄が討たれただって!?」


 信じられない。ガルフィ将軍と言えば、かつてルフトベルグの軍が壊滅の危機にあったとき、5万の敵勢にたった一人で立ち向かい、味方が撤退するまで持ちこたえ、自身も生還するというおよそ信じがたい武勇を持つ豪傑。この国に暮らすものなら、知らぬものはいない英雄の中の英雄だ。


 稲妻を駆り、鬼神のごとき剣を振るうかの英雄を殺せるものなど、到底想像ができない。


「真偽は不明です。ただ、今が我が国の危機であることに疑いの余地はありません。そうでなければ、あなたがここに来ることはありませんでしたから」


「……どういう意味?」


「貴方のような未熟な騎士に、私の魔法を明かすことなど、本来ありえないことなのですよ。よほど人手が足りないのでしょう」


 癇に触る。未熟者と言われて否定はできないが、齢15で入団試験を突破し、16歳で前線の一員に加わった。故郷では神童と持て囃されていたし、何より騎士として、これまで懸命に務めを果たしてきたのだ。名誉を傷つける発言は看過できない。


「俺と君は、未熟さで言えばそう変わらないように見えるけど」


 語気を強める。ルカは萎縮したのか、悲しんでいるような、何かを諦めているような、微妙な表情を見せた。


「本来は、女として喜ぶべき言葉なのかもしれませんね」


「それはどういう……」


「私、本当はすごいおばあちゃんですから」


「……何を言ってるのかよくわからないんだけど」


 どう見たって10代だ。童顔なことを差し引いたって、精々20代前半ってところだろう。正体は吸血鬼か何かだとでも言うのか。


「不思議には思いませんでしたか?」


「何のこと……いや、どれのことだか」


 不思議に思うことなど、この短い会話の中だけでも多すぎる。


「あなたの傷のことです」


「あぁ、たしかに。俺が眠っていた時間が半日だと言ったけど、あの傷はそんな短時間で完治するようなものじゃないはずだ」


「それが私の秘密ですから。私の魔法は、癒しなのです」


「癒しの魔法……それって、昔世界に一人だけ使い手が存在したって言う、あの癒しの魔法? たしかその魔法使いは100年前に死んだって聞いたけど」


 ただの魔法使いなら別段珍しくもなんともない。何せ、俺だって魔法は使えるのだから。


 魔法の才能は、おおよそ4人にひとりの割合で発揮する。理由はまだ解明されていないが、生まれつきに自然に存在する様々な属性の加護を得る者がいるのだ。


 ガルフィは雷の魔法使い。俺は鉄の魔法使い。他にも、炎、植物、光など様々あるが、「癒し」などという属性は本来この世に存在しない。そのため、100年前に現れた癒しの魔法使いは、神がもたらした奇跡だと言われていたらしい。


「もしかして、癒しの魔法使いの孫とか?」


「いえ、癒しの魔法使いは、世界に一人だけですから。子供もいません」


「それじゃあ……」


「私が、その100年前に死んだ魔法使いです」


 悪い冗談だ。


「何を……それじゃあ俺はやっぱり死んでいて、ここは死後の世界だとでも言うのかい?」


「いえ、貴方は生きていますし、先程も伝えた通り、ここはルフトベルグ城の中ですよ。私は100年前に死んだことになっていますが、ここでずっと生きていた、という訳です」


 先刻からこの子は何を言ってるんだろう。彼女の言う通り、俺が気を失っていたのがたった半日なら、癒しの魔法は本物なのだろう。だが、癒しの魔法は不老不死とは異なるはずだ。


「その見た目も、癒しの魔法のおかげ?」


「……これは、魔法の副作用みたいなものです」


 ますます訳がわからない。薬でもあるまいに、魔法に副作用など聞いたことが無い。せいぜい力を使いすぎて気を失うくらいのものだが、これは肉体的疲労が溜まれば倒れるのと同じ理屈だ。


「副作用でなんで若返るのさ。それに癒しの副作用と言うなら、病気になるとか、古傷が開くとか、よりやつれる方が道理だと思うけど」


「それもそうですね」


 ルカは自虐的に笑った。


「それでは、これは呪いということで」


 それにしても、なぜルカは自らの力に卑屈な素振りを見せるのだろうか。人の傷を癒す力なら、戦いに用いられる魔法よりもよほど人の役に立つだろうに。


「そもそも、なんで秘匿しなきゃいけないんだ?」


「私の力が外部に漏れ伝われば、敵国が私を奪いに来るでしょう。深傷を負わせた兵士が、翌日には何食わぬ顔で出撃するのですから、これを放置する手はありません」


「たしかに、それはそうか」


 こちらとしても、ルカの力が敵に渡るのは絶対に避けなければならないというわけだ。だからこそ、内部からの情報漏洩を防ぐために、騎士団でも一部の人間にしかここの存在が明らかにされていないと。だが、気にかかる点はまだある。


「君は、いつからこの部屋に?」


「先程も言った通り、100年前から」


「その間、ずっとここに?」


「ええ。外出は許されていませんから。それに、この部屋の壁や私の纏う服に刻まれた紋様には、私をこの場所に縛る石の結界がかけられています。私の意志では、水浴びをする時もこの服を脱ぐことはできません。だから、どのみちこの部屋から出ることはできないのです。この国は戦争が絶えませんし、ここにいる限り、私が役目を終える日はきっとこの先も訪れることはないのかも知れませんね」


「そんな……それは、あまりにも……」


 彼女の話が真実だとすれば、それはあまりにも非人道的だ。だが、国に忠誠を誓った騎士として、その言葉を口にすることは憚られた。先程彼女が見せた、あの諦めの表情はそれが理由なのだろうか。


「君は、それでいいの?」


「……」


 ルカは答えなかった。俺はこの国の騎士。これは、自ら望んだ道だ。この命を王に捧げ、国のために死ぬのであれば、それは誇るべきことだと思っている。


 だが、彼女はどうだろうか。100年もこの部屋に縛り付けられ、負傷した兵の傷を癒し続けている。それは、彼女が望んだことなのか。


 そんなこと、彼女の目を見れば誰にでもわかる。


「私がここに来てから、ルフトベルグは常に戦いに勝利してきました。この国の軍事力はあまりにも強大でしたから。100年以上、城に攻め込まれることなんて無かったんです。ですが、今は違います」


「何を言って……」


「あなたはまだ未熟ですから、私の身の上を聞いたら、同情してしまうでしょう? 王に忠誠を誓って長い人たちは、その気持ちを抑えられるものですけど」


「……」


「私がここから出たいと言ったら、あなたのような優しい人は、国を裏切って連れ出そうとするかもしれない。私のことを憐れんで」


「……俺は、国を、王を裏切れない。君がここに幽閉されていることを知っても、それが、王が必要とすることならば……」


「良いんです。だって、もうその必要は無くなったんですから」


「え?」


 彼女はそう言って、部屋の奥へと歩いて行った。お茶でも汲もうとしたのだろうか。だがその瞬間、部屋の扉が乱暴に開かれる音がした。ドカドカと音を立てて、武装した二人組が入ってくる。


「何だぁ、この部屋は。ベッドの他に何も無えじゃねえか」


 鎧に描かれた竜の紋章は、間違いない。


「敵兵!」


 ルフトベルグと交戦中の、グノフ公国の兵だ。ルカの言っていたことは真実だった。いや、それよりも戦況ははるかに悪い方向に傾いていたようだ。城の中へ侵入者を許すなど、既に外の守りは崩壊したと考えて間違いないだろう。


 応戦しようとしたが、ここには剣が無い。魔法の触媒にできそうな鉄も無い。そもそも、体が異常なほど怠くて上手く動かない。


「ガキが一人かよ。つまんねぇな」


 大柄な男は、よろけた俺の腹に強烈な蹴りを食らわせた。


「ぐはぁッ!」


 金属の入ったブーツの爪先が思い切り鳩尾みぞおちに入り、俺は悶絶した。痛みと呼吸困難の苦しさが体中で暴れまわっていたが、部屋の奥から聞こえた下卑た声ははっきりと聞こえていた。


「女がいるじゃねぇか」


「こんな時に隠し部屋でお楽しみだったったってのか?」


「前線から外されてつまらねぇと思っていたが、こりゃとんだ役得だな」


 直後、バンッという音が聞こえた。何とか姿勢を起こして音の方を見ると、ルカが侵入者に組み伏せられていた。


「おっと、お前はまだここでおとなしく寝てろ」


「くそ! 離せ!」


「離せと言われて離す馬鹿がいるか。まぁ、良いもん見せてやるからよ」


 俺を蹴り飛ばした男が、頭を床に押さえつけてきた。体に力が入らない。せめてナイフでもあれば、油断しきっているこいつを仕留めることぐらいわけないのに。


「まだガキだが、器量は良いな。こいつは儲けもんだぜ」


 ルカの上に乗っかっている男は、短剣をワンピースの襟元に引っ掛けると、そのままそれを引き下ろした。布は大した抵抗をすることもできず、ルカの穢れ無い白い肌が男たちの前に晒された。


 俺はその瞬間、確かにルカが笑ったのを見た。


「おとなしくしてれば殺しはしねえよ」


「ここへ来たのは、あなたがた二人だけですか?」


 こんな状況にも関わらず、ルカは恐ろしいほど冷静に男にそう尋ねた。


「あ? 何だよ。泣いて助けを求めないのか? 張り合いがねえな。それとも、二人だけじゃ物足りないってのか?」


 男は醜い笑顔をさらに歪ませ、右手でルカの乳房を鷲掴みにした。だが、ルカは表情一つ変えることなく、男に言葉を返す。


「つまり、二人だけということですね。それなら、何とかなるでしょう」


「へえ、見かけによらず経験豊富ってわけかい。それじゃあたっぷり楽しませてもらおうか」


「あなたにはお礼を言わなきゃいけない立場なのですが……」


 ルカがそう言って男の右手首に触れると、男は静かに横に倒れた。


「女に乱暴する輩に、謝辞を述べるのは間違っていますよね」


 何が起きたのかわからない。男は、倒れたままピクリとも動かなかった。ルカは男が持っていた短剣を手に取ると、俺の頭を押さえている男を見据えた。


「てめぇ! いったい何をしや」


 男の声がそこで途切れる。声に変わって、喉元から大量の血液を見せびらかすように噴出させ、男はそのまま後頭部を打ち付けて倒れた。俺はその血を浴びながら、混乱した頭で必死に状況を理解しようとした。


 先ほどまで部屋の奥にいたはずのルカが、今は俺のすぐそばにいる。一糸纏わぬその手に、血に染まった短剣を携えて。


「きぇえええええええ!」


 扉の裏で見張りをしていたもう一人が、奇声を上げてルカに襲い掛かった。侵入者が二人だと思っていたルカは、不意打ちに反応できていなかった。俺は咄嗟に、先ほどまで俺を押さえつけていた男の腰にあった剣を取って力を込める。刀身が鋭く細く伸び、男の延髄を頭蓋骨ごと貫いた。


「カッ」


 男は前のめりに倒れ、少し痙攣した後動かなくなった。初めてではないが、嫌な手ごたえだった。


「あ、ありがとうございます。はぁっ、はぁっ」


 ルカの声が、頭の中にぼんやりと響く。改めて最初に倒れた男を見ると、その姿はまるでミイラのように干からびていた。傷一つないが、間違いなく絶命している。それに、二人目を倒した時の動き、あれは明らかに人間の速さを逸していた。


「君は……君は一体何者なんだ? 癒しの魔法使いじゃなかったのか!?」


 俺の問いかけに、ルカは悲しそうに笑っていた。


「癒しの魔法使い……そうですね。私は癒しの魔法使いです。皆がそう呼ぶのだから、きっとそうなんでしょう」


「あの男は、明らかに何かの魔法を受けて死んでいる。癒しの魔法で、どうして人が死ぬ!?」


 ルカはテーブルクロスを手に取り、それを体に巻き付けた。そして俺の問いには答えず、逆に問いを投げてきた。


「この城はじきに落ちるでしょう。ここにも新手がやってきます。今は三人だけだったので対処できましたが、多勢で来られればこちらも為す術がありません。だから私はここを出ます。あなたは、どうしますか?」


 城が落ちる。それはつまり、王の首が獲られるということ。認めたくはないが、おそらくルカの言うとおりになるだろう。


 貴族でも何でもない、ただの鍛冶屋の息子だった俺を、両親の死後、騎士団に拾ってくれた王。命を捧げると誓った我が王。だが、その救出は絶望的だ。城の中枢にまで攻め込まれている以上、もはや敗走の余地も無い。間もなく、王は凶刃に倒れることになる。


 その先、どうする? グノフ公国の連中、先ほどのルカに対する行動を見ても、敵国の生き残りをまともに扱うとは思えない。それなら、いっそ―――――――


「もしもあなたが、生きる道を見出せないのなら、私と一緒に来てください」


「え?」


「あなたは、私の本当の秘密を知ってしまったから」


「本当の秘密って……」


「さあ、早く」


 俺は、ルカに手を取られて癒しの間を後にした。なんとも情けない姿であったと思う。頭はいまだに混乱の真っただ中。でも、気づいたことがある。彼女の、ルカの魔法の秘密のこと。


「あなたは王に命を捧げた騎士。だけれど、王を守ることができなかった」


「あぁ」


「でも、あなたは私を守った。だから、もし王を失くし、生きる意味を見出せないのなら、今度は私のために生きてください」


 言っていることがめちゃくちゃだ。話になんの整合性も無い。


「君は魔女か?」


 ルカは笑っていた。さきほどまでの悲しげな笑みではなく、今度は楽しそうに。


「私をあの部屋に閉じ込めた人も、私をそう呼びました。100年前に私を死んだことにしてくれたあの人も……癒しの魔法使いなどではなく、私のことを、魔女だと……」


 長い階段を登りきると、城から少し離れた裏の側溝に出た。癒しの間は、どうやら地下深くにあったらしい。ここには敵兵は来ていない。こんな辺鄙な場所の探索を命じられるなんて、あの三人組は仲間内でも相当信頼されていなかったようだ。


 表の方から勝鬨かちどきが聞こえてくる。でもそれは、聞きなれたルフトベルグのものではなかった。


 戦いは終わった。我が国は負けたのだ。


「あの日、私の魔法の本質に騎士団が気づいたあの日、私の力を恐れた当時の王は、私を処刑することを決めました。ですが、当時の騎士団長は、私の力にはまだ使い道があると説いて、表向きには私は死んだと公表しながら、あの部屋に幽閉したのです」


 裏手の森へ逃げ込む途中。ルカは自らに起きたことを話し始めた。


「彼は私を魔女と罵り、自らへの絶対服従と、無期限かつ無償での負傷兵の治療行為を誓わせ、あの石の結界を私に施しました。その誓いと結界を基に、私が害為す存在にはならないと王たちを説得したのです。それはきっと、並みの労力では無かったはず」


 俺は何も言わない。そんな話を聞かされたところで、何が言えるわけでもないだろう。それでも、ルカはかまわず話を続けた。


「私をあの部屋に閉じ込めた後、彼は私に"必ず救いに来る"と言ってくれました。私はそれを信じて待ち続けましたが、それ以降、彼があの部屋に来ることはありませんでした。私を封じ込める、石の結界だけを残して」


 その騎士団長の末路は想像に難くない。体よく誓いと結界を手にした王は、魔女を庇護しようとする騎士団長の真意を知り、国家への叛逆者として粛清したのだろう。


「私はそれでも、彼が私を生かそうとしてくれた気持ちに応えたかった。だから、忠実に与えられた仕事を全うしてきました。でも、どんなに強く思っていても、100年もすれば人の気持ちは揺らいでしまうものなのですね」


「100年も揺らがなかったことを、誇りに思った方が良いんじゃないかな」


 俺なんて、たった2年前に命を捧げると誓ったのに、ルカの幽閉を良しとしていた王に対して思いが揺らいでしまった。100年なんて、途方もない時間だ。


「……ありがとうございます。やはりあなたは、優しい人なのですね」


 森に入り、しばらく進むと川がある。俺たちはそこで腰を下ろし、しばし休息をとることにした。


「これから、どうするつもりなの?」


「世界を旅して周ります。どこかに、私の呪いを解いてくれる人がいるかもしれないですから」


「呪いを解くって……」


「あなたは、もう私の魔法がどういうものなのか、気づいたんじゃないですか?」


 ルカの魔法の秘密、それは癒しではない。


「触れたものの、時間を操る魔法」


「その通りです。ただ時間を操ると言っても、私には加速させることしかできません。時間を戻すことはできないのです」


 俺の傷がたった半日で治ったのは、完治するまで体の時間を加速させたから。だから目が覚めた時、異様なほど体が怠かったのだ。


 侵入者がミイラのようになって死んでいたのは、干からびるまでルカに時間を加速させられたから。そして、ルカが尋常ならざる速さで侵入者の喉を切り裂いたのは、自らの体の時間を加速させたから。


「ですから、あなたの体は加速しただけ寿命が短くなっています。おおよそ、半年ほどだと思いますが」


「ちょっと待って。時間を加速させることしかできないなら、なんで君の体は老いることがないんだ?」


「……私にもその理由はわかりません。ただ、誰かの時間を加速させた分だけ、私の体は時を止めてしまうようなのです。このことに気づいたのは、私が何百、いや、何千年分も、人の時間を加速させた後でした。私自身、この力が癒しの魔法だと信じて……」


「それで、呪いだと」


「はい」


「自分の時間を加速させることでは、解決できないの?」


「人から奪った時間を加速させることはできないみたいです。私が加速させられるのは、私自身の寿命だけ。あとどれくらいあの力が使えるか、正直わかりません」


「呪いを解いたら、君は死んでしまうんじゃないのか?」


「……そうかもしれません」


「それなら」


「それでも私は、のです。普通の、一人の人間として……」


 魔女ではなく、人間としての死を望む。そう言った彼女の決意を、俺に止める術は無かった。


「結局、100年経っても思いは揺らいでなかったってことじゃないか」


「二人も殺めてしまった私が、そんなことを望むのはおこがましいと思いますか?」


「……あいつらは死んで当然のやつらだった。大体、俺の方がもっと人を殺してる。戦場ではあったけど、あいつらよりずっとまともな人間を……そんな俺が、何の呪いも受けずに人間をやれているんだから、君の望みがおこがましいと言うなら、俺は今すぐ地獄に堕ちなきゃいけなくなる」


「あなたは、本当に優しい人なのですね」


 ルカは笑っていた。そしてその笑顔を見て、これからルカのために生きてみるのも悪くないかもしれないと思った。この気持ちが、100年揺らがずにいられるかはわからないが。

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