囀る小鳥のいなくなった世界

紬 蒼

御伽噺と鳥籠

第1話 逃ゲル

 昔々、怪我をした旅人が迷い込んだ森の中で見たのは、銀髪碧眼の美しい精霊達だった。

 陽気で心優しい彼らが美しい歌声を披露すると、旅人の傷はたちどころに癒え、すっかり元気になった旅人は彼らに礼を言い、無事家に帰ることができた。

 後日、御礼の品を持って森へ向かったが、どうやっても彼らに出会うことはできなかった。


――――――――ヘシアの御伽噺『囀る人パラペガー』より


***


 漆黒の夜のとばりが降りたが、空は地上の篝火かがりびを受け、明るかった。


 レーテシア国の辺境に畑が広がる長閑な田舎の領地、ヘシアはある。

 戦争に真っ先に負けた国ではあるが、ここヘシアは特別だった。

 この何もない領地を巡って戦争が勃発し、そして今は隣国マジャブートの支配下にある。


 戦争の勝利を祝って隣国マジャブートではなく、ヘシア領主の小さな邸宅で花火が打ち上げられ、まさに酒池肉林の宴が開かれていた。

 歓声が上がり、笑い声が響き渡り、祝杯があちこちで挙げられた。


 そんな中、黒いローブを纏った男が一人、邸内に忍び込んでいた。

 彼の肩には夜の闇に同化する漆黒の翼を持つ鷹が一羽。

 彼らは邸内の片隅、馬場の隣に置かれた巨大な鳥籠を目指していた。

 鳥籠の中には銀髪に白い衣服を着た人々が座り込んで怯えていた。

 彼らの首には一様に黒いチョーカーが付けられている。

 男が物陰から囁くと、鳥籠の側で警護していた兵士がその場に崩れ落ち、眠り始めた。

 すると、男は一気に鳥籠に駆け寄り、その入口に手を触れ、再び何かを囁くと錠が外れた。


「聖地へ行けっ」


 男が鳥籠の入口を開けた途端、中にいた人々は男の肩から飛び立った鷹に先導され、一斉に外へと駆け出した。

 それに気づいた他の兵士達が怒号と共に一斉に追い始める。

 そして、男も隣の馬場から馬を一頭盗んで駆け出したが、先を走る人々が鷹の先導を無視し始めたのを見て男は作戦は失敗したと悟った。


 舌打ちをして、男は作戦を切り替える。

 全員は無理でも一人くらいは、と。


 男は最後尾を走っていた一五、六歳の少女の腕を捕まえ、馬上に引き上げて追手を撒くように蛇行しながら森へと駆け込んだ。

 花火が夜空を昼のように照らしても、鬱蒼と茂る森の奥までは届かない。

 それでも馬は怯むことなく、また迷うこともなく走った。


 程なくして森の奥深く、少し開けた場所に出た。

 そこは少女らにとって聖地であると同時に誰も近寄りたがらない『あの世』に通じる場所でもあった。

 その聖地には蔦に覆われた巨大な古木がある。

 そこで男は馬を降り、少女を降ろして古木の前に立った。


「大丈夫。向こうはあの世じゃない。みんなも向こうに逃げて君を待ってる」

 男は黒いローブのフードをすっぽりと被り、片手で古木のうろを示した。

 その際ローブが捲れ、男の腰に漆黒の鞘に収まる剣があるのがチラリと見えた。

 剣を持った見知らぬ男に怯える少女を落ち着かせるように、男は極力優しい声音で「大丈夫」と繰り返し、少女の頭を撫でた。

 洞は華奢な少女がやっと入れる程度で、しかも身を屈めないと入れないものだった。

 嫌がる少女を男は背後を気にしながらも優しく説得する。


「私はロウ・サフィード。白い炎と呼ばれる魔術師だ。森の民シルヴァを守る為に来た。だからどうか今はここから逃げてくれないか?」

森の民シルヴァ』という言葉に少女は男、ロウの顔を不思議そうに見上げた。

 彼女達をそう呼ぶ人はこの世界にはいない。

 かつて『囀る人パラペガー』という精霊だと思われていた。

 今は『小鳥パクシー』と呼ばれ、種族ではなくそういうとして扱われている。


「でも……」

 少女は俯いて首のチョーカーに触れる。

「ああ、そうか……血の呪いヴェル・ヴァルムがあったね」

 ロウは溜息を吐く。

 少女の首にあるチョーカーは黒いヴェルヴェットに赤い宝石のついたもので、国王の所有の証に小鳥パクシー達に付けられた、謂わば首輪のようなものだ。

 国の許可なく自力では外せず、無理に外そうとしたり国外へ出ると、呪いが発動して死ぬように作られている。


 ロウが少女にも聞き取れない小声で何かを呟くと、石の色は赤から青へと変わった。

「外してあげたいけど、今はこれで我慢してくれ。とても強力な魔術で、何の準備もなく簡単には外せないんだ」

「皆のも?」

「……君は賢いね。名前は?」

「……ラナ」

「ラナ。私の命に賭けて誓う。必ず君を守る」

 ロウは跪いて決意に満ちた目でそう伝えると、少女を再度古木の洞へと促し、少女を守るように背を向けた。

 追手の気配がしたからだ。


「早くっ!」

 ロウの鬼気迫る声に押されるように、少女は洞の中に駆け込んだ。

 その直後、姿を現した追手がロウを取り囲んだ。


小鳥パクシーはどこだっ」


 追手を見たロウはやれやれ、と溜息を吐く。

 ロウを取り囲んだのはこの地の領主と戦争に勝った隣国マジャブート軍の部隊だった。

「ヘシアの領主様はすっかり隣国マジャブートの犬って訳か。レーテシア人の誇りってもんはないのか?」

「この戦で真っ先に負けた弱小国の誇りなど……」

「そりゃ寄ってたかってリンチに遭ったんだ。こんな森しかない長閑な領地を巡ってな。馬鹿らしいと思わないか?」

「その森に小鳥パクシーがいなければな」

「そんなものは元からいない」

「何を言う? 鳥籠を開けて全て逃がしたくせに」

「誰一人あんたらの玩具にはさせない」

「数え方が違うぞ。一、だ」

 ニヤリと隣国マジャブート軍の部隊長が言うと、部隊に笑い声が響いた。


「探せっ」


 その号令と共に隊は散開し、森を荒らし始めた。

「もし小鳥パクシーが見つかったら、お前の首は飛ぶと思え。それが嫌なら今すぐ居場所を吐くことだな」

 隣国マジャブート軍の部隊長がそう吐き捨てるのをロウは嫌悪感に満ちた目で見、次いで空を仰いだ。


「鳥は空を飛ぶ。いつまでも森にいるとは限らないぞ。見つからなかったら……どうする?」

 ロウがそう隊長に視線を戻すと、彼は腰の剣をスラリと抜き放った。


「……とりあえず鳥を逃がしたお前を殺すだけだ」

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