第9話 旅
電気屋まで2人で買いに行ったソフトを、夕依はとても気に入っていた。最近はうちに来てもそればかりプレイしている。オープンワールドの中でも、崖から落ちたり、湖で溺れかけたり、相変わらず危なっかしい動きばかりしているが、好きなだけ冒険できるこの作品が好みらしい。一応メインとされているストーリーは殆ど進んでいないのだが、戦闘が苦手な彼女らしいプレースタイルだと思った。
対照的に僕は、机に向かうことが多くなった。焦っているわけではないと思うけれど、ゲームをしていても以前より満たされた感じはしなかった。それよりも数学の教科書を開いて、複雑な文字と数の羅列を因数分解できた時の方が達成感を感じた。自分がもし、これまでに学んだ学問から1つを選んで装備をし、社会に立ち向かうとすればそれは数学かもしれない。以前躊躇った文理選択の調査票を遅ればせながらも提出しようか、と考えた。学校に行っていない自分に、それが許されるだろうか。
そこでふと、夕依は文理でいえば、文系なのか。そもそも、彼女は今年受験生ではないかと気がつく。それは、訊いてもいいことなのだろうか。背後で時折感嘆の声を漏らしながら、今も32インチの画面を旅する彼女は、勉学から最も遠い場所にいるようだった。
「ふゆ、明日海へ行こう!夏らしいことしよう。」
その時、突然ゲームの手を止めて彼女は言った。夏は暮れてきて、少しずつ秋の風の音が聞こえてくる季節だ。また突拍子もない提案に、僕は何も言えずに頭を抱えた。海なんて、ここから電車を何度か乗り継いで数時間かけてやっとたどり着く距離だ。ゲームの影響をもろに受けてしまったのだろうか。
断ろうとした。近所の桜や喫茶店とはわけが違うし、不可能だろう。
でもその時、彼女は言った。
「海で、描きたい絵があるの。」
僕は黙った。彼女が理系か文系かなんて、愚問だったかもしれない。数字や言葉をもってしても、推し量ることができないジャンルがあるだろう。
彼女が選んだ芸術を、海で描くその絵を、見てみたいと思った。
朝陰をみる 枉都ファジー @autophagy
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