第30話黒猫王子は月夜に笑う
「…………はぁ…」
窓の外の月を眺め、ため息をつく。
ここ最近、休みの日ともなると、これがすっかり習慣になってしまった。
『全て片付けたら、迎えに行くよ』
最後にそう言い残されたっきり、クロさんと会わなくなってちょうど一ヶ月。
戦争が終結した直後は、何度か状況の報告に来てくれてはいたが……
「……そりゃ、忙しいよね。国そのものに関わることだもの」
ルイス隊長率いるラザフォード第二部隊は、その名の通りロガンス帝国の中でも二番目に権威のある軍隊だったそうで。
だからこそ、条約の締結や被害状況の確認、支援部隊の派遣など、あれこれ指示を出したりで忙しいらしい。
わかっている。
『仕事と私、どっちが大事なの?』などという女はクソ喰らえだ。絶対にそうはなるまい。
だけど、寂しい。
シンプルに、寂しい。
だって、こんなに会えないことなどなかったのだ。
たった一時間の逢瀬だったけれど、それでも。
今となっては、お店の中で過ごしていた時間が、どれほど贅沢なものだったのだろうと思ってしまう。
「…………………」
ふと、西の方角を見る。
クロさんがいる、ロガンス帝国のある方だ。
初デートの最後に見た、キラキラと輝くロガンス城を思い出す。
あたしの部屋の窓からは見えないけれど。
「………なかなか迎えに来てくれないな、あたしの王子様は」
ぽつり、呟く。
まぁ、見た目は王子様でも、中身は悪の大魔王みたいな人だけどね。
なんて、言ったら怒られそうなことを考えている……と、
「──呼んだ?お姫さま」
そんな声がする。
今まさに、思い浮かべていた人の声がする。
まさか、と思い、暗い部屋の中を振り返る。
……が、そこには誰もいなかった。
はぁ……寂しすぎて、ついに幻聴まで聞こえ始めたか……
と、窓の方に向き直ると。
「やぁ」
「…………………っ?!」
人間、本当にびっくりすると声が出なくなるようで。
あたしは、無言の叫び声を上げて仰け反った。
窓の外、逆さまにぶら下がるようにしてこちらを見ていたのは……
紛れもない、クロさんその人であった。
「ちょ、ま、え……ここ、二階ですよ?!」
「うん。上のヴァネッサの部屋から降りて来たの」
「いや、いやいやいや。もっと普通に登場してくださいよ!!」
「え〜だって、この方が怪盗っぽいでしょ?」
「か……怪盗?」
「そう」
クロさんは軽やかに体を捻ると、タッと部屋に降り立ち、
「君を、奪いに来たからね」
にこっと笑ってから、静かに両手を広げる。
「さて、再会の挨拶はハグがいいかな?それとも、キス?」
なんて、悪戯っぽく尋ねてくるが。
そんなの、決まっている。
「………っ、どっちもです!」
その胸に飛び込み、唇を重ねた。
自分からするのは、初めてだったかもしれない。
けど、そんなことはどうでもいい。
あなたに触れたくて、たまらなかったのだから。
「…………寂しかったでしょ」
唇を離し、彼が言う。
ここで『寂しかった?』と聞かないのがクロさんのクロさんたる所以である。
疑問ではなく、断定なのだ。
「…………クロさんだって」
あたしも真似して返してみるが、駄目だ。声に自信のなさが出てしまっている。
それを悟られたのか、クロさんは「あはは」と笑ってから、
「そうかも。だから、急いで迎えに来た」
「え……?」
「下を見て」
彼に促され、窓から見下ろす。
するとそこには、ロガンス帝国の紋章が入った豪華絢爛な馬車が停まっていた。
「あれに乗って行くよ」
「え?どこに?」
「ロガンス帝国」
「いつ?」
「今から」
「今から?!」
そんな、いくらなんでも急すぎる。
いつ声がかかってもいいように、荷物はまとめてあったが……
ローザさんやヴァネッサさん、お店のみんなに、きちんとお別れも言えていない。
近々クロさんについていくことは、伝えていたけれど。
「大丈夫だから。とりあえず、下に降りて」
「荷物これだけ?」と確認もそこそこにあたしの鞄を持ち、強引に腕を引くクロさん。
戸惑いながら、引かれるがままに階段を降りると……
「あ………」
ローザさん、ヴァネッサさん、お店のみんな、それに顔なじみのお客さんまでもが、そこに並んでいた。
「みんな……どうして……」
「そのがきんちょに言われてな。今日、レンを連れて行くって」
「突然だからびっくりしたけど…クロちゃんらしいわね」
あたしの問いに、ローザさんとヴァネッサさんが答える。
時刻は午後十時。お店は営業中だ。
それなのにみんな、わざわざあたしのために……
「本当に……行くんだな」
一歩近づいて、ローザさんが言う。
その綺麗な顔が、見たこともないくらいに寂しそうで。
「……うん。あたし、ローザさんにはすごくお世話になったのに、なに一つ、恩返しできなかった……ごめんなさい」
「馬鹿。こういう時はな、『ありがとう』って言うんだよ!」
ばんっ!と背中を叩かれ、見上げた彼女の顔は。
涙を浮かべながらも、眩しいくらいの笑顔だった。
それから、ローザさんの横で既に号泣しているヴァネッサさんを見上げて、
「ヴァネッサさん。本当にお世話になりました。危険なのを承知の上で、あたしを保護してくれて……感謝してもしきれません。ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げると、ヴァネッサさんは涙を拭って、
「……あなたは強い娘だわ。だから、どこへ行っても大丈夫。自分の幸せを信じて、真っ直ぐに進みなさい」
「ヴァネッサさん………」
「ここは、あなたの実家よ。クロちゃんに泣かされたら、いつでも帰っていらっしゃい」
「………………」
その言葉に。
堪えていた涙が、ついに溢れた。
そんなあたしを、ローザさんは優しく抱きしめて、
「そういうことだから。たまには顔見せろよな。そんで、一生懸けてあたしに恩を返しな!じゃないと……姉ちゃん、寂しくて死んじゃうんだからな」
「………うん。約束。絶対に、帰ってくる」
涙で濡れた顔を見合わせて、あたしたちは、笑った。
「みなさんも……短い間でしたが、本当にありがとうございました。ここで働けて、幸せでした。ずっと一人ぼっちだったあたしの……家族になってもらえて、嬉しかった」
「何言ってんのよ。家族はずうっと家族。これからも、離れていても、ね」
そう言ってもらえて、また涙が溢れる。
と、その横でローザさんがクロさんの前にずいっと立ち、
「……レンを泣かせたら殺すからな、がきんちょ」
腕を組みながら、言い放つ。
自分より背の高いローザさんを見上げるような格好で、しかしクロさんは、
「──泣かせるよ。悲しませるし、傷つけることもある。けど、絶対に離さない」
口元に笑みを浮かべながら、真っ直ぐにそう言った。
それにローザさんは、「けっ」と顔を逸らして、
「あたし、やっぱお前嫌いだわ」
きっぱりと、宣言した。
「行ってきます、母さん」
夜空の星に、そう呟いて。
あたしは、クロさんと共に馬車に乗り込む。
ベラムーンの街から一直線に伸びる街道。この先には、あのロガンス帝国がある。
ルイス隊長やみんなが住まう、あの国が。
「それじゃあ、行ってきます!みんな、どうかお元気で!」
窓から身を乗り出し、ローザさんたちに手を振る。
同時に御者が鞭をしならせ、馬車が動き出した。
あたしとローザさんたちは、お互いの姿が見えなくなるまで。
最後の最後まで、手を振り続けた。
「……見えなくなっちゃった」
「いつでも会いに来れるよ。戦争終わったんだし」
「……そうですね」
ガタゴト揺れる馬車の中。
クロさんと二人きりで、隣り合わせに座る。
後ろに流れていく街の景色を見つめながら、この半年間の出来事に思いを巡らせた。
あの街で、死ぬはずだった。
自分のものとも他人のものともわからぬ、真っ赤な血に染まったまま。
だけど、ルイス隊長に救われた。
あの隊のみんなに、心まであたためてもらった。
ヴァネッサさんやローザさんのいる、あの店に預けられてからは。
楽しいことも、困ったことも、なんでも分かち合える家族ができて。
そして。
クロさんに、出逢った。
最初は、本当にただの『嫌な奴』だった。
なのに。
いつの間にか、『好きな人』になっていた。
いじわるで。わがままで。強引で。
だけど、笑顔がすごく、可愛い人。
あたしの全てを、奪った人。
そんな王子様が、迎えに来た。
馬車に乗って。月夜の晩に。
なんだかおとぎ話のようだ。
あたしは、お姫さまでもなんでもないけれど。
でもきっと、本物のお姫さまより。
今のあたしの方が、幸せだ。
「……ところで、ロガンスに行くと言っても、具体的にはどこへ向かうのですか?」
とりあえず、どこかの宿?それとも……クロさんのお家?
少しドキドキしながら尋ねると、クロさんは頭の後ろに手を組んで、
「ロガンス城」
「……は?」
「だから。お城だよ、お城。前に見せたでしょ?僕の仕事場兼住居なの。国お抱えの研究者だからね。言ってなかったっけ?」
「き、聞いてないですよ!」
「てゆうか、君も一緒に住むんだからね」
「へ?!」
「当たり前でしょ。君はこれから一生、あの城で僕の専属メイドとして働いてもらうんだから」
せ、専属メイド……
立場に疑問は残るものの、本物のお城に住むなんて……
いよいよ、おとぎ話じみてきた。
夢だったりしないよね?
と、無言で頬をつねるあたしを見て。
「……目を覚ましたいのなら、いくらでも起こしてあげるよ。王子様のキスで」
顔を覗き込み、いたずらな笑顔を向けてくる。
いつ見ても、何度見てもドキドキしてしまう、ずるい笑顔。
だからあたしも、負けじとこう返す。
「……そんなこと言って、実はクロさんがしたいだけだったりして」
「そうだよ」
「え?」
ぐっ、と顔を近づけ、迫られる。
彼の妖艶な笑みが月明かりに照らされ、一層妖しげに映る。
「一ヶ月分のロス、城に着くまでに取り戻すから…………覚悟しておいてね?」
「…………………………」
そしてそのまま、静かに押し倒され。
あたしはそっと、その甘い感覚に、身を委ねた──
「……言い忘れてた」
「…………なにを?」
「……僕は、赤い色が好き。
………………君の、色だからだよ」
-完-
黒猫王子は月夜に笑う 河津田 眞紀 @m_kawatsuta
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