第4話 戦争のお話①

 これは、私のおじいちゃんとそのお姉ちゃんのお話です。おじいちゃんは亡くなったので、母から聞いた話になりますが、こういうことがあったんだ、と心の片隅にそっと置いてくれたら、と思います。


 第二次世界大戦の終盤、その頃は五人兄弟とかとにかく兄弟が多いのが当たり前だった時代だったようです。(例:私のおばあちゃん、九人兄弟)


 でも、私のおじいちゃんにはお姉さん一人しかいませんでした。当時では珍しいことらしかったです。


 名前は……千代子とでもしましょう。私のおじいちゃんは、憲一郎(仮名)で。


 二人しかいない姉弟。二人は仲が良く、「憲一郎」「姉ちゃん」と互いを呼び合い、千代子さんはおじいちゃんを可愛がり、おじいちゃんは千代子さんのことを慕っていたようです。


 余談ですが、その千代子さん。元々看護婦みたいな仕事をしていたらしく、診療所で働いていたそうです。


 そのとき、闘牛かなんだか忘れましたがとりあえず牛の角が腕に貫通しちゃって、運び込まれた患者さんがいたそうです。


 医者もドン引きするような大怪我だったらしいのですが、千代子さんは何も言わず、すぐに患者さんの腕から牛の角を「ふんぬっ!」と抜け取り、黙々と治療をしたそうです。千代子さん、マジ強い。


 話は戻りまして、おじいちゃん姉弟はとても仲が良かったのですが、その頃は第二次世界大戦の最中。おじいちゃんは例に漏れず、徴兵に出されました。


 戦争に駆り出されたとは聞いたことはないのですが、割と最後まで支給された刀を持っていたそうです。余談その2。


 千代子さんは家族とともに、おじいちゃんの無事を祈りました。


 おじいちゃんが派遣された先は、広島でした。


 そして、1945年8月6日。広島に原爆が投下されました。そう、そのとき、おじいちゃんは広島にいたのです。


 広島に原爆が落とされ、犠牲になった人の数は役35万人。正確な犠牲者の数は、現在でも分かっていないようです。


 もちろん、当時は大きなニュースとなったのでしょう。田舎だったおじいちゃんの実家にも報せが届いたくらいに。


 その報せを聞いたおじいちゃんと千代子さんの母親でもあり、私のひいおばあちゃんは毎日、袖を濡らしたようです。


 おじいちゃんが生きている。その希望は欠片もなく、おじいちゃんの実家は絶望に包まれていました。


 だが、しかし!


 毎日泣き崩れるひいおばあちゃんの背中を見て、千代子さんはある決心をしました。


 その決心をひいおじいちゃんに話しました。



「お父さん、憲一郎を探しに行くよ」



 と、多分こういう感じで千代子さんはひいおじいちゃんを引き連れて、広島に旅立ちました。


 餅などの携帯食、お金、そしておじいちゃんの写真を持って。


 広島に着いて、千代子さんとひいおじいちゃんはおじいちゃんを探し続けました。


 焼け野原になった広島を彷徨い、道行く人に、おじいちゃんの写真を見せ、名前とどこの部隊に所属していたのか、を説明しながら聞いて回っていたようです。


 所属部隊を言ったのは、足取りを掴むためだったとか。たとえ顔を覚えていなくても、部隊の名前を言ったら心当たりがあるかもしれませんから。


 その旅は過酷だったでしょう。疲弊しきった広島の人々の顔を一人一人見て、おじいちゃんを探す。困難だったし、辛かったでしょう。


 おじいちゃんかと思ったら、違う人で落胆したこともあったでしょう。


 道で死んでいる人の顔を見て、おじいちゃんじゃなくてホッとしたことでしょう。


 一縷の可能性を見つけても、結局おじいちゃんはいなくて突き落とされたでしょう。


 原爆を落とされても、生きている人がいる。その中に弟がいるかもしれない。どうか、生きてほしい。会いたい。


 おじいちゃんが生きているかも分からない。その中で、二人は道がない道を歩み続けたのでしょう。


 常に絶望と背中合わせで、遠くに希望を掲げて。


 そして、ついに二人はおじいちゃんを見つけました。


 元々は駅だった場所に蹲って、小さくなっていたそうです。


 千代子さんが「憲一郎?」と声を掛けると、おそるおそる顔を上げて、二人の顔を見た途端、ぶわっと泣いたらしいです。


 おじいちゃんが生きていたのは、原爆が落とされた瞬間、強烈な光を発していたらしく、咄嗟に近くの池に飛び込んでいたからでした。


 けど、家に帰るお金もなく、あてもなく彷徨っていたとのことです。


 おじいちゃんも心細く、絶望に苛まれたのでしょう。知り合いがいない広島にいたのですから、尚更のことです。だから、お姉さんとお父さんの顔を見て、信じられないと思う以前に安心して泣いちゃったのかもしれません。


 二人はおじいちゃんに「よく頑張ったな」「一緒に帰ろうね」と声を掛けながら、携帯食を渡しました。それを受け取ったおじいちゃんは、泣きながらその携帯食に齧りついたようです。


 母曰く、そのとき被爆した後がおじいちゃんの首に残っていたようなのですが、私は覚えていません。


 千代子さんは存命ですが、ひいおじいちゃんは私が生まれてすぐに亡くなり、おじいちゃんは小学四年生のときに亡くなり、ひいおばあちゃんは高校一年のときに亡くなりました。


 おじいちゃんの葬式のとき、ひいおばあちゃんは言ったそうです。



「親にとって子供に先立たされるほど、不幸なことはない」



 ひいおばあちゃんは、それほどおじいちゃんのことを大事にしていました。


 私はひいおばあちゃんほど、おじいちゃんのことを覚えていません。どんな口調だったのか、どんな声だったのか、どんな顔で笑っていたのか。うろ覚えです。


 母曰く、そのときのことをおじいちゃんはこう語ったそうです。



「今の時代、美味しい物が沢山ある。だけど、あのとき食べた携帯食が一番美味しかった。あんな美味しいもん、これからの人生で二度とない」


 

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