おわりに

 つたない俳句とエッセイを読んでくださった皆様、ありがとうございました。

 五日毎に二ヶ月分ずつ更新して来ましたが、そろそろ現実の時間に追いつきます。超初心者の俳句格闘記はこの辺でいったん幕を引かせて頂きます。作者がいつまでたっても俳句超初心者の新鮮なままな為にマンネリ感もあり、すこし熟成する(かもしれない)時間をいただきたいと思います。


 たくさんの応援と御指導、優しい声援に包まれて、楽しく充実した時間を過ごさせて頂きました。このエッセイを始めた当初は「こんな才能無しの俳句と言い訳がましいエッセイをわざわざ読みに来る変わり者なんて一人もいないだろう」と高を括っておりましたら、驚くほど閲覧数が伸びまして慌てました(みんな、どうしたの?)


 おかげさまで「俳句ってなに?」という新鮮な状態から、だいぶ成長しました。

 季語や季重なりや、え~と、何だっけ(大丈夫か)とにかくいろいろ身につきました。わたしの俳句があまりにも無茶苦茶な為に、慈悲の心で御指導いただくこともしばしばありました。格別に御世話になりました、愛宕さん、友未さん。御恩は忘れません。それと無言でポチポチと応援してくださった皆様、勇気の灯火をありがとうございました。


 エッセイを通じて一番に気づいたことは、俳句は難しいという事実でした。

 よく俳句入門の本の帯に「誰でも出来る」とか書いてありますが、あれは嘘です。出来ません。確かにルールは簡単です。でも、その先には気の遠くなるような長い道程が待っているのです。芭蕉も正岡子規も軽くこなしている振りをしてますが、実は努力を惜しまぬ芸術家だったんです。でなければ、あれほどに美しい十七文字の詩が生まれるはずはありません。


 季節のささやきに耳を澄ませ、一瞬の美を掬い取り、十七音で詠うのが俳句です。それには一日二十四時間、俳句スイッチを入れっぱなしにしておける丈夫な体と、画家の観察力と、詩人の豊かな表現力を身につけねばなりません。

 いつか会心の句を詠むために、今日もわたしは俳句を詠います。


 令和四年九月五日

                  来冬 邦子 拝


 

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俳句スイッチ・エピソード零 来冬 邦子 @pippiteepa

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