第2話

「よく跳べるな」


 加奈は寝ころんだまま、声の主へと顔を向けた。


「よ、スプリングガール」


 片手をあげた男子生徒は、声に似合う能天気な顔をしていた。彼の名前は愁。愁は加奈と正反対の文科系で、図書委員をしている。居残っているということは、書庫整理でも押し付けられたのだろう。


「やめてよね」


 露骨な加奈の態度に、ようやく愁が気づく。


「どうした?」


「あだ名で呼ぶのはやめてって、前から言ってるでしょ?」


 愁は考えるような仕草で「また言ったかな」とつぶやいた。


「次から、罰金だからね?」


「次から、気をつけないとな」


 加奈はそれを下手な台詞だと思い、愁を睨みつけた。


「このあだ名、嫌いなのか?」


 加奈は当然だと口調を荒げた。


「嫌い。跳ぶだけしか能がないみたいじゃない。それに――」


 加奈の口から、次々に否定の言葉が飛び出す。


 呼ばれても嬉しくないし、あだ名にしては長すぎる。


 言葉とは裏腹に、自分の不機嫌は愁のせいではないのだと、加奈は理解していた。自分の魅力は、走り高跳びだけではないのか? 〝スプリング・ガール〟このあだ名は、自分の全てを捉えている。自分でそれに気づきたくないだけなのだと、自分で分かっている。


「――私を、バネ仕掛けみたいに言わないでっ!」


 全てを吐き出してしまった加奈の前には、頭をかく愁の姿があった。


「加奈、勘違いしているぞ」


「何を、よ?」


 加奈は引き下がれずに虚勢を張る。


「1回しか言わないから、よく聞けよ?」


 どんな悪口にだって耐えてやるつもりだったのに。あまりにも真剣な愁の顔に、加奈の気持ちがぐらついた。


 1秒、2秒。


 何を言われるのか不安で、加奈は視線をそらす。


 沈黙の間に、愁が覚悟を決めているのが分かった。


「スプリングガールってのはな? スキップの似合う……か、可愛い女の子って意味だっ!」


 愁の言葉を理解するのと同時に、加奈はマットから飛び上がった。


「じょ、冗談言わないで!」


 加奈の真っ赤な顔と、愁の真剣な顔。


 魔法でも解けたように、愁の全てが、いつもの能天気に戻る。


「ばれた?」


 喉の奥で息が詰まる。


 ようやく理解できた。自分は馬鹿にされたのだ。


「早く、帰れ!」


 無駄話は終わりだと、加奈は転がっていたバーを台に戻す。


「もうちょい見てく」


 もう1度、息が詰まった。


「勝手にしろ!」


 加奈は助走距離を得るために、スタート位置へと戻る。


 大きく深呼吸。


 夜が迫っていた。野球部のために設置された大型ライトが、こちらまで明るく照らしている。運動場の人影はまばらで、制服姿の生徒なんて愁しか残っていない。愁が自分のために残っていたのではないかと思えたが、加奈は即座に否定した。


 もう1度、大きく深呼吸。


 加奈は緊張をほぐして走り始めた。


 右、左、右。切れの良い感覚が体を走る。加速は十分だ。あとは踏み切りと、上体の反りと、気持ち。最後のステップを超え、加奈は空中へと舞い上がる。視界が空だけに支配される。


 何か、吹っ切れたかも。




   おわり

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スプリング・ガール ~走り高跳びの少女~ 星浦 翼 @Hosiura

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