エピローグ
とある中学校のお化け騒動
「あ、半田先生」
何事か、と生徒たちに問う前に、女子生徒のひとりが彼に気がついて声をかけてきた。それと同時に、生徒たちのほとんどが圭司に目を向ける。
「何があったの?」
「お化けが出たんです」
――お化け?
よくよく観察してみると、生徒たちの中には――特に女子生徒たちは、手を取り合って、今にも泣き出しそうな顔面だ。
「とりあえず席につきなさい」
「先生! 本当なんですよ」
「分かったから……」
ちょうど始業ベルが鳴り終わる。生徒たちも皆、渋々自分たちの席に着いた。
圭司も教壇に立つ。
「それで? 何が起きたの?」
「窓に手形が着いていたんです」
圭司の質問に生徒を代表して答えたのは、学級でもまとめ役であった
「手形?」
「はい……」
「誰かが着けたんじゃなくて?」
「いえ、それが内側からではなくて外側から着いているんです」
この「三年二組」の教室は三階にある。
なるほど。外側から手形が着くのは確かにおかしい。
「いつ気がついたの?」
「今朝です。高山くんが見つけました」
高山は窓際の席に座る男子生徒だ。目立った素行はしない、一言でいうとおとなしい性格だった。
「分かった。先生も調べてみます」
圭司はそれだけ告げると、早速教科書を開いた。平井はそんな呆気ない教師の態度を見て、さらに目を大きくした。
「信じてないんですか?」
「信じてるとも」
「なら、もっと心配しても良いじゃないですか!」
「心配もしています。だから調べるといってるじゃないか」
客観的に見たら、生徒たちの懇願を一蹴するような悪い教師なのだろうか、と圭司は考えてみた。あの日、自分を叱った教師のように。
そして、圭司は平井ではなく、夏休み前の真っ白な窓外を見た。
人生とはわからないものだ。
あれだけ苦手だった社会の科目も、高校に進学して面白くてユニークな歴史マニアの教室と出会ったおかげで、大学では「歴史」を専攻するようになった。そして教員免許を取得し、圭司は地元に戻ってきたのだ。母校ではなく、いつの日かバスの中から眺めた田んぼに囲まれた中学校ではあるけれど。
平井は少しだけ圭司を睨み付けた後、諦めたかのように乱暴に教科書を取り出した。
それで良い、と圭司は心の中で呟く。
君たちにとっても、お化けにとっても。
「先生もお化けくらいみたことはある」
平井を含めて、ほとんどの生徒が「え?」とどよめいた。そんな中で、圭司は廊下側の席に座る男子生徒をチラと見る。
彼がこのやりとりの最中に、他の生徒たちとも圭司とも顔を合わせずに罰が悪そうに顔を俯いていたに、圭司はとっくに気がついていた。
真面目なその男子生徒にも、きっと何か秘密があるのだろう。今度、それとなく聞いてみよう。
そう思いながらも、再びどよめき出した生徒たちに圭司は背中を向けて、ようやくチョークを手に取った。
◯
職員室に平井を含めた数人の女子生徒が訪ねて来たのは、圭司が放課後の西日を浴びながら、一人で運動部たちの掛け声を聞いている最中のことだった。
「今日のお化けのことなんですけど……」
「窓の手形のこと?」
「いいえ。その……先生はお化けを見たことがあるって言いましたよね?」
平井の後ろに隠れるようにして立つ生徒の中には、目をキラキラさせている者もいた。
「その話が聞きたいの?」
「興味は……あります」
この中学校にサッカー部はなかった。グラウンドも狭く、野球部と陸上部が交互に練習をしているのだ。
「良いじゃん、先生! 教えてくださいよ」
平井の後ろからヤジが飛ぶ。
コラコラ、と平井は後ろの女子生徒を制止しながらも、彼女自身の目も好奇心でいっぱいだった。
圭司は心の底でため息をつく。
どうしてあんなこと言ってしまったのだろうか。
「とりあえず座ったら?」
圭司に促されて、平井たちは近くにあった教員用の椅子に座った。
「別に怖くないよ」
「いいですよ。そっちの方が現実味がありますから」
はぁ、と今度は口に出してため息をついた。
「あれは、先生が君たちにと同じ中学生のときだった」
そして、圭司はポツリポツリと語り出す。
お化けから数学の宿題ノートにメッセージがあったこと。それを調べ始めて、色々なことが起きたこと。もちろん脚色はしてある。今では小学生のときのあの先生の気持ちもわかる。教師は威厳が大切なのだ。
やがて、お化けの正体が分かった場面になると、目をキラキラさせていた生徒たちも、暗い顔になっていた。
「それで、その後はどうなったのですか?」
「さあね。それ以来、そのお化けからは何も返事がないから」
これも嘘だ。
小屋で真相を見つけたあと、圭司は家族にすべてを打ち明けようとした。しかし、まだ幼い中学生には大きすぎる秘め事を上手く説明できるほど、あの時の圭司は大人ではなかった。
それでも、両親は驚いた顔をして、圭司を抱きしめ、そして泣いていた。
「でも、家族は変わったよ。ひとつ、父と母は喧嘩をしなくなったし、もう子どもじゃないのにお菓子もくれるようになったっけ。あとは、元の実家に引っ越した。お祖母ちゃんとお母さんの喧嘩は続いたけれど、それから暫くしてお祖母ちゃんが死んだ後は、なんだか寂しくなったと母は愚痴をこぼしていたね」
変わったのは他にもある。しょうちゃんが高校ではサッカー部に入らず、放送部に入ったこと。今では東京という大都会で、芝居の修行をしているのだとか。
「ねぇ、それって本当にお兄さん……だったのですか?」
ぼんやりしている圭司に、平井が聞いた。
「君はどう思う?」
「えっと……」
「お化けはいつも気まぐれなんだ。正体を知ったところで、僕たちには何もできない。だから、今日の手形事件もそっとしておこう。いざとなれば、向こうからまた声をかけてくれるから」
職員室はひどくどんよりとした雰囲気になってしまった。きっと、身も凍るようなホラーを期待していたのだろう。
そんな彼女たちを見て、圭司は思わず笑みをこぼしてしまった。
「さあ、君たちももう帰りなさい。先生は抜き打ちテストを作るのに忙しいんだ」
「えー! テストがあるんですか?」
「どこから出るかは教えないよ。抜き打ちなんだから」
「でも、それを言ったらダメじゃないですか」
生徒たちにも笑顔が戻った。
「まぁがんばりなさい。受験生なんだから」
はーい! と言って、平井たちは職員室を後にした。
再び、ひとりぼっちになった圭司。西日もだいぶと傾いたから、圭司は机のスタンドライトを灯した。
野球部たちの元気の良い掛け声がグラウンドから聞こえてきた。
かっ飛ばせー! かっ飛ばせー!
実を言うと、一度だけお化けから返事を来たことがある。高校生の初めての夏休みにもらった数学の宿題に「怒ってる?」と書いたら、一度だけ「うん」と帰ってきた。
そりゃそうだ。自分を見放してまで手にいれた生活を、半田一家はまたしても不幸にしようとしていたのだから。
圭司も心身ともに成長した。だからこそ、あの日のことも、こうやって客観的に上手く整理して話すことも出来た。
お化けが人間に接触するには、何か理由がある。この世に残した怨みや未練がお化けになる。だからこそ、自分たちは精一杯生きないといけない。死んでしまったお化けの代わりに、彼らに構っている暇がないほど、頑張って歯を食い縛って、真っ直ぐに生きないといけないのだ。
(了)
子鬼のつぶやき 和団子 @nigita
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