最後の魔法使いはお隣さん

話園アミ

第1話 魔法は魔法を呼ぶ

「ああ、大変失礼しました。ぼ、僕はこういう者です」

 名前、真軸終利(なんて読むの?まじくおわり?)

 職業、魔法使い。

 名刺にはそれだけ記されていた。

「……またかあ」

「え?」

「あ、ううん。何でもないよ、続けて」

「は、はい……ええと、僕、魔法使いなんですが」

「うん」

「今日からお隣になります、お世話になります」

 星見塔町、駅前から十分のアパート。くじら座荘、二階。そこに妙な大量の荷物と一緒にやってきた隣人はそう言って控えめに微笑んだ。黒い髪に、緑の不思議な光彩がある黒い瞳。特徴はアジア人人種の顔立ちでありながら、儚げで整ったその可憐とすら言えそうな美貌。長い睫毛。

 ごく普通のOLである私は、目の前の美貌に圧倒されながらこくこくと頷く。

 えーと、なんだ、考えが追いつかない。この美少年が魔法使いで……それで?

 というか、現代のこの時代に。AIだとか科学だとか言っている時代に魔法使い?マジシャン見習いとかだろうか。魔法使いという自称もおかしくはないし。実際に魔法使いだったらとっても素敵な事ではあるけども!

「ええと、はい、ご丁寧にありがとうございます」ああ悲しきかな、会社で身につき過ぎた四十五度の礼。「私は花崎明といいます、OLやってます。よろしくね」

 彼はぱっと嬉しそうに笑う。そうやって笑うと幼げな顔が際立って、ああ、やっぱり年下なんだろうなあと思ってしまう。

「魔法使いって言って頭から否定されなかったの初めてです……!」

「だろうね……」

「えっと、ぼ、僕はとある場所から派遣された魔法使い見習いで……その、この町の『不思議なもの』を回収するためにやってきて……」

 ん?

「この町、数年前の流星雨の時期から不思議なことが増えてるのは……その、お、お姉さんも、知ってますよね?」

「あ、はい」

 ん?

「オカルトの町、星見塔なんて話もありますし……それで、僕……僕ら魔法使いは、さすがに放っておけなくて、この町にある不思議を回収しようと」

 ………。

「お姉さん、聞いてます?」

「あっ、ああ、聞いてます聞いてます!」

 私は慌てて頷いてから、自分の部屋を思い浮かべた。

 強く決意をする。絶対に、絶対にこの隣人を、私の部屋に入れてはいけない。

 絶対にだ。

 ごく普通のOLにでも、この星見塔では秘密ができてしまう。ここはきっとそういう町なんだ、と自分を納得させながら。


 ……本当は、私のお節介癖のせいだろうなあ、なんて思いながら。




 回想。二日前。

 私の務める株式会社スターリービューの定時は早い。午後五時きっかりには定時になるし、その後私は一時間ほど残業をしてから帰路に着く。

「花崎さん、頼んだ仕事は終わった?」

「矢沢さん!はい、終わりました!」

「花崎さんがいるといつも助かるわ、お仕事は早いし、返事は元気で気持ちがいいし。本当にありがとうね」

「いえいえ!」

「それじゃあ、帰ってくれて構わないわよ。明日もアプリ開発、頑張りましょうね」

 黒髪を結い上げて、ちょっとした後れ毛がセクシーな矢沢先輩。一年前にこの会社に就職した時から憧れの先輩に褒められて、私はぐっと心の中でガッツポーズした。

 口元に泣きぼくろ、妖艶な雰囲気の先輩に褒められたら心臓がどきどきしてしまうの、男の人ではないけどとても分かる。

「じゃあ、お先に失礼します、お疲れ様でした-!」

 まだ後片付けをしている同期や先輩たちを置いて、晴れやかな気分で外に出る。空はきらきらと澄み渡って、夕焼け空の下でもきらめく星が綺麗だ。

 ここ星見塔町は、昔からよく流星雨が観察できる空の広い町だ。

 現代においても背の高いビルはほとんどなく、見晴らしがいい。就職してこの町に引っ越してきて、最初に感じたのは空の広さだった。私が生まれてから暮らしてきた県庁所在地とは全く違う、田舎に近い町特有の星空。

 今私が開発しているのは星空を眺められるアプリで、星空なんて架空のものからイラストまでよく眺めているのだけれど、それでもこの空は見飽きない。

 歩いて帰る時には常に上を眺めている。


 おかしなものが現れない限りは。

 ゴミ捨て場で捨てられたぬいぐるみが震えていた。

「……またかあ」

 ぬいぐるみのつぶらな瞳がこちらを見てくる。今日は古き良きテディベアのぬいぐるみだ、どこかの有名メーカーのキャラクターだったはず。テディベアは、体をふるふる震わせてゴミ捨て場から出てくる。私の足にぎゅっと抱きついてくる。

 数年前、この町に不思議な流星雨が降った。その後から、この町には妙なものが少しずつ溢れるようになった。曰く、動くぬいぐるみ。曰く、人の消失事件。曰く、ダイアに乗ってない電車。今ではオカルトの町星見塔なんて言われて、マスコミやそれ目当ての観光客がやってくる始末だ。最もそれらのものは、ほとんどの人の前には姿を直接現さない。私のような運の悪い被害者が何度も遭遇するだけで。

「あのね、私の家はアパートなの、ペットは禁止だから着いてきちゃだめだからね」

 テディベアに話しかける25歳のOL。近くで誰かに見られたら恥ずかしくて憤死しそう。 ぬいぐるみはきゅうきゅうと鳴いて私の足に更にぎゅっとくっついた。見上げてくる瞳の愛くるしさ。

「……。ああもう!分かった、分かったから!」

 私は溜息をついてぬいぐるみを抱き上げた。女の子なら、否、男の子でも、小さい頃にお気に入りのおもちゃと遊んだ経験があると思う。家族に見立てて食事をさせたり、一緒にお風呂に入ったり、いろいろと。

 そんな時代の記憶を持ってして、これはちょっと振り切るにはつらいものがある。

 だってどうしても考えちゃう。

 私が拾わなかったらこの子はどうなっちゃうのかなとか。このまますり切れて汚れたまま泣きながら壊れていくのかなとか。

「一緒にいこ、家に帰ったらお風呂に入れてあげるからね」

 薄汚れたぬいぐるみを抱き上げて話しかけるOLを目撃したサラリーマンたちが、変な顔をして逃げていく。

 私はもう一度溜息をついて、それからちょっとだけ苦笑してぬいぐるみを抱き直す。

 いいんだ、別に。人になんて思われたって、私は私のやりたいことをやりたいようにする。


「ただいまあ」

 声をかけても答えてくれる人はいない。暗い部屋の電気を点けて、荷物を置いて。

 仕事から帰ってくるとちょっと体は重いけど、今日は新しいぬいぐるみというお客さんがいるからのんびりする前にやることがある。

 私はオフィスカジュアルなブラウスの袖を捲り上げてから、ネットでぬいぐるみの洗濯の仕方を検索する。ちょっとばかりつながりの悪い電波にいらいらしながら待って、幾つも出てくる選択肢の中の一つを選んでタップ。

 ぬいぐるみは相変わらず私の足に抱きついてきゅうきゅう言っていて、不安を感じているようだ。そっと頭を撫でてやると、伝わってくる柔らかい感覚。まだ新しい生地、買われて直ぐに捨てられてしまったんだろうか。

「大丈夫だからねー、よしよし」

 よいしょ、と抱き上げてぬいぐるみを風呂場に連れて行く。

 ペットでも洗うように盥に入れてぎゅっぎゅともみ洗いすると、くすぐったがるようにころころ笑い声を上げるテディベア。じたばた、手足を振り回してほわんほわんとシャボン玉をまき散らす様はまるでクレイアニメみたいだ。

 一通り洗ってやって、水で流す。

 耳を洗濯ばさみで挟むのはちょっと可哀想に思えたので、水をよく切ってから部屋の中の小さな角ハンガーに引っかけておいた。これで大体完了。

「よーし、明日には水も乾いて元気になってるからね!柔軟剤もたっぷり使ったから!」

 そう言った私は、次の瞬間もっふりしたものに包まれてまとわりつかれた。

 ここで注意書きをしておくけれど、私に彼氏やら同居人やらはいない。

 抱きついてきたのはコート掛けに掛けて今日出かけていってしまったままのコート。

 それから、今日はたたまずに部屋を出てしまったピンク色の毛布。

 どれもこれも、流星雨の後に買って家に持ってきたら動き出したものたちだ。


 しゅんしゅん、と湯が沸く音がする。何もしてないのにヤカンで茶が沸く。

 鍋はスープを作り、私が座ろうとするとソファが飛んでくる。

 まるで魔法の家だ。捨てられてしょんぼりとしていたものをあれこれ拾ったり、気味が悪いと処分されそうになったものを引き取ったりしていたらこの有様になっていた。ちょっとしたポルターガイスト屋敷ならぬ部屋である。

 私のお節介がここに極まれりといった感じだ。お陰で部屋は片付かず、勝手に物たちが自分の居場所を決めて収まる事で片付いたように見えているという始末。

「あーーあーー、わかったわかった、寂しかったね、うんうん。今朝は寝坊しちゃったからちゃんとたたんであげられなかったし、コートも放置しっぱなしでごめんね」

 嬉しそうに毛布がまとわりついてくるのを剥がして畳む。

 コートをコート掛けに掛けて撫でてやる。

 これが、私の日常。


 ごく普通の、ちょっぴりお節介なだけのOLの。

 ちょっとだけ普通ではない、魔法にかかったような毎日だ。



 回想終了。

 私は目の前にいる自称魔法使いを眺めた。

 万が一にでも私の家の日常をばらすわけにはいかない。あの子たちに何かあったらと思ってしまう、全てがただのモノでも。自分でもちょっとおかしいのは自覚しているんだけれども。

「あの、一つ聞いてもいいかな?」

「はい、なんでしょう」

「不思議なモノが見つかったら、どうするの?」

「ええと……そうですね、見習いの僕自身の権限が発動できるのは一度だけなので、大体は大婆様の判断を仰ぐ事になるかと。」

 大婆様と来たか。魔法使いとなると時間の流れが違ってたりするんだろうか、年齢がものすごく行ってたりとか。

 いや、でも今重要なのはそこじゃない。私の家に逃げ込んできた子たちを果たして私の家にとどめておく方が幸せなのか、彼に渡した方が幸せなのか。その見極めだ。まあ、大体の場合はそういうものは……

「大体の場合は処分だと思いますけどね」

 形のいい唇から飛び出した言葉に、私は口を噤んだ。言ってはいけない。

 あの子たちをなんとしてでも、この美少年から守り切らねば。

「しょ、処分?」

「そうですよ。数年前の流星雨からどんな力を受けたか分からないものが、人にどんな影響を及ぼすか分からないので……その、し、心配ですし」

 ちょっと眉を下げて言う様はとても可愛らしい。

 困っている様を見るとつい助けてあげたくなってしまうような独特のオーラ……。だが、私は必死で助けてあげたくなるのを自制した。今までこのお節介でいろんなものを拾ってしまった、ここでまたお節介をする事であの子たちがスクラップにされるような事になったらどんな顔をしたらいいか分からない!

「あの、お姉さん?」

「はい!」

「さっきから百面相してますけど……何か心当たりが?」

「い、いえ、何も!」

 なんとか話題を逸らさないと!

「あ、あとね、さっきからお姉さんって呼ばれてるけど、私の名前は花崎明。花崎さんでも、明さんでも好きに呼んでね。お姉さんって呼ばれるのに違和感があるわけじゃないけど……もう25なわけだし」

「じゃあ……明さん。僕の名前は真軸終利です、まじく、でも、おわり、でもお好きに。あと、」

 彼は困ったようにまた眉を下げて笑った後に、私を見上げた。

 五センチくらい彼の方が背が低いので、どうしてもそういった形になる。

 白皙の美少年は微笑んだ。

「僕、こう見えて26なので……お姉さんじゃなくて、お嬢さんでしたね」

「えっ」

 にじゅうろく。

 その見た目で?

「ど、どんなアンチエイジングしてるの……?」

「魔法使いなので」

「十六位に見えるんだけど……」

「魔法使いなので」

「私も魔法使いになりたい」

「それは……僕のお嫁さんになってくれる人なら魔術の秘技をお教えしますけど……」

 なんかすごい話題が飛び出してきたぞ。

「それは難しいかな!」

「ふふ、ですよねえ」

 控えめに笑う様がすごく可愛い。年上好みなのにきゅんとしてしまいそうだ。


 そう思っているうちに、彼は指先からぽんと薄桃色の花を取り出して私の目の前についと出して見せた。

「それじゃあ、とりあえずこれをお近づきの印に」

「あ、ありがとう……今のどうやって出したの?」

「魔法です」

「手品に見えたけど」

「魔法です」

「はい」

 押し切られた。

 彼は微笑んでそっと花を差し出す。私はそれを摘まんで薄桃色の花の香りを吸い込んでみた。

「今日からお隣さんとして、よろしくお願いします、明さん」

「ええ、よろしくね、終利くん……さん?」


 こうして、魔法使いは私の隣人となった。

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