終節 或いは、起点となる花園

終戦

 グレイの手でセシアを殺害してから、一ヶ月が経過した。これまで両国間で戦争を続けていた八年に比べれば、同じ天秤に乗せる意味もないほどに短い月日。

 その程度の時間であっても、マダスティアが滅ぶのは、必然だった。

 聖職者ヘレン・ガーナの投獄。事実上最高権力者となっていた彼女という指針が潰えた神聖国は方向性を見失い、政を統率する人間が居なくなったことにより国の中枢は徐々に不確かになった。

 もとよりビザールレディという無限の人手により成り立っていた肉体労働は、肉塊の全機能が停止されたことにより崩壊。国の大部分の企業が倒産した。死体の特性に溺れて乱用し、賃金を払わずに済むことに甘えた怠慢が呼び起こした結果である。

 さらに、マダスティア内での聖職者による非道な行いが露見した。国内に在住する無信仰や他教の人間をあぶり出し、信仰をしないようなら殺害して預金等を全て没収する。それだけでは通常お金は足りないが、たまに居る熱心な教徒にかけあって不足分は補っていたようだ。「女神様が貴方を必要としているんです」と言えば、容易に網にかかる獲物も居たらしい。

 悪事を暴かれたマダスティアは二分した。非人道的な行いを否定する派閥と、聖職者を神聖視する者達。

 その光景は皮肉にも、数十年前の猟奇的殺人事件当時と同じだった。

 最前線となっていた広大な平原は、全て墓地として変容した。元々ドロテア国内に簡易墓地はあったが、矮小な土地には収まりきらなかったのである。

 何故なら、戦場で全停止して崩折れたビザールレディを余すところなく埋葬したから。一つ一つ丁寧に縫合を切り離し、判別のつく範囲で五体を揃えて土葬した。顔しか回収のできなかった者、数の余った四肢は、別個で墓標なき墓の下へ埋められた。

 マダスティアの人間の者と思われる死体も全て、テラの協力の元で素性を調査した後に土葬の手順を踏んだ。大方の人間は、その埋葬を行う上で厭悪を表情に浮かべることは無かった。戦争といえども『相手国民』が何か罪を犯したわけではないから。しかしその裏で、マダスティアを恨んで死肉を蹴り飛ばした人間が居るのも事実である。




 グレイは事態の大半の収束がついたある日、改めて死者達を弔うべく墓地を訪れた。

 崩落した防壁の向こう側へ足を踏み込んで、その景色に驚愕し目を見開く。そこには、目を剥くほどの絶景が広がっていた。

 広漠の土地を余すところ無く埋め尽くす草花は、桃源郷を思わせる絶景。足元で咲く、名も知らぬ小振りの花。墓石の隅で消極的に俯くシクラメン、舗装された石畳の側で束になるパンジー。各所で揺れる秋桜、天を仰ぐ向日葵。艶美で多種な彩りを散らし、礫岩の山を飾る薔薇。花園の最奥部には、桃色の花弁を空に散らす桜花爛漫の巨木が、待ち構えるように聳えていた。

 そこにあるはずの無い景趣だった。先日訪れた際には、砂埃の舞う荒れ地に淡々と数千数万もの墓石が並べられているだけ。緑黄色など何処にも無い。何故なら、傀儡と兵士に踏み荒らされて固まった壌土に、花など咲くはずがないのだから。

 それでも確かにグレイの視界には、四季折々の花が今にも溢れそうなほどに咲き誇っている。

 グレイは誘われるように舗装された石畳の上を歩いて、目印のような桃色の大木の元へと向かう。花々のむせ返るような甘い香りに包まれて、今更ながらこの情景が現実の物であることを自覚した。

 数刻歩いて訪れた桜花の周辺は整えられ、小高い丘上の更地には無何有の郷のような花畑が広がる。そしてその木の根本には見知らぬ女性が腰をかけており、それと共にオーガストがグレイへ向けて手を振って待ち構えていた。

「オーガストお前、いつの間に戻ってたんだ」

 一ヶ月前の終戦の際、彼は戦後の擾乱からマダスティアの魔女を匿うという名目のもと、ドロテア近辺の安全区域に避難をしていた。その間は音信不通で、安否の確認目的ですら一切連絡を寄越してこなかった。

「今さっきスよ。グレイならここに来るんじゃないかなぁって思って、ちょっとしたサプライズと共にお迎えしたんスけど、ご感想は?」

 言いながらオーガストは、広大な花園を指差す。それにグレイはまた、驚愕で目を見開いた。この光景を作り上げたのが魔女であるオーガストならば、原理も何も納得はできないが理解は及ぶ。しかしグレイは別段、わざわざこのような手間を負った理由を追求しようとはしなかった。

 死者の遺骸を弔うのに、これほどまでに優良な眺望があるはずがない。無残に死に絶えてしまった彼らの死後を飾るのに、一寸の不足もない。

 ふとグレイは、気がかりになって女性の方を見た。魔女を保護していたオーガストが連れているのであれば彼女は。

「じゃあ、そっちはもしかして」

 間抜けな顔で問えば、女性は小さく一度頷いて頭を下げる。

「初めまして。マダスティアの魔女、エゴと申します。ですがどうか私のことは、ソフォラとお呼びください」

 艶やかな濡鴉の髪と、真摯な視線を向ける紅蓮の双眸。華奢で虚弱な体躯を覆う黒衣の下の足首には、色濃い痣が残されている。

「このような体勢で申し訳ありません。未だ少し、直立したままで居るのが辛いのです。どうか寛大な心でお許しを」

 彼女のことは、ステラから事前に聞いていた。塔の上に幽閉され、自由すら奪われて疲弊した体。力を搾取されて機械的に傀儡を生産する毎日。

 しかしステラは以前、『ソフォラ』という人物のことを恩人と呼んだ。当時のグレイはマダスティアの魔女の存在も、ステラの正体についても知らなかったが。書きあぐねて搾り出されたソフォラという文字は、やけに記憶に残っている。

 目の前の女性がそのソフォラであり、ドロテアに危機をもたらした魔女である。二律背反する両方の事実に頭痛を覚えながら、グレイはおずおずと口を開いた。

「ヘレンは、どういう関係だったんだ。支配者と奴隷みたいだってのは、聞いてる。あんたはあいつを、どう思ってたんだ」

「ヘレンさんのことは、嫌いではありません。真摯に取り組む姿には好感を持っていました。出会う時代や立場が違えば、良い友人になれたのでは思っています」

 彼女からは、マダスティアを嫌うような気風は感じられなかった。それが演技で、連ねた言葉が虚言である可能性は捨てきれないが。マダスティアの酷使のせいだ、自分は悪くないと責任転嫁をする様子は見られず、想像していた魔女の人物像とは相違がある。

 ステラに優しく接したのは、彼女を体の良い道具として動かすためで。死肉を縫合して化物を製造するのだから、人の命は塵芥と同等のものとして扱っている、魔女の名に恥じない破綻した人格の人間だと思っていた。

 故にグレイは、彼女を殺すつもりで居た。それだけでなく本当は、ヘレンのことすら、あの場で殺害してしまうつもりだったのである。しかしヘレンは、極端に言って善性の存在だった。他の考えを知らない状況下で、限られた道を愚直に進んでしまっただけで。彼女の行いは到底許されるべきものではないが、当人の存在が諸悪の根源ではない。

 魔女は、全ての元凶だ。無慈悲に死体を縫い合わせ、殺されたドロテア兵士すら傀儡の素材として吸収してしまった。

 彼女は、悪だ。

「グレイさん、でしたっけ。貴方に一つお願いがあるのですが、聞き入れてはくださいませんでしょうか。きっと利害も一致していると思いますよ」

 ふと思い至ったように、柔和な微笑を浮かべてソフォラは言う。その温厚そうな容貌を見て、グレイの心中に確立していた決断が僅かに崩れた。彼女は本当に、無理矢理に力を使わされただけなのではと。

「なんだ。とりあえず聞くから言ってみろ」

「私を殺してください」

 一瞬、時間が止まったように錯覚する。強い風が場を吹き抜け、ソフォラの髪が揺れた。二人の間を桜の花弁が舞う虚空を見つめて、グレイはようやく疑問を絞り出す。

「おまえ、何言ってんだ?」

 問えばソフォラは、苦笑いで小首を傾げる。

「これは私の言い訳なのですが、人形達が人を殺害しているなんてこと、少し前まで知らなかったのです。もし事実の断片でも知っていれば、私は縫合しませんでした」

「は?」

「私が三年前にそれを知ったときにはもう、体の自由を失って監視下におかれていました。私が死ねばこの戦争が終わる。私が居るからこの戦争が終わらない。それは重々承知しておりました。ですが肉体は既に縛り付けられ、自力で動くことすら叶わなくなっていた。いえ、そんなことはどうでも良いのです。ただ私は、ステラが天涯孤独になると考えると、死のうだなんて思えなくて。精神すら括り付けられてしまったようです」

「待て、お前は何を言ってるんだ」

「女神をを完成させれば全てが終わると思いました。だから私は、さらに縫合したのです。運ばれてくる死体の数々に指を組んで祈ることも辞めました。だって、私が殺した人間なのですから。私のせいで死に、私が縫う人間ですから」

 彼女が捲し立てるように言い切るが早いか、グレイは駆け出していた。初速の反動で青草が抉れ、土や草の根が飛ぶ。勢いのままに腕を振りかぶり、強く握った拳をソフォラの顔面へと叩き落とした。

「お前はなんでそんなに、自分勝手なことが言えるんだ」

 しかしその打撃が、ソフォラにあたることはなかった。間一髪、鼻の頭にあたる直前で、グレイはその勢いを殺して拳を制止させたのである。

 何故なら、ソフォラがそれを回避する素振りを見せなかったから。

「拳程度では、人間は死にませんよ。幾度も殴れば別ですが、刃物が手早いかと」

 怒りをあらわにしたグレイの歪な表情も、突きつけられた拳も何処吹く風という様相で、ソフォラは笑みを崩すことなく言ってのける。攻撃を避けようとしないのは、心底死にたがっているからなのだろうなと、グレイは僅かに理解した。

「なんで当たり前みたいに、そういうこと言えるんだよ」

 問う声が震える。それは怒りゆえのものか、人間性の乖離したような彼女を哀れんでのものか。憤慨を全面に押し出したグレイと冷静を板につけたままの彼女の両極端な状態に、グレイはさらにソフォラという魔女のことがわからなくなった。

「私は、神を信じていました。だって神がいないのならば、私がやってきたことの意味が、女神招来の依代作りの意義が、無くなってしまうから」

「なぁ、答えろよ」

 ソフォラがグレイを見ながらも、何処か彼方を見つめているということにグレイはようやく気がついて、力なく拳を降ろす。

「はやく、はやく完成をと思っていたら、もう、手遅れでした。ステラは、好きに歌うことも自由に喋ることもできなくなっていたのです」

 本当にこのまま、感情の赴くままに殺してしまおうかと思った。自己保身で心情を語って外野の意見を取り入れない彼女は、グレイの目には魔女と呼ぶに相応しい害悪な存在に見える。オーガストは何も言わない。飄々と不敵な笑みを浮かべ、二人を傍観している。魔女という存在は無情なものだったのかと、現実を突きつけられた気がした。

「傀儡は全停止し、死者は土の下へ弔われました。もう、全てが終わったのですから。そろそろ現から立ち去っても構わないでしょう。私はもう、疲れてしまったんです」

 弔われた。済んだ話を他人事のように言ってのけた彼女に、グレイはまたふつふつと怒りを募らせ、感情のままに怒号を飛ばす。

「お前が勝手に殺した奴らは生きたかったはずだ。なのにお前は、何も思わず勝手に死のうってのかよ!」

 捲し立てるように脊髄から捲し立てるような言葉が湧いて出て、反芻もせずに全て吐き出した。自身は生きていくのが疲れたからと死にたがって、それでは生きたいのに死んだ皆はどうなるのだろうか。それでは死に絶えた戦友達はきっと浮かばれない。晩の酒の席という小さな約束すら守れずに死んでしまったのだがら。

「死んだやつはもう、如何でもいいってことか!」

「ッ如何でも良い訳無いでしょう?!」

 責苦を負わせようと厳しい言葉を浴びせれば、ソフォラは急に電源が入ったかのように声を荒げた。先程まで浮かべていた美麗な笑みは潰え、彫刻のような面持ちを歪めてグレイを見上げる。その勢いに一瞬怖気づいてグレイが退けぞった。

「私は人間です。魔女と呼ばれていようとも人間なんです!自分のせいで人が死んで、何とも思わないような腐った価値観なんて持ってません!でも、いちいちそんなこと気にしていられなかった!毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日誰かの死体を見て、毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日ぐちゅぐちゅの縫い跡で手指を血に染めて!その度に心を病んでいたら、私自身の身が保たなかった!自分勝手です。えぇ、傲慢ですよ!そうでもしないと私はきっと今頃、精神の末端まで崩落した本当の魔女に成り果てていた!罪の意識も何も持たない人形になって、襤褸雑巾のように使い古されて捨てられていた!それだけは絶対に、絶対に嫌だった。私が死ねば終わるのに死ねない状況下で、どうして平穏なんて保持していられましょうか!死にたいのに死ぬのが怖くなって、どうして普通な顔をしていられましょうか!」

 彼女の口からは、支えが無くなったかのように人間的な言葉が漏れ出した。そしてその思考は確かに、細部に至るまでが呆れるほどに自己中心的で。それでも彼女の心痛を現した心象は、グレイには共感できずとも理解できるものだった。

 そしてその瞬間に理解する。全ての元凶であり事の発端だと思われた魔女ですら、被害者の一人なのだと。

「きっと皆、私を恨んでいます。だから私はもう、生きていたくなんてない。楽にしてください」

 草木の摩擦音にすらかき消されそうなほどの、弱々しい声で彼女がつぶやいた本音。グレイの耳は過敏にもそれを聞き漏らすことはなく、そして同時に過去を思い出す。

 グレイも数カ月前までは、そんなことを考えていたのだと。ベティ・ドミトリーの猟奇的殺人事件を起源として、両国の分断に繋がり、歴史の風化を呼んだ。そしてやがて傀儡の製作と戦争に発展してしまった。その一連全てをグレイは自分自身のせいと捉えて、思い悩んでいた。

 その硬化した心を解してくれたのは、ステラの──未だテラと名乗っていた頃の彼女の、戒めのような文面。彼女はあの言葉を『ある人に言いたかったこと』と言った。聖職者になって咽頭を失ったステラが発声できなくなり、無視せずに自身の気持ちに寄り添ってくれて、思いを伝えたくても伝えられなかった、唯一の人物。

 そう考えるとグレイに伝えられた言葉は、きっと。

「そうだな。確かに、恨んでいるだろうよ」

 グレイがぼそりと呟けば、俯いていたソフォラは肩を大きく一度震わせる。グレイはソフォラを見下ろしながら、自分がかけて貰った言葉を思い起こすようにして口を開く。

「死んでいった人間は、皆死にたくないって思ってたはずだ。お前や聖職者のことを強く憎んでただろうよ。でも、それがどうかしたのか?だからお前は死ぬのか?屍の山を越えてきたお前には、生きる義務があんだろ。お前の影響で誰かが死んだことに変わりはねぇんだから。死んだ奴ら全員、無駄死にで済ませればいいんじゃねぇか?」

 ソフォラが勢い良く顔をあげ、その赤い双眸とグレイの視線が交差する。

「そんな言い方!私は、そんなことがしたいわけじゃ」

 弁明するように必死な表情で彼女は言う。困ったように涙で目を潤ませるその顔は、彼女の年齢は知らないが年相応のように思えた。

「だったら生きろ。泥水啜って地べた這いつくばって、石投げつけられても生きろ。これ以上さらに犠牲を増やして、全世界から反感を買うことになっても生きろ。もしもお前がこの先、生きるのが辛いとかいう理由で死のうもんなら、俺はお前を許さない。罪の自覚があんなら、贖罪する努力をしろよ。俺からはそれだけだ」

 言い切れば、ソフォラは驚いたように目を見開いて瞬かせた。

「私のことは、殺さないのですか?私を憎んでいないのですか?」

 拍子抜けしたような声音で言う彼女に、グレイは頭を掻いて嘆息しながら答える。

「殺さない。憎んではいるけど、全部お前が悪いってわけじゃねぇだろ。お前殺して皆が生き返るんならそうしてたかもしれねぇけどな」

 結局は、ヘレンと同じなのである。ヘレンが埋葬された歴史の被害者だとすれば、ソフォラはその余波に侵食された被害者。運悪く歯車が噛み合って歪に回ってしまい、引き起こされた悲劇。

 彼女達を罰するべく処刑しようとも、きっと意味は無い。全ての厳罰に制裁を下すのならば、原罪まで引き返してから累々の歴史の風化を食い止めなければならないだろう。

「よく、私にそんなこと言えますね」

 自嘲気味に俯くソフォラを見下ろして、グレイは困惑したような表情を浮かべた。

「伝言だよ。俺がこんな達者なこと言える顔に見えんのか」

「考えてみればそうは見えませんね」

 苦笑いをこぼすと、ソフォラは両手をグレイへ向かって掲げ、立ち上がらせてくれと要望する。断る意味も無いので彼女の手を強く引くと、ソフォラは覚束ない足取りで少しずつ木の根から離れ、丘陵地帯上を少し歩いて墓石の群れを見下ろせる位置にたった。

「私はこれから、良き人、正しい人になれますか。価値ある存在になれますか」

 軟風に揺れる髪を抑えて、彼女は二人を振り返る。オーガストは自分もかと疑問を浮かべたように自身を指差すと、大袈裟に悩んだ素振りを見せて言った。

「僕、そもそもいい人とかわからないんスけど。考えてみりゃ全員クズばっかスよ?人助けたした気になって気持ち良くなってるクズ、人殺しに加担したくせに被害者ぶってるクズ、人殺しのクズ、達観してるだけのクズ。捉え方の問題だと思うんスけど」

 淡々としたオーガストの返答がソフォラは理解できなかったのか、小首をかしげて眉根を下げる。

「お前の言い方は分かりにくいんだよオーガスト、もっと分かりやすく言え」

「そこまで言うんならお手本お願いしまス」

「あー、お前の価値はお前自身の言動次第だろ。別に、人の意見とかどうでもいいんじゃねぇか?外野からの推量はお前の価値じゃないだろ。価値はお前の中でだけ決定されれば良いんじゃねぇのか」

 オーガストよりは簡潔に伝えたつもりが、ソフォラはさらに表情を曇らせてしまう。

「あーなんだ、お前の好きにすりゃいいだろ別にってことだよ。人の意見とか気にしてんじゃねぇ」

 噛み砕いて伝えてやれば、ソフォラは納得したように大きく頷いて笑った。一際大きく風が吹いて、彼女は風を孕んだスカートを抑え、また墓石たちを見下ろす。

 血の轍に爪を置き去りにした者も、傀儡の素材となって朽ち果てた者も、皆が一群として埋められた花園。

 マダスティアもドロテアも選別なく埋葬された、国境なき墓。

 死した者達の顔と声は、いつかは世界から忘失されるだろう。それでも彼らが生きた証拠は、確かに墓標として刻まれている。

「グレイさん。貴方は私を、善だと思いますか?悪だと思いますか?」

 精緻に並べられた墓を見たまま振り向かずに投げられた、戸惑ったようで真摯な声は、自戒や自問自答のようにも思えて。

 ソフォラの価値を問われたから。

 グレイは、何も言わなかった。



 幾ら壮絶な死に方をしても、死肉が欠片も残らなくても、人は死んだら全てから解放されると思っていた。

 俺はそういう人間だった。

 考えてみれば、苦しいままに死んで、遺骸に成り果てようとも人を殺す道を歩まされた彼らが、しがらみから解放されている訳がなかった。

 都合の良いことばかりを考える、俺はそういう人間だった。

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ビザールレディ こましろますく @oishiiringo

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