恋愛の話【1】

メンヘラが本領発揮する場面と言えば恋愛でしょ!という事で今日は恋愛についての話。正直、どんな恋をしてきたなんて人それぞれ千差万別なので個人的な思い出話や愚痴になってしまう面もあるかと思う。しかし、そういった経験からある程度のメンヘラの傾向については分析できるのではないか?そして傾向と対策により今後の私の恋愛に役立ててやる、という野望を叶えるべく筆を執った。


メンヘラの恋愛はどんなイメージがあるだろうか。ネットでメンヘラとの恋愛について色々調べてみると、意外にも「メンヘラ可愛くね?嫉妬深いのとか、俺のこと想ってくれてる証拠じゃんww」なんて意見を見かけた。反対に、「メンヘラ彼女に殺されかけた」なんてとんでも体験を語る者もいる。一体どちらが真実なのだろうか?ここではメンヘラの恋愛における思考パターンを自己分析し、皆さんがメンヘラと付き合う上で起こり得るであろう問題とその原因について探っていこうと思う。大変長くなるので2部に分けての執筆になるが、ご理解いただきたい。


まずメンヘラの私が恋愛をする上で常に悩まされている問題が、嫉妬である。恋人が異性もいる男女仲良しグループで飲みに行くと言っただけで大騒ぎだ。「そう、いってらっしゃい」なんて平静を装ってはみるが、内心はお菓子を買ってもらえず泣き叫ぶ子どものように床を転げ回ってでも飲み会を阻止したい。学生時代の友人というのは私にとっては強敵で、青春を共に過ごし今でも飲みに行くほど仲の良い異性と酔っ払って何か起こらないわけがない、迫られたら流されてしまうのでは、と気が気でないのだ。そもそもそういう異性と普段から連絡をとっていることが気に食わない。彼らは私の知らない恋人の一面をたくさん知っているのだし、過去の恋愛だって知っているのだ。下手したら私なんかより全然良い理解者なのでは?なんて思ってしまうのだ。こうなってきたらもう止まらない。現在居酒屋でどんな様子なのだろうかということから、そのグループ内の関係性、学生時代はどうだったのか、その当時の元恋人と再会なんて無いよね・・・?と悪い妄想が止まらなくなる。自身の頭で勝手に生み出した虚構に苦しめられ、最終的には耐えられなくなって恋人に連絡する。「寂しい。離れていっちゃうみたいでこわい。はやく帰って、ぎゅってして。」連絡が返ってこなければ恋人のSNSアカウントを片っ端から探して飲み会の写真がアップされていないか、誰かにリプライで参加者を伝えていないか等徹底的に調べる。完全なメンヘラの完成である。


この、妄想と不安が襲ってくる原因は自信の無さだ。他の話を読んでくださった読者さんは何度か目にしたかもしれないが、全て自己肯定感の無さ故である。決して恋人に対する不信感からではない。自分自身に対する疑念である。

こんな私よりも他の人が魅力的に見えるんだろうなあ、きっと私といるときよりも楽しんでるんだろうなあ、だったらその人たちの方が好きになってもおかしくないよね・・・と不安が不安を呼び、どんどん悪い方向へ思考が傾く。この時は本当に何かに取り憑かれたように悪い妄想しか出来なくなり、「いやちょっと待てよ?」などと冷静に戻ったりはできない。ここまで来ると自分の脳内での処理は出来なくなり、私の場合自傷行為にはしるか、恋人に連絡して不安を取り除いてもらう。

本当に誤解してほしくないのだが、決してイベントを邪魔したいとかいう気持ちではないのだ。もしかしたら一部の悪知恵が働くメンヘラはこうすれば恋人が帰ってくると確信した上でこういった言動をするのかもしれないが、少なくとも私はその限りでは無い。最大限恋人の自由は奪いたくないし、友人とも仲良くしてほしい、私とだけでない色んな楽しい思いをしてほしいし、それを嬉しそうに話す恋人との時間も好きなのだ。しかし私の嫉妬はいつもそれを邪魔する。不安でどうしようもなく、恋人を呼び戻してしまったときは激しい自己嫌悪感、罪悪感に襲われる。

自己肯定感を育てるというのは大変なことで、本来生まれてから十数年かけて育つものを一朝一夕でどうにかできるはずもなく事あるごとに無意識下で苦しめられ、ある時、さてはヤツの仕業だな・・・?と気付くも、自己肯定感の欠如した人間にはもはや「自己肯定感を育てる環境をつくること」自体が難しい。不安、妄想に襲われいつも恋人に頼ってしまったり邪魔をしてしまう事に対する自己嫌悪。自己嫌悪が募ると自己肯定感の低下に繋がり、また新しい不安を呼んで・・・という悪循環が出来上がってしまっている。勘違いしないでほしいのが、このことに関しては常に罪悪感を抱いているのだ。仕方ないでしょ?などと開き直ることは絶対に無いし、メンヘラ自身も苦しめられていることを忘れないでほしい。付き合わされる恋人は、楽しみだった約束を幾度となく邪魔されるばかりか、私を泣き止ませリスカの手当てをし、後日友人に事情説明もしなければならないのだから、本当に申し訳ないと思っている。いつもごめんなさい。


大抵のメンヘラが起こす行動はこの、自己肯定感からくる見捨てられ不安によるものなのだ。では、そんなメンヘラとお別れするときはどうなるのか?普段から見捨てられることを非常に恐れているメンヘラにとって、別れ話は生きるか死ぬかの話である。もちろん自分自身のことだが、あなたのことでもある。

大好きな人に別れ話をされたとき、健康な皆さんでもかなりつらいことではあるのは承知しているが、メンヘラにとって恋人がいなくなることは神様がいなくなることと同義だ。今まで飲み会行く度に泣いて迷惑をかけたときも、多忙で会えなくて泣きながら真夜中に電話したときも、嫉妬して拗ねたときも。たくさんの人に見限られ価値のなかった私に価値を見出し、受け入れ許してくれ、共に過ごしてくれた唯一の理解者がいなくなるのだ。「別れるくらいなら死んでやる!」というのも頷ける。これは脅しなんかではない。あなたという存在がいなくなるのなら私に生きてる意味も価値も無いので死んでしまいたい、という本心だ。だが、死んでやると言われて本当に死なれた場合でも、恋人は何の罪にも問われないので安心して別れてほしい(というのも変な話だが)。

他にも別れ際のセリフに「悪いとこ全部直すから、ちゃんと我慢もするから捨てないで」などといったお願い系も見受けられるが、メンヘラの場合は改善は望めないと思った方が良いだろう。もちろん嘘ではないのだ。本当に直すつもりで言うのだが、先日「自傷の話」でも述べたように、自分自身の思考傾向を把握し矯正するというのは本当に時間と労力を要するものですぐに直ったりはしない。既に別れ話をしている時点でメンヘラと付き合うことに耐えられなかったのだから、この先何年と続く矯正作業に付き合うのは到底無理なので、潔くお断りするのをおすすめする。


さて、ここまではまだ可愛い(?)メンヘラちゃんとの別れ話だったが、相手のメンヘラが攻撃的な部分を持っている場合話は変わってくる。

境界性パーソナリティ障害というのは、他者に対して攻撃的な言動や行動をしてしまう、というのがひとつの症状としてある。これは個人差のあるもので、私はこのような他者への攻撃性はあまり無いのだが、人によっては激昂したときにひどい罵声をあびせたりだとか、最悪暴力行為にはしってしまう人もいる。「あなたを殺して私も死ぬ」タイプのメンヘラだ。この、大切な人に対して罵声をあびせたり実際に手を出すというのは私には理解できない。それこそ自ら嫌われる行為であると思うので。だが、いっそ殺すというのはわからなくはない。自分の大切な人が自分以外のどこにも行かないという絶対的安心感を得る事が出来るので、わからなくはない。その後どうするかとか、殺したら元も子もないじゃんとか、そういった事は今冷静な状態であれば想像はできるが、もしも自傷行為にはしる時のような大きな衝動に襲われたとしたらきっとそこまで頭は回らないと思う。殺して恋人を完全に自分のものにするのも悪くは無いが、現実的ではないのでまあ実行することはないだろう。想像することは大いにあるが。


ここまでメンヘラ自身が悩む問題と別れについて語ってきたが、いかがだっただろうか。フィクション、ノンフィクションに関わらずメンヘラとの恋愛でよく取り上げられるセリフなど引用してみたが、メンヘラがどのような考えでその言動、行動に至るのか少しでもわかっていただけたら幸いだ。

他にも書きたいこと考えたいことは山ほどあるのだが、かなり長くなってしまったので一旦締めようと思う。次回は恋愛においてメンヘラが受ける被害や、メンヘラと付き合うことであなたが受ける影響などについて書いていくつもりだ。

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