幼なじみが不良になりました。
崎浦和希
幼なじみが不良になりました。
「ねえ、楓くん。高校デビューって、知ってる?」
『天使のようにかわいい』と誰もが口をそろえる可憐な幼なじみ。彼女がさくらんぼ色の唇から綿菓子のような声を紡ぎ、無邪気に微笑んでちょこんと首を傾げたとき、楓の真新しい制服に包まれた首の付け根から背骨にそって、悪寒にも近い何かが駆け下りていった。
「あのね、わたし、高校デビューすることに決めました」
幼なじみは艶やかな黒髪をほそい肩から儚くこぼし、それはそれは愛らしく、とてもうれしそうに宣った。
「わたしね、不良に、なるの」
やめてくれ。
楓の願いは切実だったが、衝撃のあまり声にもならなければ届きようがない。
肌寒い風に桜舞う、高校入学式の午後だった。
青空の下、昔ながらのチャイムが学校中に鳴り響く。三限目を告げる間延びした音をうつろに聞きながら、楓は始まったであろう英語の授業を思った。今日はなにを習うんだっけ。あまり重要なものでなければよいけれど。もはや出席は諦めている。
「ねえ楓、授業はいま、どのへんをやっているの」
目の前では、幼い頃から『天使のよう』と賞賛をほしいままにしていた見た目も言動も超絶かわいい楓の幼なじみ、六花が、楓の鞄から勝手に引っ張り出したノートを打ちっぱなしのアスファルトに開いていた。
中学のころまで本当に天使のようだった六花は、高校入学とともに不良デビューを果たした。以来、本人曰く”不良らしく”爪をほのかなピンクに染め、授業もこうして屋上でさぼっている。出会ったころから『楓くん』だった呼び方も『楓』になり、実のところ楓はいまだ、「かえで」と柔らかく途切れる響きに慣れない。
今日の楓は、『不良』であるところの六花に鞄ごと教材一式を奪われ、屋上でのさぼりにつきあわされていた。見た目だけなら相変わらずの美少女である六花を追い、校内を駆けるあいだにさんざん囃されて負った心の傷が治るには、しばらく時間がかかるだろうと思われた。
「ええと、今は因数分解のあとの」
「楓、ここ間違ってる」
聞いちゃいねぇ。
六花は桜貝の爪で楓のノートをつつき、つまらなさそうに唇をとがらせた。
「楓、数学苦手なの?」
ここも、ここも、ここも違う、と、六花が指さすのは昨夜の楓の努力である。がんばって予習したのに、こんなに間違っていたとなるとへこむ。のんびりしていた地元の中学校と違って、高い進学率を誇るこの高校の授業は甘くない。覚悟して入学したつもりだったけれど、予想以上の速さで進む授業についていくために、楓としては結構な努力をしているつもりだった。それでも六花が不思議そうに首をかしげるくらい、中学の頃の成績と差ができようとしている。
「苦手っていうか、苦手になったっていうか……」
あまり積極的に告げたくはないが、ノートに証拠が出ていれば隠しようもない。楓がもごもご口ごもっていると、ノートから顔を上げた六花はにこりと、自称不良らしからぬ可憐さで微笑んだ。
「だいじょうぶ。わたしと一緒にしよ?」
ノートの横に教科書を広げ、女の子らしい赤ペンと青ペンとオレンジのペンを使い分けて、彼女は楓のノートを見る間に充実させてゆく。書き込みのみならず都度解説が入り、それは三限四限をぶっ通して昼休みのチャイムが鳴るまで実にノンストップだった。たぶん、この二時間だけで三回分くらいの予習が終わった。
全教科満点を取って主席入学した幼なじみによって、楓のノートはそのへんの参考書よりよっぽどわかりやすく、かつ可愛らしく彩られ、さらにはこうしてたまにさぼりにつきあわされた日には、楓のためだけの、楓に最も適した濃厚な授業が行われる。おかげさまで楓の成績は教師の覚えもめでたい右肩上がりとなってゆくのだった。
しかしながら未だ、幼なじみが自称不良となった理由は謎のままだ。やっていることといえば爪にマニュキュアを塗ってたまに教室からいなくなる程度で、宿題があれば必ず提出し、小テストから中間試験まで成績は申し分なく、染髪も化粧気もなし、スカート丈は膝の真ん中、第一ボタンまできっちり止めた襟元にはいつも、深紅のリボンがゆるみなく結ばれている。となれば、夏を過ぎるころには教師でさえ彼女の素行を気にとめることがなくなっていた。
それでも、幼なじみはなにかあれば自分を指して「わたし、不良だから」と言う。たとえば昼休み、六花は母親が持たせてくれたおいしそうなお弁当を行儀よく食べながら、ふと、楓の手元からメロンパンをひとくちかじってゆく。
「なにすんの、六花……!」
ぎょっとした楓が取り落としかけたパンをなんとか手中に留めて隣を見やれば、彼女は頬ばったパンをおいしそうに味わって、きっちり飲み込んだあとににこりと笑って言うのだ。
「わたし、不良だから」
またある時は、楓に二百円を渡して、
「購買の、いっこ百円のカフェオレ、あったかいやつ、ふたつ」
である。
「はい?」
「買ってきて。わたし、不良だから」
楓をパシると言いたいらしい。購買は吹きさらしの渡り廊下を通って別棟までゆかねばならない。秋の入りにも関わらずひどい雨で風が冷たい日だったから、楓から奪った大きめのカーディガンに身体を埋めた六花は、教室から一歩も出ない態勢だった。楓が購買から買って持ってきたあたたかなカフェオレの缶を、彼女は嬉しそうに笑ってひとつ楓の手に戻して寄越した。
さらにある下校時、にぎわう駅前を通りかかったとき、六花は不意に楓の袖を引いて、列をつくるドーナツショップを指さした。
「不良だもの」
寄り道に買い食いをして帰ろうと言いたいらしい。楓は袖を引かれるがまま、女の子たちがきゃっきゃと並ぶ列の末尾についた。あとから知ったことだが、そこは新しくできた評判の店で、ドーナツは申し分なくおいしかった。
またまたある日には、六花は昼休みにふらりとどこかへ行ったまま戻らず、要するに五限の学級会から逃げ出した。
「文化祭の出し物決めなのに……」
楓とペアでクラス委員をしている木村さんが、ため息をついて六花の空席を睨む。みんなで手分けして探そう、と言いだしかけた彼女を制し、会を進めてくれるよう言いおいて、楓はひとりで屋上に上がった。
階段を覆う壁を回り込んで覗くと、案の定、六花はそこで膝を抱え、小さく丸まって本を読んでいた。楓に気づいているはずなのに、顔をあげようとも、わずかな身じろぎさえもしない。数分の間、五限がはじまったばかりの静かな屋上で、ページをめくる紙の音だけが聞こえる。
楓は声をかける前に、じっと丸くなる六花の隣へ腰を下ろした。
「六花、教室に行こう? みんな待ってるよ」
六花は無言だった。一心不乱に文字を追っているように見えて、いつもの彼女にしてはページを繰るスピードが遅いことに、楓は気づいていた。なんにもないふりをしていても、六花は、ちゃんと楓の声を聞いている。
「今日、文化祭の出し物決めだよ。六花もいないと」
「…………」
「六花はなにしたい? 去年、学校見学で文化祭来ただろ。楽しかったよな」
「…………」
「来年後輩になる子たちも見に来るかな」
六花は無言だった。でも、幼なじみがものすごく賢いことを知っているから、軽く息をついて、彼女の気持ちが開くのを待つ。隣り合って座る肩と肩のあいだに漂う空間は、昼下がりの空と同じに穏やかだった。
「……ホームルームが終わったら戻る」
「六花、それじゃ出し物決めができないだろ」
「大丈夫だよ。うちのクラスは四十人。学級委員の木村さんと楓には票はないから、全部で三十八。わたしが抜けて三十七で奇数だから、ね、多数決にちょうどいいでしょ」
もっともらしくすらすら言う。だから楓は、間髪いれずにこう訊いた。
「それで教室を抜けたんだ?」
ここで、そうだよとうなずけないのが六花だ。めんどくさく主張が遠回しでも、本心自体を曲げることはない。そのくらいのこと、楓がよく知っているということも、六花はわかっている。だから唇をとがらせて、楓のほうを見向きもせず、もごもごしている。
「……不良、だもん。学級会なんてかったるいこと、やってられるかっての、だもん」
「こら」
楓が隣の肩をつつくと、六花はわかりやすくそっぽを向いた。うなじにかかる髪が肩をすべって、首筋の肌の白さがのぞく。自分のものよりずっと細いからか、楓にはその色が、ひどく心許なさそうに見えた。
「りーっーかー」
「いいじゃない、多数決。面倒くさくないし」
「要するに六花はめんどうくさいことがしたいわけ?」
「もーっ、ばかえで! したいわけじゃないの!」
そこでしびれを切らしちゃ台無しだ、と、楓は内心ほくそ笑んだ。普段ならとうていかなわない幼なじみだけれど、長年のつきあいを生かした扱い方の心得があればなんとかなったりもする。頬をふくらませて勢いよく、それこそ細い首が心配になるほどの速さで楓に顔を向けた六花は、それは恨めしそうな目をじとりと楓の額のあたりに貼り付けた。かわいい顔をして、目力だけは恐ろしい、なんてことはない。そよ風程度に目を細め、楓は背筋を伸ばした少し高いところから、穏やかに六花を見下ろした。
「いいじゃん、面倒なことしたって。そのためのホームルームだろ?」
「あのね、そんなこと言っても、どうせ多数決でしょ。所詮高校生のクラスなんて、みんながいいって言えば、少数意見はなかったことにされるでしょ」
六花の口調にキレが出て、言い回しがいちばん素のものに近くなっている。たぶんこれが肝心なことだな、と楓は思った。だから少し考え、自分が出すべき答えを探す。もし、正しい答えにたどりつけたら、六花は喜んでくれるだろうし、学級委員としての務めも果たせる。六花は、ごく個人的なものでないなら、どんなにわがままに見えても理不尽なことはしない。そもそも私的なこと以外で、あまりわがままを言わない。普段なら、学級会というクラス全体に差し支えるようなこと、絶対にしない。否、しなかった。
だからたぶん、その普段が、六花が不良を名乗るようになった原因なのだ。
「それなら、六花」
楓が結論を出すまでは短かったが、きっとこれだと、不思議なくらい直感が確信を告げていた。
「多数決がいやなんだよね。少数意見でも、俺が、なかったことにはしないから。学級委員として、ちゃんと話し合いをさせるよ」
六花は唇を閉じたまま楓をみた。
「本来は、そのためのホームルームだろ?」
いつまでも座っていてははじまらない。問いかけを促しにして、一足早く立ち上がる。じっと見上げてくる六花の視線を受けながら、手もさしのべるべきか考えていたあいだに、彼女もゆるゆると腰を上げた。
「じゃあ、楓がそう言うなら」
にこり。完璧な、と形容したくなる笑みを楓に向け、六花はスカートの裾を翻してくるりと回った。歩き出した六花の背を追い、一抹、嫌な予感を覚える。あの笑顔はどういう意味のやつだ? アンサー、大抵なにか楓にとってロクでもないことを考えてるやつ。
水曜日の午後、この五限目はだいたいどのクラスでもホームルームとなっている。廊下に漏れ出てくる生徒たちの声は、間延びして眠気を誘う先生たちの声に比べたら、壁越しにも華やいでいた。この時期だから、だいたいどこも文化祭の話し合いをしているのだろう。時々、歓声や笑い声がはじけ、担任の先生のたしなめる声が混じる。
自分たちの教室まで戻ってきたとき、楓を制してみずからドアの前に立った六花の表情が見えなくて、少し心配した。だが楓が声をかけるより早く、六花はあっさり、そして勢いよくドアを引き、楓が別の方向に心配したくなるようなドアの摩擦音ががらがらと教室中に響いた。教室のなかの視線がいっせいにこちらを向く。
「あ、楓くん。案外早かったね。ちょうど今、出し物が決まったところよ」
真っ先に反応したのは、教卓の前に立っていた木村さんだった。楓は高校から一緒になった彼女と特別親しいわけではないのだが、なぜか名前で呼ばれている。なにかと目立つ六花がそう呼んでいたからだろうと流してはいるものの、落ち着かないのも本音である。
六花を通り越して楓に声をかけてきた木村さんは、次に楓の前にいる六花へ、幼稚園児を相手にするような目を向けた。
「もう、橘さん、どこ行ってたの。だめだよ、サボりなんかしちゃ」
子どもをたしなめるような口調や表情に、厳しさはない。一方で六花は、少し首をかたむけて黒板を一瞥し、それから教室の中を軽く見回して、最後に、木村さんに目を留めたようだった。後頭部の動きから六花の視線を追っていた楓は、黒板に大きく「メイド喫茶」と書かれ、その隣に「ウエイトレス」「厨房係」「小道具その他係」と各役割の希望らしきものが正の字で集計されているのに気がついた。集計結果を見る限り、人気はウエイトレスと小道具その他係(雑用係と称して差し支えないと思う)に集中している。女子の大半がウエイトレスを希望し、男子が雑用係を望んでいると見え、スキルの要求される厨房係の希望が少ないことも含めて、順当だな、と思った。喫茶店は人気の出し物だし、ただの喫茶店でなくメイド喫茶にしたのは、やはり最近の人気からして妥当、かつ普段と違う格好ができる女子(もしかしたら男子なのか?)の希望の結果だろう。話題作りとして男子も何人かはメイド役を与えられるかもしれないし、立候補する猛者もいるのかもしれない。
と、ここで、楓の背にひやりと冷たいものが伝った。
運が悪ければ女装、ということに思い当たったからではない。六花のことだ。
「じゃあわたし、厨房係するね」
顔が見えなくても、完璧な笑みを浮かべているのだろうとわかる調子だった。「ええっ」と声をあげたのは、もちろん楓ではない。
「そんな、橘さんはうちの看板娘やってくれなきゃ。がんばって売り上げ一位目指そうねって、みんな言ってるんだから」
クラスを代表してのつもりか、木村さんがとがめるように言う。それでも、六花には怯んだ様子もなかった。
「そう。じゃあ、がんばっておいしいお菓子とか、作るね」
「いや、だから橘さんは」
「わたし、ウエイトレスさんはしない」
「えー、どうして?」
「いやだから。いいじゃない、みんなはやりたいんでしょ? 希望多いし、それ、人数調整しなきゃいけないくらいじゃないの」
黒板を指し示してのもっともな指摘に、木村さんは黙った。代わりに、教室のなかから、木村さんと仲のよい女子生徒が声をあげた。
「それはいいの、橘さんは別枠って、みんな言ってたところだから」
「どうして別枠なの? それにわたし、ウエイトレスを希望しないから、別枠にしてもらう必要ないよ」
「そんなの、困る。橘さんがいればお客さんもたくさん来てくれるって、期待してるんだよ。橘さんはウエイトレス決定ねって、みんな」
「みんなが言ったから? そしたら、わたしは、わたし自身のことなのに、なんにも決められないの?」
「だって人気が」
「わたしを売り物にしようとしないで」
にこやかなまま、ずっと調子を変えなかった六花が、その一言だけぴしゃりと言った。木村さんと女子生徒に同情的だった教室が、水を打ったようにしんと静まりかえる。
六花はひとつ息を吸って、背を伸ばしたきれいな姿勢で、クラスの代表としての木村さんを見据えた。
「わたしも、クラスの一員としてちゃんと協力するつもりでいるよ。もし、その希望がウエイトレスが少なくて、足りないっていうのだったら、ホームルームに参加していなかったわたしが悪いのだし、足りないところに回されてもべつにかまわないの」
芯のある声で、堂々と話す六花の後ろ姿は、それだけで目を惹かれた。
あれ、これ俺必要なくない? と思いながらも、楓はまっすぐ伸びた六花の背を見守っていた。
「でもそうじゃないのに、わたしのことを”みんな”の意見で決めるって、納得できない。わたしはみんなの所有物でも、道具でもない」
もしかしたら、おとなたちなら、こういう六花のことを『若い』と評するのかもしれない。だけど楓には、いま自分の前に背を向けて立つ六花の姿が、とてもまぶしかった。とてもかわいくて、そして賢い、自慢の幼なじみだ。
だが見とれてばかりでは情けない。楓は、六花の声がとぎれたところで木村さんが口を開きかけたのを見て取って、六花をかばうように前に出た。
「待って。木村さん、このままじゃ平行線だろ。どうして六花がウエイトレスをそんなに嫌だって言うのか、ちゃんと聞こうよ」
木村さんはもの言いたげだったけれど、楓は彼女がなにか言い出す前に、背にかばったはずが隣に並んでいた六花へ目配せした。六花はちらりと楓を見上げて、また視線を木村さんに戻し、こてんと首を傾げる。木村さんにとってはやや挑発的だったかもしれないが、容姿も相まってごく自然な仕草だったそれが、髪の先が楓の二の腕に触れるだけの、ささやかな甘えだと、楓にはわかった。
うっすらと笑んで、六花は告げた。
「知らない人と話したりするの、すごく苦手なの。人前に立つのも、声をかけられるのも、ほんとにいや」
楓は六花の人見知りを知っているし、虚勢をはることがうまいのも知っている。けれどクラス全員の視線を受けてこれだけ堂々としていては、説得力に欠けたかもしれない。クラスをどうしたら納得させられるか、楓が考えをめぐらせようとしたときだった。
「それにね」
と、六花は楓の袖を引いて、仰向くように見上げてきた。その表情には、生き生きとした愛らしい笑みが戻っている。
「わたし、かわいいお菓子作るの、本当に得意なんだよ。ね、楓、わたし、ケーキかわいくするの、上手でしょ?」
楓は顔をひきつらせた。高校生にもなってこれだけ無邪気でいられるのが六花のすごいところだが、巻き込まれた楓にしてみれば、クラスメイトの視線がひたすら痛い。というか、たぶんわかってやっている六花はさすがにあざとい。
それでも、罠にかかった気にさせられたところで、楓に選択肢などあるはずがないのだ。
「……うん」
「ほら、ね? だからわたし、お菓子係する! まかせて」
ああ、そんな係はなかったはずだ、六花……。
黒板に書かれた「厨房係」という字をうつろに見つめて、楓は今後の自分のことを思った。願わくは、ベタに相合い傘の落書きなど、見つけてしまうことがなければ……いや、平穏に高校生活を終えることができれば、いいな。俺は中学と違って、ただ穏やかな高校生活を望んでいるんだ。
「あと、楓も厨房係ね」
楓のささやかな希望を、六花はどこまでも吹き飛ばしにかかる。教室中が困惑に包まれたのに、六花は相変わらず可愛い笑顔で、可愛く楓を見上げてきた。
「楓はね、お菓子作るのとっても上手なの。楓の作るお菓子、ケーキもクッキーも、あと名前のよくわからないやつも、とにかく全部おいしいんだよ。わたしは、それにデコレーションするのが得意なの」
ああそういえば確かに、六花はお菓子作りそのものは、そこまで胸を張って得意というほどではなかったな。普通に作れるけれど、レパートリーが多いわけでもないし、それだけなら六花はその程度のことを自ら得意とは言わない。
「楓のお菓子、食べるの、楽しみだなあ」
きみが食べるのか……。
思考が遠くに飛んだ楓を置いて、はしゃぐような六花の一言は最強の決定打だった。それまで黙っていた担任の教師が、豪快に笑いながら立ち上がり、パンパンと手を叩く。
「こりゃ決まりだなー。橘と楓は厨房係……いや、お菓子係? まあいいや。ほらおまえらー、さっさとじゃんけんでもくじ引きでもして、ウエイトレス係を決めなさい。負けたら厨房な。時間なくなるぞー」
とたん、がやがやと騒がしくなる教室に乗じて、楓は教卓のところに、六花は自分の席に戻った。
「ありがと、かえで」
別れぎわ、六花が楓にだけ聞こえるようにささやいた甘やかな声が、その日、楓の耳からいつまでも消えなかった。
文化祭は楓と六花の作ったお菓子や軽食がそれこそ飛ぶように売れて、楓たちのクラスは見事、全校売り上げ一位を獲得した。楓にはわかったことながら、いつもよりデコレーションに凝り、華やかに作り上げたのは、案外プライドの高い六花の意地である。賞品は図書カード五万円分で、一万円分を学級文庫に、残りはクラスメイトに分配され、学級文庫用の一万円については、希望を募った上で学級委員が買ってくることになった。これに関して、楓は木村さんから今度の休みにふたりで買いに行こうという誘いを受けたが、近くにいた六花による妨害を受けて回避された。情けないから六花にすら言ったことはなかったけれど、楓は木村さんがちょっと、いやわりとけっこう苦手だ。だから誘いを受けたときも衝撃的だったが、だがそのときに六花が用いたいいわけのほうが、楓にはインパクトだったりする。
六花は、木村さんを完全スルーして楓の袖を引っ張り、こう言った。
「かえでー。次の休みはわたしの奴隷になるって、約束、忘れてないよね?」
いったい何の約束なんだ!? と、言うことはもちろん、許されなかった。
けれどなかったはずの約束は結局、まさに本日、果たされている。
「楓、次は文庫コーナーだよ。二階に行かなきゃ。わー、文庫も多いねー」
ちょこちょこと楓の前を歩く六花の手には、書店の入り口で最初に印刷した書籍情報の紙が十数枚握られている。県内一番の大型書店は学級文庫で購入が決定した十数冊すべての在庫を有していたが、本というのは十数冊まとめ買いするのに適した品物ではないと、楓はつくづく実感する羽目になった。
かわいらしいスカートをふわふわさせて歩く六花は、すれ違う人の目をほとんど必ず惹いている。そしてその視線が後ろに従う楓に流れたとき、人々は若干目を剥いた。
学級文庫、一万円分。加えて、分配された図書カード千円分、六花が誕生日に両親から贈られた一万円分の図書カードと、今までずっととっておいた今年のお年玉と、日々のお小遣いからためた貯金が合わせて五万円。今、楓の腕には、数万円分の本が積み上げられている。本は金食い虫だと読書家の六花はいつもぼやいているが、六万円分の本といったら『塔』と言うほかなかった。六花が選んでいる本はほとんどが普段買わないような大型本だから、値の張る分冊数は多くない。しかしさすがに、ここに文庫本をさらに追加するとなると、塔の崩壊が視野に入ってくる。
「待って、六花。ちょっと待って。いったん会計しよう? そして休憩しよう。続きはまたあとで、な?」
六花は楓を振り返り、ちら、とその腕に積まれた本と楓とを見比べた。
「重い? 大丈夫?」
「いや、重いっていうか、量的にこれ以上はちょっと持てない」
「いいよ」
言うと、六花は楓の抱える本の塔の上から数冊を取って、細い腕に抱いた。重さに音をあげたと思われたくない楓は慌てたが、くるりと背を向けて歩き出した六花をわざわざ引き留めるほど、レジが遠くなかった。六花が自分よりずっと華奢なせいか、楓の腕から消えた重み以上に、六花の身体には数冊の本が重そうに見えてしまう。とはいえ、当の六花は今日ずっとごきげんで、レジの店員にまで笑みを振りまいて見とれさせている。楓は慌てて、六花の隣に追いついた。
会計を済ませ、書店の中に併設されている喫茶店に入ると、ちょうど昼時であることも相まって店内はずいぶんにぎわっていた。一瞥したところ席がないように思えたが、六花は楓に自分の注文を告げると、楓の下げる書店の袋を取って店の奥へ行ってしまった。目の利く六花のこと、どこか空席を見つけたのだろう。楓が番号札の乗ったトレイを持って六花を探すと、途中まで迎えにきてくれた彼女の見つけた席は、実に三方を壁や観葉植物などに囲まれた、完全に隠れた場所にあった。店員が食事と引き替えに番号札を持って去ってしまえば、周囲の視線も届くことのない、完全にふたりきりとなる位置だ。楓は少しばかり意識せざるをえなかったけれど、六花はどう思っているのだろうか。ちらりとうかがってみても、彼女は実にいつも通り行儀よくパスタを消費しているばかりで、その内心などさっぱりだった。
未練がましく何度も見てしまったせいか、ふと、顔を上げた六花と目が合う。いつのまにか彼女の皿は空で、対して楓のホットサンドはほとんど減っていない。
「……えっと」
いつまで経っても六花が目をそらさないから、図らずも見つめ合ってしまった。気まずくなった楓が話題を探して口を開くと、まだなにも言い出さないうちから、六花がなぜか、うれしそうににこりと笑った。
「……? えーと、デザートとか、いる?」
六花は笑顔のままふるふると首を振り、それから何かをためらうようにうつむいたあと、ふたたび顔を上げて、テーブル越しに楓を手招いた。さっきとは違い、はにかむような笑みを浮かべている。ちょっと頬が赤く見えるのは、光の加減だろうか。
なるべく意識しないようにしながら腰を浮かせて身を乗り出した楓に、六花も同じように顔を寄せてきた。内緒話かなにかと思って顔を傾けようとした矢先、ただでさえどきどきする近さだった六花の瞳が陰を作るほど寄せられて、不意に、唇があたたかくやわらかいなにかにふれる。
「え……」
「ふりょう、だから、……」
たったいま楓にふれたばかりの唇をほそい指先で恥ずかしそうに隠しながら、六花は小さな、ふるえる声でそう言った。
おまけ~大人になるということ~
「みんな馬鹿みたいだったんだもの。天使、天使って、現実見えてる? って感じ」
のちに、大学生になった六花はそう語った。
大学生協の食堂で六花と向かい合っていた楓は、ストローで吸い込んだカフェオレを鼻から吹きそうになった。
六花が一生懸命に勉強をみてくれたおかげで、楓は見事、国内でも指折りの大学に合格した。なにより、そこを志望していた六花とともに進学するため、楓は必死だった。努力の甲斐あって、いまではふたり、親元を離れ、同じアパートでお隣さんをやっている。少し大人になった六花は、だが相も変わらず文句なしにかわいい。
周りの学生と違い、派手な化粧もないのにふっくらとした桜色の唇から吐き出されたのが、先の一言である。
六花は、唇を小さく尖らせて続けた。
「わたしだって、たまには宿題をしないで行ってみたかった。お勉強しないでテストで悪い点をとったり、学校帰りにゲームセンターなんかに寄ってみたり、ミニスカートをはいて、髪を染めたり」
一息ついて、六花は膝丈のスカートから伸びるすらりと綺麗な足を組み替え、砂糖なしのブラックコーヒーに口をつけた。誰もが夢見るような女の子らしい外見をして、六花が飲み物には甘いものを好まないことも、楓はよく知っている。口ではそんなことを言いながら、大学生になったいまでも、彼女の身につけるスカートはミニではなくいつも膝丈だったし、髪も艶やかな濡羽色のままだ。
楓がそれを指摘すると、六花はコーヒーのマグカップから顔をあげ、楓を見つめてかわいさのお手本のようににこりと笑った。
「だって」
ちょこんと首を傾げるしぐさまで、さまになりすぎているほどである。もうずっと昔から見慣れているはずなのに、思わず視線を釘付けにされたところで、六花のほほえみはちょっと悪戯っっぽく変化した。
「楓、そのほうが好きでしょ?」
完敗。
なるほどこれは天使っていうよか、小悪魔だったのだな、と楓は思った。
幼なじみが不良になりました。 崎浦和希 @sakiura
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