恋愛の話【2】

さて、恋愛の話の続きをしよう。今回はメンヘラと付き合ってあなたが受ける影響と、メンヘラが受ける被害についてだ。


メンヘラと付き合うことで得られるメリットというのはほぼゼロと言っても良いと思う。人によっては嫉妬されるのが嬉しいとか、多少束縛されるくらいが愛されている感じがするとか思う人もいるかもしれないが、私は絶対に私とは付き合いたくない。多少では済まない束縛、夜中に飛んでくる泣き言の数々、全く恋愛感情など抱いていない友人に対する嫉妬、情緒不安定に四六時中付き合わされるだなんて考えただけでも嫌になる。メンヘラと付き合う上でのデメリットは挙げればきりが無いがその中でも最も懸念すべきは、メンヘラの伝染である。


特に世話焼き、お人好しな人は注意してほしい。前回の記事から挙げてきたメンヘラと付き合う上でのデメリット、ほとんどの人はこんなのに付き合ってられるか!と匙を投げてしまうものだが、これが自分の恋人の事となると「また支えてあげられなかった」「自分がこの子を苦しめている」と罪悪感や無力さを感じる人が一部いるのだ。今までも散々言ってきたが、この「罪悪感」というやつは人を精神疾患に追いやる毒である。罪悪感を感じる対象にはもちろん個人差があるが、世話焼き、お人好しな人は特に感じやすいタイプだと思う。そして、この罪悪感を感じやすければやすいほど、メンヘラの素質があると思う。

というのも、こういうタイプの人達は罪悪感から自責しがちなので、上手くできなかったと反省し自己評価を下げてしまう。と同時に、「次はしっかり支えてあげなきゃ」だとか「この子は自分が守ってあげなきゃ」という使命感が生まれる。しかしこの使命感というのはメンヘラな恋人を守るものではなく、「人に親切にすることで自分が得られる自己満足感」を守るものだと私は考える。(親切と呼ばれるものは基本的には自己満足で、結果的に人の役に立ってるから偶然感謝されているものだと私は思っているので。)

この使命感が生まれた瞬間、世話焼きさん達はメンヘラから離れられなくなる。中途半端に投げ出すことへの罪悪感、自分が病ませているんだという罪悪感、時として上手く恋人の自傷行為を止めることが出来た時に得られる満足感、出来なかった時の無力感、自分の理想とのギャップ。これらは全てメンヘラ思考の始まりなのである。

このように、元々素質があるとはいえ、それまで健常者として生活してきた人がメンヘラと関わることで感化されてしまうケースが少なくないように思う。この時の相手と生涯上手くいけばいいのだが、別れた時は悲惨なもので、残されるのは散々に傷付けられた心とメンヘラ思考だけなのだ。


こうしたメンヘラ同士が陥るのが「共依存」だ。聞いたことのある人もいるのではないだろうか、メンヘラと言えば思い浮かぶワードのひとつだと思う。

尽くされたい人と尽くしたい人がこの関係性に依存していくと、普通では考えられないような事が起こっても離れられなくなる。


例えば、DVなんかはその典型だと思う。肉体的なものから精神的なものまで。私自身は過去に2年付き合った恋人から精神的DVを受けた。モラハラとも言うのだろうか?

私が当時一番腹が立ったのは彼の小さな「男のプライド」というのを守ってやらなければいけないことだった。私が厚底の靴を履けば、男より彼女の方が背高いってかっこ悪いじゃん、から始まり、私は服も髪型も、ずっと開けたかったピアスも我慢して全て彼好みにしていた。タバコも吸わなかった。2人でご飯に行った時、お会計は私のぶんだけ席で彼に払い、レジの前では彼にごちそうさまでしたと言ってあたかも全額奢ってもらっているかのようなフリをすることを強制させられていたし、同じ趣味で仲良くなったはずのゲームで私が勝つと不機嫌になりキツい当たり方をしてきたり。

ケンカした時、明らかに彼が悪いのに非を認めず全て私のせいだと責め立てられることも少なくなかった。彼と仲良く出来ない時間が既につらいのに暴言を吐かれ続け、次第に私は本当に私が悪いんだ、と思い込むようになった。私が自己嫌悪感でいっぱいになっている時、彼はきまって優しかった。「大丈夫だよ、そんなお前でも好きだよ、こんなに泣いちゃうのは俺に嫌われるのが怖かったから?やっぱり俺がいないとダメだね。」

今こうして書き上げてみると、なんだこのお子ちゃまクズ男・・・と思えるのだが、当時は彼に捨てられることを恐れていた。こんな形でしかないが、私を必要としてくれる人を失うのが怖かったし、彼は常に私の思考の中心にいたので彼がいない生活が想像できなかった。彼がいなくなったら私は何を思って、何のために生きていけばいいんだろう?と素直に疑問に思っていた。マインドコントロールに近いものだったのだろうが、そこから抜け出すにはかなりの時間がかかった。私の場合は周りの友人によく相談していた事と、私の精神年齢が彼と付き合っていた2年の間に大きく成長したことがきっかけで、彼は私が好きなのではなく私に理想の恋人像を投影しているだけだと気付いた。彼の期待に応えられないだけで常に私が悪者になるのはおかしい!と気付いてからは彼の言いなりになるのが苦痛でどんどん不満が溜まっていき、次第に連絡も取らなくなってお互いの依存が解けた頃、別れましょうと話をした。共依存は、場合によっては第三者の介入がないと引き離せないようなこともあるらしいので、私はまだラッキーだったかもしれない。


こうして私は彼との共依存からは抜け出せたが、未だに依存体質なことには変わりない。この「共依存」という関係性においてお互いが求めているのはその人自身ではなくその人から与えられる満足感なので、いつもどこか虚無感というか、虚しさがあるように思う。これを良くない、本当の愛では無いというのが世論なのだが、私にはそれがわからない。幼少期の両親との関係が深く関わってくるのだが、無償の愛というものを受けたことが無いので、私から何も与えることなしに人に愛されることはないと、無意識にすり込まれているのだと思う。私の中では、与えて初めて返ってくるもの=愛なので、何もせずに受け取れる愛ってなに?と思うし、世間ではそれが普通らしいので疎外感を感じてしまう点でもある。

等価交換されるだけの愛に虚しさを感じた事もあったのだが、最近は「与えてくれないなら私も渡さない」と割り切れないような愛に触れることがある。無償の愛と言えるものかはわからないが、今までとは何か違った、言葉では説明のつかないような、割り切った考えができないような、不思議な愛だ。私の中で完全な依存関係にあるときは、なんだか沼にはまったような、どろどろした重たい感覚があるのだが、今の恋人との関係は始まりこそ依存関係だったものの、今はぽかぽか暖かい、ひなたぼっこをしているような感覚だ。この愛がどんなものかはまだわからない。もしかしたら以前の彼のようにDVに結びついてしまうかもしれない。それでも今回はなんだか違う気がする、その可能性に期待して、私は今日もこの「共依存」から抜け出せずにいる。でも、決して悪いものではないのかな、と思えている。


ここまで、健常者がメンヘラから受ける影響と、共依存に陥ることでメンヘラが受ける被害について話してきたが、いかがだっただろうか。

私がこうして振り返ってみて、みなさんに伝えたいと思ったのは、今は健常者でも何かがトリガーになって(今回の場合はメンヘラと関わることで)あなたも傷付ける側になるかもしれないということ。そして共依存は一概に悪いものとは言えないが、DV等で自分が傷付いたり、蔑ろにされるような環境にいることは良くないということだ。だからDVを受けているあなたは今すぐ逃げなさい、などとは言えないのが難しいところだが。お互いが納得していればどんな関係であれそれが2人の愛の形になってしまうので。DV問題の難しい点はここにあると思う。だから、もし今恋人から身体的、精神的にDVを受けている人がいたら、死ぬ前には1回くらい逃げてみてもいいんじゃない?と提案だけしておく。最終的には外野がわーわー言ったところで本人次第なので、DVから逃げることは悪でも何でも無いよ、ということだけ覚えておいてほしい。

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メンヘラが綴る人間考察 浅葱 楓 @klz_effure

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