ゲーム初心者、育成の沼にはまる

脳幹 まこと

その様は、生真面目君の女遊びと似ていた


 つい、昨日の事。

 連日の仕事の疲れに耐えきれなくなった私は、作業を早めに切り上げて、定時より二時間後に職場を出た。

 帰りの電車、眠気を必死に堪えながらもスマートフォンの画面を見つめていると、一通のメールを受信した。

 はて、なんだろうか。予約した健康診断はまだまだ後ろだし、Amaz○nの受け取りは先週終わったし……

 疑問を抱きながらも、そっと受信ボックスを開いてみると、久方ぶりの友人からのメールであった。


「あの件、今週末にやろうか」


 実に簡潔なメール。しかし、それを見て眠気はすべて吹き飛んだ。

 私は全てを察した。同時に戦慄もした。あ、あれを今週末にやるだなんて……!?



「あれ」とは某育成RPGの通信対戦のことである。エンディング後が本番とされるゲームで、極める人はゲーム内の最大起動時間(カウンターストップ)を超えて、ひたすらに高みを目指していくとされている。友人も学生時代はその道の人だったようだが、今はすっかり隠居(自称)しているらしいーー根強い信奉者であることに変わりはないようだが。

 友人の猛烈な推しによって購入したそのゲーム。一時期は連日のように進捗を訊かれた。その度にああだこうだとはぐらかしてきた。

 自分から買ったものでもない。熱意がそれほどある訳でもない。義理もあるので進めてはいたが、微々たるもの。それが彼をどれ程やきもきさせてきたか、想像したくもない。

 それなりの期間を経て、友人は「対戦」という言葉を用いるようになった。目的は最初からそこにあり、お互いの努力の全てをぶつけ合わせてみたいと、友人は爽やかにはにかんでみせた。

 当然ながら戸惑い、一応の反抗をするわけだが、信奉者で求道者の友人は対戦における規則やダメージ計算表なるものを用意しており、既に四方を取り囲んでいた。一介の暇人である私には熱意を突っぱねるだけの言い訳も対案も出せなかったわけである。


 とは言え、それで本腰を入れるようになったか、と言われると話は別だ。

 ゲーム慣れしていない私にとって、エンディング後の育成どころか、シナリオ本編すらも壁の連続。ストーリーの進め方が分からない、ボスとの戦いになる度に躓く。

 友人に訊くわけだが「相性を考えて」だの「この場所は寄ったのか」だのと優しさ半分呆れ半分で説明される訳で、居たたまれなくなる。進捗は微々として上がらない。

 現状に痺れを切らしたらしい友人が、遂にあの一言を発した。


「つか、まことくん、本当に攻略サイト見てやってるの?」

 

 攻略サイト!!

 あーあ、言っちゃったよこの人は!!

 ゲーム初心者にあろうことか、攻略サイトを見させるとは。そんなもの、びっくり箱を開ける前に、中身やばねの弾力、その他のイベントまで告白されるようなものだ。

 無粋、あまりに無粋な行いではあるまいか。

 だが、にっちもさっちもいかない状態ではある。一人で勝手に迷い苦しむ分ならいいが、他人が絡むとそうもいかない。

 私は苦渋の決断で「ゲーム名 攻略」と検索をし、そのトップページに出たものをあてにすることにした。


 攻略サイトにはあらゆる情報が書いてあった。その中に、自分が今まで躓いてきた理由もきちんと書いてあった。

 軽くしか見ていなかったパラメータが、実は重要な意味を持っていた。レベルを上げても強くなったように感じなかったのも、そのパラメータの仕業だったのだ。目から鱗、この情報は漫然とやっているだけでは何時までも分からなかったことだろうーー私は数時間、攻略サイトの画面にかぶりついていた。

 そしてゲームに関する仕様(非公開のパラメータ)、キャラのステータス、育て方、戦術、すべてを吸収していった。

 種が分かれば何も難しいことはない。私はゲームを再開した。


 それからの私は修羅だった。育成の最適解を目指して、リセット&リスタートを繰り返した。敵から得られる経験値、次のレベルアップまでの行動、果てはどの敵を何回倒せばどのパラメータがどれだけ上がるか。すべて計算に含めて行動していた。1レベル上げるのに二時間かけることもあったが、悔いはなかった。

 もちろん、メインストーリーのことはすっかり眼中から外れていた。



 私の作業進捗ーーというより、こだわりを聞いた友人は「やりすぎ」とだけ言った。

 ストーリー中盤にして、その時点での友人のおよそ倍のレベルとなり、ステータスの質においても、思わず拍子抜けするほどの差が発生していた。

 友人はただ単に遊びたかっただけなのだ。勝手に修羅になったのは私である。

 しかし、育成の手を止めることは出来なかった。今までにかけた時間を思えば、簡単に放棄するわけにもいかない。

「あとどれだけやるの?」という友人の忠告に応える言葉も見つからなかった。


 それからも土日を潰して作業に明け暮れた私だったが、突然、どうでもよくなってしまった。

 よく考えれば、このまま育てたところでCPUを蹂躙し、友人を引かせてしまうだけなのだ。ネット対戦なんて便利な機能もない。これに気づいたら熱が冷めるのに、そう時間はかからなかった。

 そして私はゲームをやめた。友人は私の極端さを憂いながらも、対戦だけはやらせようと奮起していた。

 しかし、その声も長くは続かなかった。友人の方が多忙になり、会話をする時間がなくなってしまったのだ。

 こうして紆余曲折を経て散り散りになったかと思われた育成RPG対戦会だったが、このまま誰も得しないまま終わるのも癪だとは内心思っていた。

「空いたときにでも、対戦やろうか」と連絡したが、返事は来なかったーーつい、先日までは。



「あの件、今週末にやろうか」

 私はわなわなと震えた。当時と今とでは状況が違いすぎるのだ。まさか、覚えていてくれたとは。

 断ろうとも思った。しかし、ここで断ったら二度と対戦の機会が訪れることはない。ゲーム内にいる修羅の申し子達が報われない。

 とは言え、今週末は問題だった。問題しかない。何故なら、ストーリー進めるのをすっかり忘れていたからである。対戦やろうか、なんて感傷に浸って送っている場合ではなかった。


 どうしよう。

 攻略の鍵は、攻略サイトにしかなさそうだ。 

 私はいままで見なかったページ、シナリオチャートを読んでいった。

 期間限定、イベント限定によるアイテムやキャラもいる。しなかったからと言って致命的にはならないが、要素を取りそびれるのはプライドが許さないので、しっかり確認し、メモに書き留めていった。

 その後は淡々と作業していった。エンディングを見たのは再開後の三日目のことだった。プレイ時間はカンスト間際だが、その大半は過去の育成にかけたものだ。


 久しぶりに満ち足りた気分になった。

 作業そのものが面白いものだったか?

 そんなはずはない。むしろ退屈極まるものだった。宿題を答え丸写しで無理矢理終わらせた。そんな類いのものなのだから。

 お陰で感動的なイベントもまるで他人事になってしまい、やっている間は常に仏頂面である。

 充足感の源泉は、予定通り片付いたことだろう。攻略サイト通りに操作し、言われるがまま為すがままに動いた。その間、自分の意志はひとつもなかった。言い換えれば、まったく他のことを頭に入れることなく、この数時間集中し続けた訳だ。

 緻密な育成と簡素なストーリー攻略。巧遅と拙速、まるで違うように見えた二つの要素は、ある一つの点で共通していた。


 面白さと充実感は必ずしもイコールにならないーー必要性さえあれば、人はどんな事でも頑張れるのだ。



 という、人生の教訓じみたものはどうでもいいので、さっさと友人と雌雄を決したいと思う。

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