第4話 出会ウ

 深夜、ラナは空を見上げていた。

 細い猫の鉤爪のような月が心許なく空に浮かんでいた。


 古木の洞を抜けた先は川沿いの公園だった。

 遊歩道というよりランニングコース、お散歩コースとなっている道が続き、その途中にパンダやイルカの形をした前後に揺れる遊具やジャングルジム、ブランコに滑り台が点在し、ベンチが一定間隔で置かれている。

 ラナはそんなものを見るのは初めてだったし、車や飛行機、ビルなどの建物を見るのも初めてで、あの世ではないとは思ったが、だからといって隣国だとも思えなかった。

 全くの別世界。

 それが正しい認識だと森を出たことのないラナでもそう思った。


 だが、ここに皆がいるとは思えなかった。

 ロウと名乗った魔術師の男はラナのチョーカーを見て外せないと言った。

 その前にチョーカーがあるから森を出られないとあの時初めて気づいたような口振りだった。

 ラナよりも先に皆が逃げていたのだとしたら、呪いが解けないことは分かってたはず。

 それにそもそも男がラナを馬上に引き上げて一緒にあの場所に辿り着いたのだ。

 ラナより先に逃げていたら皆チョーカーをしたまま森を出たことになる。

 呪いを解かないまま森を出れば。


 それを考えるとラナはチョーカーに飾られた石を両手で包み込んで俯いた。


 と、その途端雨が降り始めた。

 ポツポツと降り始めた雨はすぐに土砂降りに変わり、ラナは慌てて屋根付きのベンチを見つけてそこに飛び込んだ。

 が、全身ずぶ濡れになってしまっていた。


 白いワンピースが体にピッタリと張り付き、銀糸のような髪からは雫がぽたぽたと零れた。

 左手でそっと髪を撫でる。

 編み込んだ髪に母が作ってくれたリボンが結んであった。

 それに触れて母を、家族を思い出す。


 と、そこへ少年が雨宿りしようとラナの隣に文字通り飛び込んで来た。

「あ……」

 鞄を傘代わりにしていた為か、雨宿りしてようやくラナに気づいた様子で固まった。

 銀髪碧眼の同じくらいの歳の美少女が目の前に突然現れたのだから、無理もない。

 ラナもこちらに来て初めて人と出会い、驚いた様子で固まった。

 少年の左足は包帯に巻かれ、右手には松葉杖とコンビニの袋を持っていた。

 それもラナには何かが分からず、特に松葉杖は武器のようにも見えた。


「……あ、アイ・アム……とおる。えーと、ハイスクール・スチューデント。で、えーと……ホ、ホウェア・アー・ユー・フロム?」

 授業で習った拙い英語で少年はそう自己紹介し、ラナにどこから来たのか訊こうとした。

 が、ラナは彼が何を言っているのか理解できず、余計に不信感を与える結果となった。

 ラナの怪訝な表情に少年、透はアメリカ人じゃないのか、と呟いて頭をガシガシと掻いた。

 ボンジュール、スパシーバ……と知ってる単語をボソボソと呟いてみるが、ラナの表情は曇っていく一方だった。

「銀髪ってどこの国だよっ」

 堪らずそう呟くと、レーテシア、との答えが返って来て思わず透はラナをじっと見つめた。


「なんだ、日本語分かるんだ……?」

「ニホンゴ?」

「今話してる言葉だよ」

「レーテシアの言葉でしょ?」

「え? レーテシアって日本語通じるの?」

 ラナには透が何を言っているのか理解できず、小首を傾げた。

 が、透もレーテシアという国名は初耳で同じく小首を傾げた。


 ぐうぅぅ。


 そこに響くお腹の音。

 それに透は笑った。

「プリンしかないけど喰う?」

「プリン?」

「俺、落ち込んだ時によく喰うんだ。甘いものってなんか落ち着くっていうか……俺、陸上の代表に選ばれたんだけどさ、こんなことになったからさ」

 そう言って透は左足に視線を落とした。

 ラナには何の話か分からなかったが、透が怪我をして落ち込んでいることは理解した。

「ま、高三だし最後だから未練といえば未練だけど……受験に専念しろって神様が言ってるのかなって思うことにした。で、明日から夏休みだし今日退部届出したんだ。でもなんか眠れなくて……で、落ち込んだ時の俺のプリン特効薬を買いにコンビニ行って来たとこ」

 そう言って透は屋根の下から空を覗き込み、まだ止みそうにない雨を恨めしそうに見上げた。


「ま、人生楽ありゃ苦もあるさって言うし、止まない雨はないとも言うしな。お蔭で第一志望に受かれば良しとするかってね。でも今回は俺のプリン特効薬を君にあげる。これ食べたら絶対元気出るからさ」

 ん、とコンビニの袋を突き出され、ラナはおずおずとそれを受け取った。


 そしてベンチに座って一口食べた瞬間、ラナの瞳から涙が零れ落ちた。

 プリンの味が母が作るシュクレというお菓子の味にそっくりだったからだ。

 そうとは知らず、ラナがなぜ泣き出したのか分からない透はどうしていいか分からず焦った。


「ご、ごめん……」

 反射的に謝る透にラナは首を横に振る。

 が、一度溢れ出した涙をそう簡単には止めることはできず、ラナ自身もコントロールできずに思わず声を上げて泣き出してしまった。


 溢れ出す感情に声。


 それは歌声にも似て、そしてラナは小鳥パクシーで。


 呪術師であるネグルと魔術師であるロウにもそれは届いてしまった。

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