Diamond

紬木楓奏

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 バケツをひっくり返したような雨の中、君の流した涙がダイヤモンドのように見えたのを、僕は一生忘れない。




「聞いてる?直人君」

「……しいて言うなら聞いてない」

「それって聞いてるってことじゃん」

「質問に対してだ。お前の話は空っぽで、中身がない」

「酷いこと仰る。引きこもりのくせに」

 ああ、もう女というのは、どうしてこう、ピーピー喚くのやら。女は理解できない。する気もないけれど。

 諦めたらしい目の前の女は、僕の部屋の窓を一気に開けた。周りは、山や川、畑が広がる。しかし、ここは東京都だ。日本の首都である。田舎丸出しのこの景色を恨めしく思ったことはあるが、嫌いになったことはない。四季折々変わるこの景色は、いい絵になるからだ。

「智(ち)香(か)。窓を閉めて自分の小屋に帰れ。ハウス」

「私は犬じゃないよ。学校をサボってばかりの親戚兼幼馴染兼恋人の様子を見に来た心優しい女子中学生ですよ」

「美香もそうだけど、本当にお前は口だきゃ達者だな」

「そんなことより直人君」

 床に手をついて、四足歩行で僕に詰め寄る彼女は、確かに可愛い。お節介以外何の取り柄もないのは知っているが、愛すべき存在である。一応、僕の彼女だ。


「進学を薦めたのは私だけど……いくら何でも突飛じゃない?天下の日向学園高校だよ」


 僕らは今、中学校三年生。

 進路、友情、恋……一生で一番、目まぐるしく感情が回る年代だ。



◇◆◇



 雪が積もった。軋む音は心地よく、降り注ぐ太陽光が雪を反射させて見せる情景に感化されて、夢中でキャンパスに向かう。

 この時が一番生きている気がする。こういう時が一番、“愉しい”。


 こんな山が囲む田舎に生まれ、いつから絵を描いていたかと聞かれても答えられない。気づいたら描いていた、それが一番的確な答えだ。共働きの両親に代わり、幼い僕の面倒を見てくれていたのは土いじりが好きな祖父で、祖父の趣味にも子供たちが走り回るのにも興味を示さない僕に、絵筆を握らせたのも祖父だった。

成長しても他にいっさい興味を見せない超インドアな僕に、友達はできなかった。楽しく運動をするより画集を見る方が好きだったし、勉強するより絵筆を握る方が好きだった。それでなくとも小さな集落で、小学校四年生で部活というものが導入される頃には、“保科直人は勉強のできない芸術家かぶれ”だと、大人たちの間で噂されるような、立派な根暗に仕上がっていた。

部活というものが始まる小学四年生。野原を駆け回っている同級生は殆ど運動部に所属している中、僕は独りきりの美術部に所属していた。顧問のマンツーマンの指導もあってか、小学校六年生になると作品が名のある賞を手にし始め、先月行われた画家の登竜門とされる全国の中学生が対象のコンテストで、念願の大賞を受賞した。

壊滅的な僕の成績に頭を悩ませていた中学校の担任がほっとしたのもつかの間、最近は高校からのスカウトの電話が鳴りやまず、それはそれで対応が大変らしい。

 その中の一つに、関東随一の進学校、私立日向学園高校があった。合格八十パーセント偏差値は六十八で、マンモス校である学園には、高校でもさまざまな専攻がある。スカウトはもちろん芸術科美術コースの進路担当らしかった。

 人生、絵が描ければいい。芸術を愛せれば、高校なんて行く必要もない。数学で二次関数とはなんだと問われても答えられる自信はないし、英会話で時間を聞く一文も言えない、そんな僕を“欲しい”という、最強の進学校。だが、いくら専攻があっても、一般教養がなくなるわけではない。担任には、断り続けていたのだが――


親のためにも、僕に筆を与えてくれた祖父のためにも、高校は出ておいた方でもいいのではないか。そう言ったのが、僕を知る唯一の同世代であり、都心から二時間かけて我が家に遊びに来てくれる恋人・平野智香だった。




「今日は何を描いてるの?」

「智香」

 智香の声に気づいて、振り向きざまにカレンダーと時計を見る。カレンダーの今日の日付には、以前智香が来た時に書いた花丸があり、その下に“十三時に綾瀬”と書いてある。明らかに僕の字で。そして時計を見ると――

「一時間待って来ないから、来ちゃった」

 丁度ぴったり、十五時。

「プチ遠距離恋愛の彼女との貴重なデートの日に、こないなんて直人君らしいね」

「御免、またやってしまった……」

「いいのよ。お互い進路決まってる組だし、直人君は絵を――」

 近寄ってきた智香の腕を引っ張って。

 少し乱暴に、長めのキスをする。

 戸惑っていた智香も落ち着いたようで、俺の頼りない鎖骨に頭を預けた。

「悪かった」

「……こういうこと、平気でできるんだから、直人君は芸術家だね」

「どういう意味」

「変わり者ってこと。あと紳士。先に及ばないから」

「お前、よくそんなこと言えるな。男は狼なんだぞ」

「待たせたくせにー」

「そうだけど」

 智香は東京二十三区に住んでいる。直線距離では近いが、公共交通機関を使うなら色々乗り継いで二時間はかかってしまう。日向学園は寮も完備されているから、引っ越すことも考えはした。しかし、我が家のエンゲル係数を考えると、とてもでないが言い出すことが出来ない。特待生とはいえ、最低限のお金はかかる。それを両親に払ってもらうだけで、精一杯なのは目に見えている。怠惰な僕にアルバイトなんて務まるとも思えない。消去法で実家からの通学が決まり、智香の進学先は日向ではないから、夢見る放課後デートは叶いそうもない。

 申し訳ないとは思う。しかし、三年間の辛抱だ。

「心配だな」

 珍しく震える声で呟いた智香は、僕の膝に乗ったかと思うと、そのまま僕に絡める腕に力を込めた。

「何がだよ」

「直人君、素っ気ないけど優しいし、格好いいし。知ってる?日向ってドラマみたいに、顔のレベルも高いって有名なんだよ」

「俺が浮気するってこと?杞憂だよ。僕を格好いいと思うのはお前だけだ」

 髪を梳きながら諭しても、智香の体勢は変わったまま。

 あまり恋愛小説は読まないけど、僕はそんなに信用ならぬ男なのだろうか。


 こんなに、智香が好きなのに。

 不安にさせてしまって、悔しい。

 僕の愛情は、多分五割も伝わっていないのがもどかしい。


 僕は自他ともに認めるドライな性格をしているから、情熱的になれと言われても時間がかかるし、なり方もわからない。

 どうすれば、この女性を安心させられるのだろうか。


 窓の外には、依然として積もった雪が輝いている。まるで、ダイヤモンドのように美しい。

「直人君。今日も、ご両親は出張なの?」

「そうだよ」


「私ね、今日、泊まってくるって言ってきたの」


 人間は、色恋に不安になった時の対処法を、本能的に知っている。それは――


 触れ合うことだ。



◇◆◇



「智香、御免」


 高校に進学して、初めて、僕は情熱という言葉を理解し、心にはその灯が灯った。

 補習仲間の片平日和の姉・片平翼さん。パワフルで優しく、僕の心なんて簡単に見透かす、大人の女性。


 水無月。

用があるからと、彼女の学校に出向く。お待たせと言って小走りで来た智香の目は、既に潤んでいて。


「いいの。覚悟してた……ことだったし」

「智香、俺は……」

「あ、雨だ」


 この時期の天気は不安定だ。曇り空から、雨空へと変わるのに、時間はかからなった。

「保科君!」

「おまえ、傘ぐらいさせよ!風邪ひくぞ!」

「いいじゃない!私は、あなたのものではなくなったから、心配……しないで大丈夫だよ!」


 そうして、大声で叫ぶ。



「保科君、大好き……大好きだったよ!」


 

バケツをひっくり返したような雨の中、君が叫びながら流す涙は、まるでダイヤモンドのようだ。

 初めて肌と肌を触れ合ったあの日。窓の外で美しく輝く、あの日の雪の様に。




「お前でも神妙な顔、するんだな」

「片平はいないよ、坂本。進路課に呼び出されてる」

「そうだよな……俺もお前も片平も、人間なんだよな」

「三人目はナマケモノだよ」

「やかましい」


 今でも、たまに思い出す。彼女は今、どうしているのだろうか。

 僕なんかのことは、忘れてくれただろうか。


「男は馬鹿だよなあ。泣くまで自分が分かろうとしない」

「経験則?」

「とにかく、その涙目を処理しろよ。早くしないと日和がきて大騒ぎするぞ」

「それは問題ありだ」


 誰かを愛してほしい。

 誰かに愛されてほしい。

僕みたいな欠陥人間ではなく、正しい愛を持った人に出会ってほしい。



僕が愛した君だから。

振り回してしまった君だから。

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Diamond 紬木楓奏 @kotoha_KNBF

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