第5話 戦争のお話②

 おばあちゃんの家には、ガラスの窓がついている棚がある。下は普通の棚だけど、上はガラスの窓が付いていて、そこには人形と古い写真が飾られている。


 古い写真は数枚あり、一つはおそらくおばあちゃんのお母さんの写真で、あと二枚は男の人の写真。


 そのうちの一人は軍服を着用しており、第二次世界大戦の頃の写真だと分かる。


 今回はその軍服の男の話を、ほんの少しだけ語りましょう。





 まず、おばあちゃんの話をしましょう。


 おばあちゃんは前回お話した、私の祖父・憲一郎の妻です。90歳近いですが、大好きな畑仕事を毎日して、気が向いたら他の姉妹のところや娘息子のところまで遊びに行ったりと、元気なおあばあちゃんです。私の家とおばあちゃんの家は近くということもあり、ちょくちょく来ます。


 さて、先程お話した軍服の男のお話をしましょう。


 その人は、おばあちゃんのお兄さんであり、第二次世界大戦で命を落としました。


 お兄さんの名前は知りません。主に母から聞いた話なので、その人について話すときはおばあちゃんのお兄さんって言っているので、今回は仮名を使わず、お兄さんと明記します。


 尚、これは母から聞いた話だけですので、かなり短いです。予めご了承くださいませ。


 前回、おばあちゃんの弟妹は九人いた、と語りましたが、そのおばあちゃんこそ今回語るおばあちゃんのことです。


 おばあちゃんは男女含めて九人いて、そのお兄さん以外にもお兄さんがいましたが、曰く「ろくなものじゃなかった」と一言で済ませるほどろくなものじゃなかったようです。


 ですが、お兄さんはそうではなかったらしく、兄弟の中で一番まともな人で良い兄だったそうで、おばあちゃんも懐いていたみたいです。


 他にも亡くなっている兄弟がいる中で、写真を飾り、身体が重くなるまで毎年、命日には鹿児島に行き、お参りするくらい、おばあちゃんにとって大好きなお兄さんだったのでしょう。


 そんなお兄さんは、特攻隊に選ばれました。


 特攻隊。特別攻撃隊の略称。曰く、勇敢な若者たちが集められ、その名の通り、戦陣を切って敵に突撃する部隊のこと、と母は語っていました。


 曰く、映画になったほど、とのことですが、本当なのか、映画の題名はなんなのか分かりません。たしかに悲劇だなとは思います。


 お兄さんの命日に鹿児島へお参りに行く。


 それは覚えていたので、あとで調べたのですが、どうやらお兄さんが亡くなったのは、沖縄戦にて爆弾を取り付けた飛行機に乗って、敵の戦艦に突っ込むという作戦が実行されて、それによって命を落とした人たちの遺品を集めた会館があるようです。


 戦国時代にも、たしかそういう役割があったなぁ、と思ったり。


 おそらく、お兄さんが亡くなったのはこれのことなのでしょう。


 遺体は帰っていないっぽいから、海の底で眠っているんだなぁ、とちょっと寂しい気持ちになります。


 おじいちゃんのこと、おばあちゃんのこと、戦争のことを聞いて、私にとって戦争というものは遠いことのような感じなのですが、おじいちゃんとおばあちゃんを通して、たしかに繋がっていて、爪痕は感じなくても、たしかにそこにあって、戦争は案外身近なのかもしれない、と感じました。


 おばあちゃんはそこら辺を歩き回るほど元気ですが、鹿児島に行くほどの体力がなくなったので、今は鹿児島に行っていません。


 でも、私がいつか鹿児島に行ったとき、例の会館に行ってみたいな、と思ったのでした。

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あるがまま、なすがままに 空廼紡 @tumgi-sorano

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