4「魔×弄」
平穏な朝とは裏腹に、私の心は穏やかさを欠いていた。デスクの上のマウス、壁に掛けている時計、目に映る物のすべての”ズレ”が気になってしょうがない。一つずつ元の場所に戻すことで心の安定剤とする。
いざ穏やかな心で朝食につきたかったが、今度は箸置きが微妙にズレていることに気づきまたそれを元に戻す。様々な角度から調整し計算しつくされたバランスで配置する。これこそ完璧な箸置き。自画自賛していた私をフェンリルは冷たい目で見つめていた。
「なにやってるんですか佐々木さん。さっさと朝ご飯を済ませてくださいね」
やれやれといった様子のフェンリルだが、こうした細かいことが気にならないのかねこの娘は。こっちこそやれやれだ。
「うーん……。フェンリルもズレてるよね」
「また角度の話ですか? 私にズレているとこなんてあります?」
「いや、世間一般と」
「なんで朝っぱらから毒吐かれてるんですか私」
何かを察したフェンリルの動きは速かった。テーブルに乗りだしたかと思った瞬間、両手で私の顔をしっかりと掴んできた。あまりの速さに反応ができず、怒りにも似た感情が爛々とする瞳を直視することになる。
「なにがあったんですか佐々木さん」
可愛げな少女の姿でも中身はフェンリルなだけあって力は強く、身動きできそうにもない。ちゃんと話すまでは絶対に逃がしてくれないだろう強い意志を悟った私は、洗いざらいゲロするしかなかった。
「仕事の締め切りが間に合わず、それが奇行の原因というわけですね」
「はい……でも、最近色々あったし、風邪も引いてたわけだし……」
「それは言い訳ですよ佐々木さん」
む……。ごもっともな意見だが、なーんか釈然としない。少し前までのフェンリルならもうちょっと親身になって心配してくれることを期待していたのに、まさか簡単に一蹴されるとは。
でも、単なる主従関係じゃなく友達のような対等の関係、ちょっとずつだけどいい方向に変わってきていることが嬉しく思ってしまう。
「ニヤニヤしてる状況じゃないでしょ。ちゃんと聞いてるんですか佐々木さん」
「ごめんなさい」
藁にもフェンリルにもすがりたいことに変わりはない。助けてフェンリもん。
「まぁ、手がないわけではありませんが、あまりオススメはしませんよ」
そう言って咳払いをしたフェンリルは両手を私の部屋に向け、何か呟いている程度にしか認識できない謎の言葉を発し始めると空気が震える。
正座しながらその一部始終を見守っていると、以前フェンリルが姿を変えたときと同じ光が両手を包んだ瞬間、まるで何事もなかったかのようにいつもの朝が戻ってきていた。
「とりあえず終わりました」
「え、何が?」
私にはフェンリルが何かをやったということしかわからない。どうぞと促され、恐る恐る部屋の扉を開けてみてもなんら代わり映えない自分の部屋だ。
「私の魔法で部屋の中だけ時間の流れが変わっています」
「つまり、要約すると部屋の中での1分が現実世界では10秒みたいなこと?」
「認識としては間違っていません。それに部屋の中では疲労も一切感じることがないはずです」
「なにそれ。無敵じゃん」
時間に追われることが多いクリエーターにとっては夢の魔法だ。さっきまで絶望しかなかったはずの状況に一条の光が差しこむ。現状を打破するにはもうこれ以外は考えられない。やっぱり最後に頼りになるのはフェンリルだ。
「ですが私のオリジナル魔法なので、どれぐらい流れが変化しているかはわかりませんし、副作用もあります……って、佐々木さん聞いてますか!?」
「いいや、聞いちゃいないよ」
今の私は1分1秒を争う状況。頭の中は仕事のことでいっぱいだった。
◆
「終わったー!」
なんと晴れ晴れとした気分だろう。無理だと諦めていた仕事が終わり、舞い上がらずにはいられなかった。なぜかドン引きしている様子のフェンリルだって、今の私は気にならない。
「随分とはやかったですね……」
あの部屋について興奮気味に説明した。48時間不眠不休で仕事をしてもまったく疲れていないのがどれだけ凄いことなのか。私の中ではフェンリルの株は急上昇している。
「48時間ですか」
ぎこちない動きで時計を指さしている。あの部屋で作業してから戻ってくるまで、まだ2分ほどしか経っていない。つまり、どういうことだ。
「副作用ですよ。ちゃんと聞いてなかったでしょ? 佐々木さんは世界の法則をねじ曲げた空間にいました。そこから出てしまったということは、世界の修正力があなた自身を襲うことになります」
もっと簡単説明してくれないとよくわからない。一行で簡潔に。
「佐々木さんは48時間分の疲労を、2分に凝縮された形で受けることになります」
なるほどわかりやすい説明だと納得したとこで私は倒れた。過労と睡眠不足に襲われ、さらには治りかけていた風邪もぶり返す始末。
仕事で魔法に頼るべからず。私は身を持って体感することとなった。
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