3「病×寂」

 朝起きたときから頭がぼーっとして、なんだか熱っぽい。意識がはっきりしてくるにつれ身体の不調は目に見えてわかるようになり、フェンリルが作ってくれた朝食もあまり喉を通らず、初めて残してしまったことに罪悪感を抱いてしまった。


「フェンリル? あれ……?」


 そういえば洗濯機を回しにいったまま、まだ戻ってきていなかった。あとでフェンリルに薬でも用意してもらって、今日のところは安静にしておこう。

 喉の方も調子が悪くなってきて、マスクでも取りに行こうと急に立ち上がったのがマズかった。世界が回り平衡感覚を失っていく。気づけばうつぶせの状態だったけど、どうにも動けそうにない。


 あー、でも床が冷たくて火照った身体に丁度良いなこれ。


「風邪ですね」

「風邪だよねー」


 どんどんと上がっていた体温計の数字は38度でピタリと止まる。

 あれからフェンリルに運んでもらいなんとか自分の部屋まで戻ってこられたのはいいが、これが一人の時だとどうなっていたことやら。

 不摂生な生活に慣れていたから風邪とは無縁だとばかり思っていた。健康的な生活が悪いというわけではないが、油断したな……。


「こういう時は汗をかいて熱を下げましょう。手っ取り早く裸で温め合うのが……」

「脱ぐな脱ぐな。ていうか脱がすな!」


 自分の声が頭の中に響き渡り吐き気までもよおしてしまい、またベッドへと倒れこむ。今のままだとフェンリルのボケにすら対応できず、いよいよマズい状態に陥っていることを自覚する。


「佐々木さんすみませんでした。私が散歩に付き合わせてしまったことが今回の原因でしょうから……」

「いやこれは自分の不注意っていうか。フェンリルは気にしないで。あとボケないでツッコめないから」


 とは言っても、フェンリルは自分が悪いと信じて疑わないだろう。こいつはそういうやつだ。心なしか尻尾も元気がなく垂れ下がっているように見える。


「何かあったら呼ぶから。今日のところは一人にしといて。あ、あと……」


 あと、なんだっけか。そうだ。私はいつものフェンリルでいてくれって、そう言うつもりだった。元気のない姿なんてらしくないって。ちゃんと伝わっただろうか。

 思考が頭の中で乱痴気騒ぎをはじめ、次第によくわからなくなってくる。

 フェンリルが何かを喋ってから部屋を出ていくことを確認し、ようやく身体が眠ることを許容してくれた。









 喉の渇きで目が覚める。枕元に置かれていたスポーツドリンクを一口、さらにもう一口と飲むことでバラバラになっていた身体が元に戻ってくる。

 薬もちゃんと効いてくれているのか、大量の汗はかいているものの身体は随分と楽になっていて、一人で着替えられるぐらいには体力が戻ってきていた。


「フェンリル?」


 呼んでも返事がない。リビングも明かりがついておらず、家中どこを探してもフェンリルの姿はない。その代わり、いつも使っているテーブルにメモが残されていた。


『買い物に行ってきます。くれぐれも安静にしていてくださいね。』


 段々と薄暗くなってきた部屋、メモとスポーツドリンクを手にフェンリルの帰りを待っている。

 ここ最近はずっとフェンリルと一緒だったから、こんなにも静かな時間は久しぶりだ。まだ少し速い鼓動がずっと耳元で聞こえ、静かなのにとてもうるさい。


 いつも騒がしい毎日で、だけどそれを楽しいと思っていた自分もいて、だから無性に胸を締め付けられるこの気持ちの正体はなんだろう。


 強く握った手の中で、メモがくしゃりと音を立てる。私、すごく不安なんだ。


 子供の頃、両親は共働きだった。家に帰っても誰もいないことなんて当たり前で、私もそれに慣れていた。いや諦めていただけかもしれない。本当は心のどこかで寂しくて思っていて、ずっと憧れていた。


 風邪のせいで心まで弱ってしまったせいか、随分とらしくないことばかり考えてしまう。空になったペットボトルが音を立てて倒れた。


「ただいま帰りましたー。佐々木さん、もう立ち上がって平気……ふぇっ!?」


 私はフェンリルの姿が見えるなり、彼女を抱きしめていた。その感触、その温かさが、一人じゃないことを十分すぎるほど教えてくれる。


「さ、佐々木しゃん……どうかしましたか?」

「うぅん、なんでもない。おかえりフェンリル」

「はい! ただいまです!」


 よくみると買い物袋には、随分と物が詰め込まれている。取り出したものを一つずつ乗せていくと、あっというまにテーブルは物で溢れかえった。


「ネギをお尻に刺すのがいいと聞いたので。他にはキャベツを頭に巻くのも昨今の流行りだとかなんとか」


 次々と野菜を取り出すフェンリルに、ため息しか出てこない。そんなくだらないことのために、わざわざ買い物にいってきたのかこいつは。


「あとは少なくなっていた薬も買っておきましたよ。栄養があるものも何個か。でもでも私のおすすめはやっぱりネギをお尻に刺すのが一番かと。そしてそのネギを私が――」

「変態すぎ」


 ロクなことしか言わない、口にネギを突っ込んでやった。

 あれ? 犬にネギをあげるのはダメだった気がするけど、モグモグと食べているところを見るに平気そうだしフェンリルだからまぁいっか。


 そんないつも通りのやりとりに、笑みがこぼれる。


 誰かが居てくれること、それがなによりの薬になる。なーんて歯が浮くようなセリフ、ゲームの中だけにしておこう。




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