(2)いま、この瞬間に、男たちが死んでいくように!
船着場から離れた四人は、街の住民を真似るようにして霧の中に溶け込んだ。
先頭を歩く久遠が、何気なく建物の足元に視線を向けた。石でできた住宅は腐食が進んで黒ずみ、元の色は見る影もない。
白い、白い、白い、石。
「藍都には、石材の建物が多いですね。
石材が豊富な街の名前を出せば、枷翅が頷く気配がした。
「湿気の多い街では、木材の建物は長くもたないからね。石材を使ったところで、少しの間だけ凌ぐ程度の違いしかないだろうけれど」
「代わりに白都には、藍都から水を運んでいると聞きました」
白都には石材が多い。逆に言えば、石材しかない。
雨も滅多に降らず、気温は上がらず、海も森もない。夜の砂漠、白都。
ひとが住むには過酷な環境だ。もっともこの世界で、ひとが穏やかに暮らせる場所など本当に限られているだろうけれど。
「――お兄様も、大変だろう」
ほとり、と。
聞こえた呟きは枷翅のもので、誰に聞かせるつもりでもなかっただろうことはすぐに判った。思わず反応して、久遠は足を止めてしまう。
枷翅に問おうと、した。けれど久遠の言葉は、横を駆け抜けた二つの影に遮られた。
小さな影を視線で追う。二つの影は久遠の前で立ち止まる。
久遠と枷翅を守るように。
「
久遠は反射的に呼びかけた。双子の、幼い少女たちは反応しない。
「下がられませ、主。久遠も」
気づけば、周囲には誰もいなくなっていた。元々住民は引きこもってばかりで人通りなどろくにない街だが、向こう三本先の通りまで誰もいないような静寂が広がっている。
まるで、誘い込まれたように。
魔術か、と気づいて久遠は口元を引き結んだ。
警戒を怠っていたつもりはなかった。直近で心当たりの組織や人物はなくとも、枷翅が襲われる理由などいくらでもあるのだ。
「申し訳ありません、枷翅」
謝罪して、背後に枷翅を庇う。久遠の魔力によって、髪が揺らめく。
「殺しの一つや二つ、起きたところで」
緊張を高める三人に対して、枷翅に動じた様子はなかった。
「誰も反応などしないし、政府だって旅人相手では口を拭ってしまいだろう。随分と律儀な相手だね」
暢気な発言に、久遠は呆れた。枷翅を振り返っている場合ではないのに、振り向いて反応してしまいそうになる。
枷翅によって緩んだ緊張感の僅かな隙を、突くように――。
気づけば、何人もの男たちが四人を取り囲んでいた。
横道から出てきたのではなく、忽然と姿を現した。四人を誘導したことからも判るように、認識を誤魔化す魔術の得意な者がいるようだった。
男の一人が口を開く。
「枷翅だな。悪いが、俺たちについてきて貰うぜ」
「やあ、こんにちは。死ぬには良い日だね」
枷翅の返答に、男は面食らった顔をした。
場違いとも取れる発言に、男は油断するどころか警戒を強めたようだった。手の中で何かを転がしているようだから、手の中に彼の武器があるのだろう。
来夢と舞夢が、腰を落とす。主の命令一つで、いつでも飛び出せるように。命を刈れるように。
少女たちの背中を視界に、久遠は男たちを観察した。剣のような武器を持っている者も、手ぶらの者もいる。
数えて、六人。進もうとしていた通りを塞ぐように、男たちが近づいてくる。
「後ろにもいるね。屋根の上に、何人か」
背後を確認するよりも早く、枷翅から答えが返った。逃げ道を失った事実に対して、久遠は冷静な声を出した。
「問題ありません」
懐の短剣を確認する。魔術と、毒の乗った刃。
相手の、認識を誤魔化す魔術は厄介に思えた。けれど最初から、久遠に逃げ出すつもりなどなかった。
枷翅に殺意を向けた以上、久遠の出せる答えなど一つだけだ。
「全員、殺しますから」
久遠の言葉に同意するように、双子がつま先を僅かにずらした。男たちが身構える。
高まった殺意と緊張を、無造作に、破り捨てるように――。
枷翅が、朗らかに口を開く。
「藍都は霧に覆われていて、太陽などほとんど見られないでしょう。太陽が見えない、というのはなかなか不便だね。何しろ時計なんて滅多にあるものじゃないし、太陽か時計でも見なければ正確な時間は掴めない」
それは、藍都を訪れてから久遠も感じていたことだった。けれど、いま言い出すことではないだろう。
「でも、間違ってはいないだろう。そろそろだね」
「なにを――」
久遠が問うよりも早く、異変が起きた。どさりと音がして、視線を向ける。
四人を囲んでいた男たちの一人が、突然倒れたのだ。男たちが動揺し、内の一人が倒れた仲間に駆け寄る。
「おい、大丈夫か!」
「仲間を心配するだなんて、優しいね。やっぱりあなたたちは、律儀で、優しいひとたちだ」
久遠の背後で、先ほどよりも大きな音がした。振り返れば、建物のすぐ横に男が倒れ伏している。
他の一人が屋根の上でぐらりと傾き、屋根から転がり落ちる。一連を見たために、何が起きたのかすぐに判った。
正面から音。向き直れば、別の男が膝をついてる。
膝をついて、手をついて、喘いで、肘をついて、ついに耐えきれなかったように横に倒れる。
次々に、男たちが倒れ伏していく。倒れた仲間を揺さぶる男が焦燥を帯びていく。すでに事切れているのだ。
次々に、男たちが死に伏していく。
「……お前、何をした」
問いかけたのは、最初に言葉を発した男だった。
いまだ倒れる様子はなく、けれどもう死んでいるのではないかと思われるほどひどい顔色だった。久遠の背後にいる枷翅を睨みつけている。
初めて、枷翅が動いた。久遠の横に並び立つ。
「あなたたちは、街と街の間に広がる虚無の世界、
男の形相が、明らかに変わった。
「三日前に藍都に着いたあなたたちは、まずは僕たちの行方を捜したり、僕たちを誘い込むための魔術を仕掛ける必要があった。だから数人ずつに散って行動を始める前に、志気を高める意味も籠めて打ち合わせに大きな食堂を使ったね。泥まじりの煮魚を出してくれる、大衆食堂だ。藍都は魚が安いから」
枷翅の言葉を聞いていて、久遠はふと首を傾げた。枷翅の語る食堂に、久遠も覚えがあったからだ。
四人で一尾を食べることも難しいような、異常に大きな真っ黒の煮魚を出す食堂だった。根菜の欠片と泥の味が混ざって、世辞にも美味しいとは言えなかった。
けれど大きな魚を前に双子が珍しくほんの少しだけ笑ってくれたから、よく覚えている。そうだ、あれは三日前のことだ――。
「そのとき、窓際に瓶があったのは気づいたかな。真っ白い、小さな香水瓶だよ」
「そんなん、覚えて――」
否定しようとした男の言葉が、途切れた。
否定しなかった、ということは、あったのだろう。暗い、雑多な店内で、白い瓶は恐らく眼に留まる。
考えながら、久遠は自分の記憶を辿った。
大きな食卓が六つも七つも並ぶような広い店で、けれど店内は薄暗かった。窓が小さいのと、光源にかける費用を惜しんでいたのだろう。
明かり取りの意味など何もなさない、一つだけの小さな窓は、店の入り口の真横にあった。ただでさえ暗い店内で、しかも入り口の横にあれば、窓はどうしたって眼につく――。
香水瓶など、なかった。確信をもって、久遠は結論を出した。
久遠と男の間には、認識の齟齬があった。けれど既に、久遠は答えに辿り着いていた。
大衆食堂で双子は楽しげにしていて、高揚した気分のまま真っ先に店を出た。危なっかしい少女たちを、久遠は慌てて追いかけた。
最後に、枷翅が店から出てきたのだ。窓際に小さな瓶を置いてくる程度、簡単にできただろう。
香水瓶に何が入っていたのか、久遠には予想がついた。
毒だ。それも、空気で簡単に広がるもの。
枷翅が、毒を盛ったのだ。男たちが襲ってくると最初から判っていて、男たちが襲ってくる時間帯すらも予測して。
いま、この瞬間に、男たちが死んでいくように!
枷翅は微笑んだ。久遠の思考を裏づけるように、もしかしたら褒めるように。
「毒の香りはどうだったかな。強烈な料理の匂いで、もしかしたらかき消されてしまっていたかも知れないけれど」
ひどく穏やかな枷翅の言葉に、今度こそ男は完全に顔色を失った。久遠と同じ結論に辿り着いたのだろう。
喘ぐように問う。
「あの店には、俺たち以外の客も、従業員もいたんだぞ……!」
一瞬、久遠は男が何を言っているのか理解し損ねた。
彼ら以外の、海賊以外の、人間。意図を考えて、ようやく気づいた。
きっとあの日あの後に店に入った人間は、香水瓶に仕掛けられた毒によって死んでしまうだろう。いま正に、海賊たちが死に瀕しているように。
男は、自分の仲間以外の人間の命を引き合いに出しているのだ。
枷翅にとって無辜の民であるはずの人間をどうするつもりなのか、問うているのだ。
「あぁ、安心して。あの毒は空気に弱くて、時間が経てば効力を失ってしまう。だからあの店に入ったところで、運が良ければ何にもならないよ」
詰まり、運が悪ければ海賊たちと同じように死んでしまうということだ。
枷翅の口調に変わったところはなく、巻き添えで死んでしまう人間がいたところで、何ほどにも思っていないようだった。実際に枷翅は、他の人間が死のうが生きようが興味がないのだろう。
「君たち、いまここにいる以外にも仲間がいるでしょう。僕たちに魔術を仕掛けているのもそちらにいるね。一人一人殺していくより、手っ取り早かったのだもの」
相対する男は、呆然と眼を見開いていた。彼の後ろでまた一人、仲間に縋っていた海賊が事切れる。
とうとう、生きているのが最初の男一人になる。
双子たちは、すでに警戒を解いているようだった。いつのまにか枷翅の近くまで下がって、枷翅の服の裾を掴みたそうに手をすり合わせている。
自らの庇護者を慕う少女たちの様子は愛らしく、だからこそ久遠は、口に出しかけた非難の言葉をそっと飲み込んだ。
枷翅の行動が、少しばかりやり過ぎではあっても。それでも、久遠にとって守るべきは彼であり、彼らだった。
「枷翅……」
抑えきれなかった感情が、彼の名前という形で唇から転がり落ちる。久遠を安心させるように、枷翅が久遠に微笑んで見せた。
「あなたたちは、やっぱり優しいね。苦痛の少ない毒を用意したから、眠るように逝けるよ」
「お前、――一体、何だ」
最後の一人になった男が、膝をつく。彼にも毒が効き始めたのだ。
男の質問に意味はなかっただろう。知ったところで状況は変わらず、生き延びる術もない。
男の問いは、本能的なものだったのかも知れない。理解できないものを知ることで恐怖を和らげようとする、極めて本能的で、動物的な。
あるいは、人間的な。
枷翅は、近くで見上げている双子の視線に気づいたようだった。少女たちの右手と左手をそれぞれ取ってやって、そっと眼を細める。
そして、その視線のまま。己の連れを気にかけてやるのと、全く同じ表情で――。
たったいま己の仕掛けた毒によって死のうとしている男の問いに、優しく答えてやった。
「ひとは僕たちのことを、《賢者》と呼ぶね」
久遠は、震える息を吐き出した。胸に渦巻く、感情がある。
ひどく、恐ろしい。けれどそれ以上に、慕わしい。
出会った頃から、変わらない。優しさと、優しさと、優しさだけで構成された――。
枷翅とは、そういう男だった。
Dog House ~少年は、醜悪な世界に挑む~ #DogHouse 伽藍 @garanran @garanran
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